智囊 / 不戰・陸遜
嘉禾三年,孫權北征,使陸遜與諸葛瑾攻襄陽。遜遣親人韓扁齎表奉報,還遇敵於沔中,鈔邏得扁。瑾聞之甚懼,書與遜云:「大駕已旋,賊得韓扁,具知我闊狹,且水乾,宜當急去。」遜未答,方催人種葑豆,與諸將奕棋射戲如常,瑾曰:「伯言多智略,其當有以。」自來見遜,遜曰:「賊知大駕已旋,無所復蹙,得專力於吾,又已守要害之處,兵將已動,且當自定以安之,施設變術,然後出耳。今便示退,賊當謂吾怖,仍來相蹙,必敗之勢!」乃密與瑾立計,令瑾督舟船。遜悉上兵馬,以向襄陽城,敵素憚遜,遽還赴城,瑾便引舟出,遜徐整部伍,張拓聲勢,走趨船。敵不敢乾,全軍而退。
新字:嘉禾三年,孫権北征,使陸遜与諸葛瑾攻襄陽。遜遣親人韓扁齎表奉報,還遇敵於沔中,鈔邏得扁。瑾聞之甚懼,書与遜云:「大駕已旋,賊得韓扁,具知我闊狭,且水乾,宜当急去。」遜未答,方催人種葑豆,与諸将奕棋射戯如常,瑾曰:「伯言多智略,其当有以。」自来見遜,遜曰:「賊知大駕已旋,無所復蹙,得専力於吾,又已守要害之処,兵将已動,且当自定以安之,施設変術,然後出耳。今便示退,賊当謂吾怖,仍来相蹙,必敗之勢!」乃密与瑾立計,令瑾督舟船。遜悉上兵馬,以向襄陽城,敵素憚遜,遽還赴城,瑾便引舟出,遜徐整部伍,張拓声勢,走趨船。敵不敢乾,全軍而退。
書き下し
嘉禾三年、孫権は北征し、陸遜をして諸葛瑾と襄陽を攻めしむ。遜は親人の韓扁を遣わして表を齎し奉報せしむるに、還りて敵に沔中に遇い、鈔邏して扁を得らる。瑾はこれを聞き甚だ懼れ、書して遜に与えて云う、「大駕は已に旋り、賊は韓扁を得て、具に我が闊狭を知る。かつ水乾く。宜しく当に急ぎ去るべし。」と。遜は未だ答えず、方に人を催して葑豆を種えしめ、諸将と奕棋射戯すること常の如し。瑾曰く、「伯言は多智略なり、其れ当に以ある有るべし。」と。自ら来たりて遜に見ゆ。遜曰く、「賊は大駕の已に旋れるを知り、復た蹙る所なく、専らに力を吾に得、また已に要害の処を守り、兵将は已に動く。かつ当に自ら定めて以てこれを安んじ、変術を施設して、然る後に出づべきなり。今便ち退くを示さば、賊は当に吾が怖るると謂い、仍お来たりて相蹙らん。必敗の勢いなり。」と。乃ち密かに瑾と計を立て、瑾をして舟船を督せしむ。遜は悉く兵馬を上げ、以て襄陽城に向かう。敵は素より遜を憚り、遽かに城に赴き還る。瑾は便ち舟を引きて出づ。遜は徐ろに部伍を整え、声勢を張拓し、走りて船に趨く。敵は敢えて干さず、全軍にして退く。
現代語訳
嘉禾三年、孫権は北に出征し、陸遜に諸葛瑾とともに襄陽を攻めさせた。陸遜は側近の韓扁を遣わして上表を持たせ報告させたが、帰る途中で沔水のあたりで敵に出会い、見回りの兵に捕らえられた。諸葛瑾はこれを聞いて大いに恐れ、書状を陸遜に送って言った。「大駕はすでに引き返され、賊は韓扁を捕らえて、我が方の広さや狭さをつぶさに知っています。しかも水が干上がっています。急いで引き揚げるべきです。」陸遜は返事をせず、ちょうど人を急がせて葑や豆を植えさせ、諸将と碁を打ち射戯をすることを常のようにした。諸葛瑾は言った。「伯言は智略が多い、きっと考えがあるはずだ。」自ら来て陸遜に会った。陸遜は言った。「賊は大駕がすでに引き返したのを知り、これ以上は追い詰められる心配がなく、専ら力を我が方に向けてきます。しかもすでに要害の地を守り、兵将も動きだしています。私たちはまず自ら落ち着いて兵を安心させ、変化の術を整えてから出るべきです。いま退くと示せば、賊は我々が怖れていると言って、さらに迫ってきます。必敗の勢いです。」そこでひそかに諸葛瑾と計を立て、諸葛瑾に船団を指揮させた。陸遜は兵馬をすべて上陸させ、襄陽城に向かった。敵はもともと陸遜を憚っており、あわてて城に戻った。諸葛瑾はすぐに船を出した。陸遜はゆっくり部隊を整え、威勢を大きく見せ、走って船に乗り込んだ。敵はあえて干渉せず、全軍が無事に退却した。
解説
この章句が説くこと
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