智囊 / 制勝・唐太宗
諜告:「夏主伺唐牧馬於河北,將襲武牢。」世民乃北濟河,南臨廣武而還,故留馬千餘匹,牧於河渚以疑之。建德果悉眾出牛口,置陣亙二十里,鼓行而進。諸將皆懼,世民升高望之,謂諸將曰:「賊起山東,未嘗見大敵,今度險而囂,是無紀律,逼城而陣,有輕我心,我按兵不出,彼勇氣自衰,陣久卒飢,勢將自退,追而擊之,無不克矣。」建德列陣,自辰至午,士卒飢倦,皆坐列,又爭飲水。世民命宇文士及將三百騎,經建德陣西,馳而南上,建德陣動,世民曰:「可擊矣。」帥輕騎先進,大軍繼之,直薄其陣。方戰,世民又率史大奈等卷旆而入,出於陣後,張唐旗幟。夏兵見之,驚潰。
新字:諜告:「夏主伺唐牧馬於河北,将襲武牢。」世民乃北済河,南臨広武而還,故留馬千余匹,牧於河渚以疑之。建徳果悉衆出牛口,置陣亙二十里,鼓行而進。諸将皆懼,世民升高望之,謂諸将曰:「賊起山東,未嘗見大敵,今度険而囂,是無紀律,逼城而陣,有軽我心,我按兵不出,彼勇気自衰,陣久卒飢,勢将自退,追而撃之,無不克矣。」建徳列陣,自辰至午,士卒飢倦,皆坐列,又争飲水。世民命宇文士及将三百騎,経建徳陣西,馳而南上,建徳陣動,世民曰:「可撃矣。」帥軽騎先進,大軍継之,直薄其陣。方戦,世民又率史大奈等巻旆而入,出於陣後,張唐旗幟。夏兵見之,驚潰。
書き下し
諜告ぐ、「夏主、唐の馬を河北に牧するを伺い、将に武牢を襲わんとす」と。世民乃ち北のかた河を済り、南のかた広武に臨みて還り、故に馬千余匹を留め、河渚に牧して以て之を疑わしむ。建徳果たして衆を悉くして牛口に出で、陣を置くこと二十里に亙り、鼓行して進む。諸将皆懼る。世民高きに升りて之を望み、諸将に謂いて曰く、「賊は山東に起こり、未だ大敵を見ず。今険を度りて囂しきは、是れ紀律無きなり。城に逼りて陣するは、我を軽んずる心有り。我兵を按じて出でざれば、彼の勇気自ら衰え、陣久しくして卒飢え、勢い将に自ら退かんとす。追いて之を撃たば、克たざる無けん」と。建徳陣を列ぬること、辰より午に至り、士卒飢え倦み、皆坐列し、又争いて水を飲む。世民、宇文士及に命じて三百騎を将い、建徳の陣の西を経て、馳せて南に上らしむ。建徳の陣動く。世民曰く、「撃つべし」と。軽騎を帥いて先に進み、大軍之に継ぎ、直ちに其の陣に薄る。方に戦うとき、世民又史大奈らを率い、旆を巻いて入り、陣の後に出で、唐の旗幟を張る。夏兵之を見て、驚き潰ゆ。
現代語訳
間者が知らせました。「夏の君主は、唐が馬を黄河の北で放牧しているのをうかがい、武牢を襲うつもりです」。李世民はそこで北へ黄河を渡り、南の広武に臨んで戻り、わざと馬を千頭あまり残して、河の中州で放牧させ、敵に疑わせました。竇建徳は果たして全軍を挙げて牛口に出て、二十里にわたって陣を敷き、太鼓を打って進んできました。唐の諸将は皆恐れました。李世民は高い所から眺めて、諸将に言いました。「賊は山東から起こり、まだ強い敵に会ったことがない。今、険しい所を渡ってきて騒がしいのは、規律がないからだ。城に迫って陣を敷くのは、我々を軽んじる心がある。我々が兵を抑えて出なければ、向こうの勇気は自然に衰え、陣が長引いて兵が飢え、勢いは自ら退くだろう。追撃すれば必ず勝てる」。竇建徳は朝から昼まで陣を列ねており、兵は飢えて疲れ、皆座り込み、さらに争って水を飲みました。李世民は宇文士及に三百騎を率いさせ、竇建徳の陣の西を通って走り抜け、南へ上らせました。すると竇建徳の陣が動揺しました。李世民は言いました。「撃てる」。軽騎兵を率いて先頭に立ち、大軍がこれに続き、そのまま敵陣に迫りました。戦いの最中、李世民はさらに史大奈らを率いて、旗を巻いて敵陣に突入し、陣の後ろに出て、唐の旗を立てました。夏の兵はこれを見て、驚いて総崩れになりました。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』制勝・唐太宗唐兵洛陽を囲む。夏主竇建徳、衆を悉くして来り援く。諸将其の鋒を避けんことを請う。郭孝恪曰く、「世充窮蹙し、将に面縛せんとするに垂んとす。建徳遠く来りて之を助く。此れ天意の両つながら亡ぼさんと欲するなり。宜しく武牢の険に拠りて以て之に拠り、間を伺いて動かば、之を破ること必せり」と。記室の薛収曰く、「世充の府庫は充実し、将いる所は皆江淮の精鋭なり。但だ糧食に乏し、故に我が為に持せらる。建徳自ら将いて遠く来り、亦当に其の精鋭を挫くべし。若し之を縦して此に至らしめば、両寇合従し、河北の粟を転じて以て洛陽に餽らば、則ち戦争方に始まり、混一期無けん。今宜しく兵を分かちて洛陽を守り、溝を深くし塁を高くして、与に戦う勿かれ。大王親ら驍鋭を帥い、先ず成臯に拠り、逸を以て労を待たば、決して克つべし。建徳既に破れなば、世充は自ら下らん。二旬に過ぎずして、両主は縛に就かん」と。世民之に従う。是に由りて夏主は武牢に迫られて、行くを得ず。〔按〕是の時、凌敬建徳に言う、「大王宜しく兵を悉くして河を済り、懐州・河陽を攻取し、重将をして之を守らしめ、遂に旗鼓を建て、太行を逾え、上党に入り、汾・晋を徇え、津に趣き薄り、無人の境を蹈まば、地を拓き兵を収め、則ち関中震懼して、鄭の囲は自ら解けん」と。妻の曹氏も亦曰く、「祭酒の言は是なり」と。夫れ此れ特だ孫子の旧策なり、婦人すら猶お之を知る。而るに建徳用うる能わず、以て敗死に至る。何ぞや。
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『智囊』制勝・唐太宗秦王世民、高墌に至る。薛仁杲、宗羅日候をして兵を将いて之を拒がしむ。世民壁を堅くして出でず。諸将戦わんことを請う。世民曰く、「我が軍新たに敗れ、士気沮喪す。賊は勝つに恃みて驕り、我を軽んずる心有り。宜しく塁を閉じて以て之を待つべし。彼は驕り我は奮わば、一戦にして克つべきなり」と。乃ち軍中に令して曰く、「敢えて戦いを言う者は斬る」と。相持すること六十余日、仁杲の糧尽き、所部多く降る。世民乃ち梁寔に命じて浅水原に営して以て之を誘わしむ。羅日候大いに喜び、鋭を尽くして之を攻む。数日、世民其の已に疲れたるを度り、諸将に謂いて曰く、「以て戦うべし」と。龐玉をして原の南に陣せしむ。羅日候兵を並せて之を撃ち、玉は幾んど支うる能わず。世民乃ち大軍を引いて原の北より其の不意に出で、自ら驍騎を帥いて陣に陥る。羅日候の軍潰ゆ。世民騎を帥いて之を追う。竇軌馬を叩いて苦諫す。世民曰く、「破竹の勢い、失うべからず」と。遂に進みて之を囲む。仁杲の将士多く叛き、計窮して出で降る。其の精兵万人を得たり。諸将皆賀し、因りて問うて曰く、「大王一戦にして勝ち、遽かに歩兵を舎て、又攻具無くして、直ちに城下に造る。衆は皆不可と以為えるに、而も卒に之を取るは何ぞや」と。世民曰く、「羅日候の将いる所は、皆隴外の驍将悍卒なり。吾特だ其の不意に出でて之を破り、斬獲多からず。若し之を緩くすれば、則ち皆城に入り、仁杲撫して之を用いば、未だ克ち易からず。之を急にすれば則ち散じて隴外に帰らん。日候を折れば虚弱し、仁杲は破胆して謀を為すに暇あらず。此れ吾が克つ所以なり」と。衆皆悦服す。
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