智囊 / 不戰・諸葛恪
恪至府,乃遺書四郡屬城長吏,令各保其疆界,明立部伍,其從化平民,悉令屯居,乃分內諸將羅兵幽阻,但繕藩籬,不與交鋒,候其谷熟,輒引兵芟刈,使無遺種,舊谷既盡,新田不收,平民屯居,略無所得,於是山民飢窮,漸出降首。恪乃復敕下曰:「山民去惡從化,皆當撫慰,徙出外縣,不得嫌疑,有所執拘。」長吏胡伉獲降民周遺。遺,舊惡民,困迫暫出,內圖叛逆。伉執送於恪,恪以伉違教,遂斬以徇,民聞伉坐戮,知官唯欲出之而已,於是老幼相攜而出,歲期,人數皆如本規。
新字:恪至府,乃遺書四郡属城長吏,令各保其疆界,明立部伍,其従化平民,悉令屯居,乃分内諸将羅兵幽阻,但繕藩籬,不与交鋒,候其谷熟,輒引兵芟刈,使無遺種,旧谷既尽,新田不収,平民屯居,略無所得,於是山民飢窮,漸出降首。恪乃復勅下曰:「山民去悪従化,皆当撫慰,徙出外県,不得嫌疑,有所執拘。」長吏胡伉獲降民周遺。遺,旧悪民,困迫暫出,内図叛逆。伉執送於恪,恪以伉違教,遂斬以徇,民聞伉坐戮,知官唯欲出之而已,於是老幼相攜而出,歳期,人数皆如本規。
書き下し
恪、府に至り、乃ち書を四郡の属城の長吏に遺り、各おの其の疆界を保ち、部伍を明立し、其の化に従う平民は、悉く屯居せしめ、乃ち分内の諸将に兵を幽阻に羅ねしめ、但だ藩籬を繕い、交鋒せず、其の谷の熟するを候ちて、輒ち兵を引きて芟刈し、遺種無からしめ、旧谷既に尽き、新田収められず、平民屯居して、略ぼ得る所無し。是に於いて山民飢窮し、漸く出でて降首す。恪乃ち復た敕下して曰く、「山民の悪を去り化に従う者は、皆な当に撫慰すべし、外県に徙出し、嫌疑して執拘する所有るを得ざれ」と。長吏胡伉、降民周遺を獲たり。遺は旧悪の民にして、困迫して暫く出で、内に叛逆を図る。伉執えて恪に送る。恪は伉の教に違うを以て、遂に斬りて以て徇う。民は伉の坐戮せらるるを聞き、官は唯だ之を出さんと欲するのみなるを知り、是に於いて老幼相い携えて出づ。歳期、人数は皆な本の規の如し。
現代語訳
恪は役所に着くと、四郡の属城の長官たちに書簡を送り、それぞれ領域を守り、部隊の編成を明確に立て、教化に従う平民は全員を一か所にまとめて住まわせるよう命じた。そして領内の諸将には、険しく奥深い場所に兵を配置させ、ただ柵や垣を整えるだけで、交戦しないようにした。山の谷の作物が実るのを待って、そのたびに兵を出して刈り取り、種も残さなかった。古い穀物がすでに尽き、新しい田の収穫も得られなくなり、平民は集められて、ほとんど得るところがなかった。こうして山の民は飢え窮し、しだいに出てきて降伏した。恪はさらに命令を下した。「山の民で悪を捨て教化に従う者は、みな慰撫し、外の県に移し、疑って拘束してはならない」。長吏の胡伉が、降伏した民の周遺を捕らえた。周遺は昔からの悪人で、困窮してしばらく出てきたが、内心は反逆を図っていた。伉は捕らえて恪に送った。恪は伉が命令に背いたとして、斬って見せしめにした。民は伉が罰せられたことを聞き、官はただ彼らを山から出したいだけだと知り、こうして老幼が手を携えて出てきた。一年のうちに、人数は当初の予定どおりになった。
解説
この章句が説くこと
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