智囊 / 制勝・李靖
蕭銑據江陵,詔李靖同河間王孝恭安輯,閱兵夔州。時秋潦,濤瀨漲惡。銑以靖未能下,不設備。諸將亦請江平乃進,靖曰:「兵事以速為神。今士始集,銑不及知,若乘水傅壘,是震雷不及塞耳,倉卒召兵,無以御我,此必擒也。」孝恭從之,帥戰艦二千餘艘東下,拔其荊門、宜都二鎮,進至夷陵。
新字:蕭銑拠江陵,詔李靖同河間王孝恭安輯,閲兵夔州。時秋潦,濤瀨漲悪。銑以靖未能下,不設備。諸将亦請江平乃進,靖曰:「兵事以速為神。今士始集,銑不及知,若乗水傅塁,是震雷不及塞耳,倉卒召兵,無以御我,此必擒也。」孝恭従之,帥戦艦二千余艘東下,抜其荊門、宜都二鎮,進至夷陵。
書き下し
蕭銑、江陵に拠る。李靖に詔して河間王孝恭と同に安輯し、兵を夔州に閲せしむ。時に秋潦にして、濤瀬漲り悪し。銑は靖が未だ下る能わざるを以て、備えを設けず。諸将も亦江の平らぐを待ちて乃ち進まんことを請う。靖曰く、「兵事は速やかなるを以て神と為す。今士始めて集まり、銑は知るに及ばず。若し水に乗じて塁に傅かば、是れ震雷の塞ぐに及ばざるのみ。倉卒に兵を召さば、以て我を御ぐ無し。此れ必ず擒にせん」と。孝恭之に従い、戦艦二千余艘を帥いて東に下り、其の荊門・宜都の二鎮を抜き、進みて夷陵に至る。
現代語訳
蕭銑は江陵に拠っていました。朝廷は李靖に詔して河間王李孝恭とともに鎮撫に当たらせ、夔州で軍を整えさせました。ときは秋の長雨で、川の波や急流が荒れていました。蕭銑は、李靖がまだ下ってこられないと思い、備えをしませんでした。唐の諸将も、川が静まってから進むことを願い出ました。李靖は言いました。「軍事は速さが神業である。今、兵が集まり始めたばかりで、蕭銑はまだ知らない。もし増水に乗じて城塁に迫れば、これは雷が耳をふさぐ暇もないほど突然に鳴るのと同じだ。慌てて兵を召集しても、防ぎようがない。これは必ず捕らえられる」。李孝恭はこれに従い、戦艦二千艘あまりを率いて東へ下り、荊門・宜都の二つの鎮を抜き、進んで夷陵に至りました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・虚実篇その趨かざる所に出で、その意わざる所に趨く。
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孫子・始計篇その備えなき所を攻め、その意に出でざる所に出づ。
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孫子・行軍篇兵怒りて相迎え、久しくして合わず、又相去らざるは、必ず謹んでこれを察すべし。
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『春秋左氏伝』僖公三十三年 弦高、秦師を犒う三十三年春、秦の師周の北門を過ぐ。左右冑を免ぎて下り、超乘する者三百乘。王孫滿尚ほ幼し。之を觀て、王に言ひて曰く、「秦の師輕くして禮無し。必ず敗れん。輕ければ則ち謀寡く、禮無ければ則ち脫(だつ)す。險に入りて脫し、又謀る能はず、能く敗るること無からんや」と。滑に及び、鄭の商人弦高將に周に市せんとして、之に遇ふ。乘韋を以って先にし、牛十二もて師を犒ひて曰く、「寡君吾子の將に師を步ませて敝邑より出でんとするを聞き、敢へて從者を犒はしむ。不腆(ふてん)の敝邑、從者の淹(ひさ)しきが為に、居れば則ち一日の積を具へ、行けば則ち一夕の衛を備へん」と。且つ遽(きょ)をして鄭に告げしむ。鄭の穆公客館を視しむれば、則ち束載し、兵を厲(と)ぎ、馬に秣(まぐさか)へり。皇武子をして辭せしめて曰く、「吾子敝邑に淹久し、唯だ是れ脯資・餼牽竭きたり。吾子の將に行かんとするが為なり。鄭の原圃有るは、猶ほ秦の具囿有るがごときなり。吾子其の麋鹿を取りて、以って敝邑を閒(やす)んぜしめば、若何」と。杞子齊に奔り、逢孫・楊孫宋に奔る。孟明曰く、「鄭備へ有り、冀(こひねが)ふ可からず。之を攻むれども克たず、之を圍めども繼がず。吾其れ還らん」と。滑を滅ぼして還る。齊の國莊子來聘す。郊勞より贈賄に至るまで、禮成りて之に加ふるに敏を以ってす。臧文仲公に言ひて曰く、「國子政を為し、齊猶ほ禮有り。君其れ朝せよ。臣之を聞く、禮有るに服するは、社稷の衛なり」と。
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史記 秦本紀繆公聞き、怒りて曰く、「孤兵を発して子沮みて吾が軍を哭するは、何ぞや」と。二老曰く、「臣敢へて君の軍を沮むに非ず。軍行くに、臣の子与に往く。臣老いたり、遅く還らば相見ざらんことを恐る、故に哭するのみ」と。二老退きて、其の子に謂ひて曰く、「汝の軍即し敗れなば、必ず殽の阨に於てせん」と。三十三年春、秦の兵遂に東し、晋の地を更り、周の北門を過ぐ。周の王孫満曰く、「秦の師礼無し、敗れずして何をか待たん」と。兵滑に至る。鄭の販売の賈人弦高、十二牛を持ちて将に之を周に売らんとす。秦の兵を見て、死虜を恐れ、因りて其の牛を献じて、曰く、「大国将に鄭を誅せんとすと聞く。鄭君謹んで守御の備へを修め、臣をして牛十二を以て軍士を労はしむ」と。秦の三将軍相謂ひて曰く、「将に鄭を襲はんとす。鄭今已に之を覚る、往くも及ぶ無し」と。滑を滅ぼす。滑は、晋の辺邑なり。是の時に当たり、晋の文公の喪尚ほ未だ葬らず。太子襄公怒りて曰く、「秦我が孤を侮り、喪に因りて我が滑を破る」と。遂に衰絰を墨くし、
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『春秋左氏伝』昭公十七年 彗星と火災の予言九月、丁卯、晉の荀吳師を帥ゐて、棘津より涉り、祭史をして先づ牲を雒に用ゐしむ。陸渾の人知らず。師之に從ふ。庚午、遂に陸渾を滅ぼす。之を數むるに其の楚に貳するを以てす。陸渾子楚に奔り、其の衆甘鹿に奔る。周大いに獲たり。宣子、文公荀吳を攜へて之に陸渾を授くるを夢む。故に穆子をして師を帥ゐしめ、俘を文宮に獻ず。冬、星大辰に孛する有り、西のかた漢に及ぶ。申須曰く、「彗は舊を除き新を布く所以なり。天事は恆に象あり。今火に除く。火出づれば必ず布かん。諸侯其れ火災有らんか」と。梓慎曰く、「往年吾之を見る。是れ其の徵なり。火出でて見ゆ。今茲火出でて章かなり。必ず火入りて伏せん。其の火に居ること久し。其れ然らざらんや。火出づるは、夏に於いては三月為り、商に於いては四月為り、周に於いては五月為り。夏數天を得たり。若し火作らば、其れ四國之に當たらん。宋・衛・陳・鄭に在らんか。宋は大辰の虛なり。陳は大皞の虛なり。鄭は祝融の虛なり。皆火房なり。星孛して天漢に及ぶ。漢は水祥なり。衛は顓頊の虛なり、故に帝丘為り。其の星は大水為り。水は火の牡なり。其れ丙子若しくは壬午を以て作らんか。水火の合する所以なり。若し火入りて伏せば、必ず壬午を以てし、其の見ゆるの月を過ぎず」と。鄭の裨竈子產に言ひて曰く、「宋・衛・陳・鄭、將に同日に火あらんとす。若し我瓘斝玉瓚を用ゐば、鄭必ず火あらず」と。子產與へず。
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