智囊 / 善言・宋均・盧垣
東漢宋均常言:「吏能宏厚,雖貪污放縱猶無所害,唯苛察之人,身雖廉,而巧黠刻剜,毒加百姓。」識者以為確論,唐盧坦,字保衡,始仕為河南尉,時杜黃裳為尹,召坦諭曰:「某巨室子,與惡人游,破產,盍察之。」坦曰:「凡居官廉,雖大臣無厚蓄,其能積財者,必剝下致之。如子孫善守,是天富不道之家;不若恣其不道,以歸於人也!」黃裳驚異其言。〔評〕只說得「酷」、「貪」二字,但議論痛快,便覺開天。
新字:東漢宋均常言:「吏能宏厚,雖貪汚放縦猶無所害,唯苛察之人,身雖廉,而巧黠刻剜,毒加百姓。」識者以為確論,唐盧坦,字保衡,始仕為河南尉,時杜黄裳為尹,召坦諭曰:「某巨室子,与悪人游,破産,盍察之。」坦曰:「凡居官廉,雖大臣無厚蓄,其能積財者,必剥下致之。如子孫善守,是天富不道之家;不若恣其不道,以帰於人也!」黄裳驚異其言。〔評〕只説得「酷」、「貪」二字,但議論痛快,便覚開天。
書き下し
東漢の宋均常に言う、「吏の能く宏厚なれば、貪汚放縦と雖も猶お害する所無し。唯だ苛察の人は、身は廉なりと雖も、巧黠刻剜にして、毒は百姓に加わる」と。識者以て確論と為す。唐の盧坦、字は保衡、始めて仕えて河南尉と為る。時に杜黄裳尹たり、坦を召して諭して曰く、「某は巨室の子にして、悪人と游び、産を破る。盍ぞ之を察せざる」と。坦曰く、「凡そ官に居りて廉なれば、大臣と雖も厚蓄無し。其の能く財を積む者は、必ず下を剥ぎて之を致す。如し子孫善く守らば、是れ天が不道の家を富ますなり。其の不道を恣にして、以て人に帰せしむるに如かず」と。黄裳其の言に驚異す。〔評〕只だ「酷」「貪」の二字を説き得るのみなれど、議論痛快にして、便ち開天を覚ゆ。
現代語訳
後漢の宋均はいつも言っていた。「官吏が度量が広く厚みがあれば、貪欲で放縦であっても害はまだ少ない。ただ細かく厳しく調べる人は、自身は清廉であっても、ずるく残酷で、その毒が民に及ぶ」。識者はこれを確かな論だと考えた。唐の盧坦、字は保衡は、はじめ仕えて河南尉となった。当時、杜黄裳が長官で、坦を呼んで諭した。「某は名門の子だが、悪い者と遊んで財産を使い果たしている。取り調べてはどうか」。坦は言った。「そもそも官にあって清廉であれば、大臣であっても多くの蓄えはありません。財をよく貯める者は、必ず下の者から剥ぎ取ってそうしたのです。もし子孫がうまく守れば、それは天が不道の家を富ますことになります。いっそ不道な振る舞いに任せ、財を他人に帰させる方がましです」。黄裳はその言葉に驚いた。〔評〕ただ「酷」と「貪」の二字を言い当てただけだが、議論は痛快で、目を開かせられる思いがする。
解説
この章句が説くこと
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