智囊 / 不戰・高仁厚
乃欲斬左右隊長,吳王從台上觀,見且斬愛姬,大駭,趣使使下令曰:「寡人知將軍能用兵矣,寡人非此二姬,食不甘味,願勿斬也。」孫子曰:「臣既已受命為將,將在軍,君命有所不受。」遂斬隊長二人以徇,用其次為隊長,於是復鼓之,婦人左右前後跪起皆中規矩繩墨,無敢出聲。於是孫子使使報王曰:「兵既整齊,王可試下觀之,唯王所欲用,雖赴水火猶可也。」吳王曰:「將軍罷休就舍,寡人不願下觀。」孫子曰:「王徒好其言,不能用其實。」於是闔庐知孫子能用兵,卒以為將,西破強楚,入郢,北威齊、晉,顯名諸侯,孫子與有力焉。
新字:乃欲斬左右隊長,呉王従台上観,見且斬愛姫,大駭,趣使使下令曰:「寡人知将軍能用兵矣,寡人非此二姫,食不甘味,願勿斬也。」孫子曰:「臣既已受命為将,将在軍,君命有所不受。」遂斬隊長二人以徇,用其次為隊長,於是復鼓之,婦人左右前後跪起皆中規矩縄墨,無敢出声。於是孫子使使報王曰:「兵既整斉,王可試下観之,唯王所欲用,雖赴水火猶可也。」呉王曰:「将軍罷休就舎,寡人不願下観。」孫子曰:「王徒好其言,不能用其実。」於是闔庐知孫子能用兵,卒以為将,西破強楚,入郢,北威斉、晋,顕名諸侯,孫子与有力焉。
書き下し
乃ち左右の隊長を斬らんと欲す。呉王は台上より観て、まさに愛姫を斬らんとするを見、大いに駭き、趣やかに使いを使わして下令せしめて曰く、「寡人は将軍の能く兵を用うるを知れり。寡人はこの二姫に非ざれば、食して味を甘しとせず、願わくは斬ることなかれ。」と。孫子曰く、「臣は既に已に命を受けて将と為る。将の軍に在るや、君命にも受けざる所あり。」と。遂に隊長二人を斬りて以て徇う。その次を用いて隊長と為し、ここにおいて復た鼓すれば、婦人の左右前後、跪き起つこと皆規矩縄墨に中り、敢えて声を出す者なし。ここにおいて孫子は使いをして王に報ぜしめて曰く、「兵は既に整斉たり。王は試みに下りて観るべし。唯だ王の欲する所、用うれば、水火に赴くと雖も猶お可なり。」と。呉王曰く、「将軍は罷め休みて舎に就け、寡人は下りて観ることを願わず。」と。孫子曰く、「王はただその言を好むのみにして、その実を用うる能わず。」と。ここにおいて闔廬は孫子の能く兵を用うるを知り、卒に以て将と為す。西のかた強楚を破り、郢に入り、北のかた斉、晋を威し、名を諸侯に顕す。孫子は力に与る有り。
現代語訳
そして左右の隊長を斬ろうとした。呉王は台の上から見ていて、愛姫が斬られようとするのを見て、大いに驚き、あわてて使者を遣わして令を下した。「寡人は将軍が兵をよく用いられることはよく分かった。寡人はこの二人の姫がいなければ、食事をしてもうまくない。どうか斬らないでほしい。」孫武は言った。「私はすでに命を受けて将となっております。将が軍にあるときは、君命でも受けないことがあります。」ついに隊長二人を斬って見せしめにした。次の者を隊長に任じ、そこでまた太鼓を打つと、婦人たちは左右前後、跪き立つことがすべて規則どおりで、あえて声を出す者はいなかった。そこで孫武は使者に王へ報告させた。「兵はすでに整いました。王は試しに下りてご覧ください。ただ王の望むままに用いれば、水火の中に赴いても構いません。」呉王は言った。「将軍は引き取って宿舎で休まれよ、寡人は下りて見たいとは思わない。」孫武は言った。「王はただ言葉を好むだけで、その実際を用いることができない。」そこで闔廬は孫武が兵を用いるのに長けていると知り、最終的に将とした。西のかた強い楚を破り、郢に入り、北のかた斉と晋を威圧し、名を諸侯に顕した。孫武もその力に与っている。
解説
この章句が説くこと
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