智囊 / 善言・朱熹
廖德明,字子晦,朱文公高弟也。少時夢謁大乾,閽者索刺,出諸袖,視其題字云「宣教郎廖某」,遂覺。後登第改秩,以宣教郎宰閩。思前夢,恐官止此,不欲行。親友相勉,為質之文公。公沉思良久,曰:「得之矣。」因指案上物曰:「人與器不同。如筆止能為筆,不能為硯;劍止能為劍,不能為琴。故其成毀久遠有一定不易之數。唯人不然,有朝為跖暮為舜者,故其吉凶禍福亦隨而變,難以一定言。今子赴官,但當力行好事,前夢不足芥蒂。」廖拜而受教,後把麾持節,官至正郎。
新字:廖徳明,字子晦,朱文公高弟也。少時夢謁大乾,閽者索刺,出諸袖,視其題字云「宣教郎廖某」,遂覚。後登第改秩,以宣教郎宰閩。思前夢,恐官止此,不欲行。親友相勉,為質之文公。公沈思良久,曰:「得之矣。」因指案上物曰:「人与器不同。如筆止能為筆,不能為硯;剣止能為剣,不能為琴。故其成毀久遠有一定不易之数。唯人不然,有朝為跖暮為舜者,故其吉凶禍福亦随而変,難以一定言。今子赴官,但当力行好事,前夢不足芥蒂。」廖拝而受教,後把麾持節,官至正郎。
書き下し
廖徳明、字は子晦、朱文公の高弟なり。少き時、夢に大乾に謁す。閽者刺を索む。袖より出だして其の題字を視るに云う、「宣教郎廖某」と。遂に覚む。後に第に登りて秩を改め、宣教郎を以て閩に宰たり。前の夢を思い、官は此に止まらんことを恐れ、行くを欲せず。親友相い勉め、為に之を文公に質す。公沈思すること良や久しく、曰く、「之を得たり」と。因りて案上の物を指して曰く、「人と器とは同じからず。筆の如きは止だ筆と為る能うのみ、硯と為る能わず。剣は止だ剣と為る能うのみ、琴と為る能わず。故に其の成毀久遠にして一定不易の数有り。唯だ人は然らず、朝には跖たりて暮れには舜たる者有り。故に其の吉凶禍福も亦た随いて変じ、一定を以て言い難し。今子官に赴く、但だ当に力めて好事を行うべし。前の夢は芥蒂とするに足らず」と。廖拜して教えを受け、後に麾を把り節を持し、官は正郎に至る。
現代語訳
廖徳明、字は子晦は、朱文公の高弟である。若いころ、夢で大いなる天に拝謁した。門番が名刺を求めた。袖から取り出して、その表書きを見ると「宣教郎廖某」とあった。そこで夢から覚めた。後に科挙に及第し、官位を改めて、宣教郎として閩の地方官となった。以前の夢を思い、官位がここで止まるのではないかと恐れ、赴任したくなかった。親友たちが勧め、そのために文公に相談した。文公は長いあいだ考え込み、「分かった」と言った。そこで机の上の物を指して言った。「人と器は同じではない。筆は筆にしかなれず、硯にはなれない。剣は剣にしかなれず、琴にはなれない。だから、その成り立ちと毀れ方には、長い年月にわたって定まって変わらない数がある。ただ人はそうではなく、朝に盗跖だった者が夕べに舜になることもある。だから吉凶禍福もそれに従って変わり、一定とは言いがたい。今、あなたは任地に赴く。ただ力を尽くして善い事を行いなさい。前の夢は気にかけるに足りない」。廖は拝礼して教えを受け、のちに軍旗を執り割符を持つ要職を務め、官位は正郎に至った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』敏悟・占狀元孫龍光、状元に及第す。前一年、嘗て夢に積木数百あり、龍光、践履して往復す。既にして一人の李処士に請いて之を円かにせしむ。処士曰く、「郎君の喜びを賀す。来年、必ず是れ状元ならん。何となれば、己は衆材の上に居ればなり」と。郭俊、応挙の時、夢に一老僧の屐を著けて、臥榻の上に蹣跚として行くを見る。既に寤めて、甚だ之を悪む。占者曰く、「老僧は、上座なり。屐を著けて臥榻の上に行くは、行屐高きなり。君、其れ巍峨たらんか」と。榜を見るに及び、乃ち状元なり。
-
『智囊』敏悟・剃髭剃髮宋の李迪、鬚髯美なり。御試の日、剃削して倶に尽くるを夢む。占者曰く、「剃は替なり。解元は是れ劉滋なれども、今、滋に替わらん」と。果たして状元に及第す。曹確、度支を判し、亦た台輔の望み有り。或いは剃髪して僧と為るを夢み、心甚だ之を悪む。一士の善く夢を占う有り、確、召して之を詰る。此の士曰く、「前に侍郎を賀す。旦夕、必ず登庸せん。出家は、剃度なり。度と杜は音を同じくす。必ず杜に代わりて相と為らん」と。無何、杜相、出でて江西に鎮し、而して確、大拝す。
-
『智囊』敏悟・李仙藥給事の陳安平子、年満ちて選に赴く。郷人の李仙薬と臥す。夜に十一月に蚕を養うを夢む。仙薬占いて曰く、「十一月に蚕を養うは、冬糸なり。君、必ず東司に送られん」と。数日にして果たして吏部に送らる。饒陽の李瞿曇、勲官の番満ちて選ばる。夜に一母猪の極めて大なるを夢む。李仙薬占いて曰く、「母猪は、㹠主なり。君、必ず屯主を得ん」と。数日にして、果たして其の言の如し。
-
『智囊』敏悟・河水乾・成天子宋王、疾有り。夜、河水の乾くを夢み、憂い色に形る。以為えらく、君は龍なり。河に水無ければ、龍、其の居を失う。不祥なりと。宰輔の疾を問うに値り、此を以て之に詢う。或いは曰く、「河に水無きは、乃ち「可」の字なり。陛下の疾、当に可なるべし」と。帝、欣然とし、未だ幾ばくならずして疾愈ゆ。北斉の文宣、将に禅りを受けんとす。夢に人、筆を以て額に点ず。王曇哲、賀して曰く、「「王」の上に点を加うれば、乃ち「主」の字なり。位、当に進むべし」と。隋の文帝、未だ貴からざる時、嘗て夜に江中に泊し、左手無きを夢み、覚めて甚だ之を悪む。岸に登るに及び、一草庵に詣る。中に一老僧有り、道、極めて高し。具さに夢を以て之に告ぐ。僧、起ちて賀して曰く、「左手無き者は、独拳なり。当に天子と為るべし」と。後に帝興り、此の庵を建てて吉祥寺と為す。唐の太宗、劉文静と首謀するの夜、高祖、牀下に堕ち、遍身蟲蛆の食う所と為るを見るを夢む。甚だ之を悪む。安楽寺の智満禅師に詢うに、師曰く、「公、天下を得ん。牀下は、陛下なり。群蛆の食うは、所謂る群生共に一人を仰ぎて活くるのみ」と。高祖、其の言を嘉す。
-
『智囊』敏悟・先進場・曹良史昔、一士子、将に試に赴かんとし、先んじて場に進むを夢む。覚めて妻に語り、喜びて曰く、「今秋、必ず多士に魁たらん」と。妻曰く、「非なり。子は《魯論》の「先進第十一」を憶わざるか」と。後に果たして名は十一に在り。河東の裴元質、初めて進士に挙げられ、明朝に唱策せんとす。夜、一狗の竇より出づるを夢み、弓を挽いて之を射るに、其の箭、遂に撇す。以て不祥と為す。曹良史曰く、「吾、往に唱策の夜、亦た此の夢を為す。夢に神、吾が為に之を解して曰く、「狗」は「第」の字の頭なり。「弓」は「第」の字の身なり。箭は「第」の竪なり。撇有るは「第」と為るなり、と」と。尋いで唱策し、果たして夢の如し。
-
『智囊』敏悟・王戎・曾進王戎、人の七枚の椹子を以て之に与え、衣の襟中に著くるを夢む。既に覚めて、之を得たり。占いて曰く、「椹(桑の子)は、自後、男女大小、凡そ七たび喪せん」と。〔評〕夢椹代喪、明用甚だ雅なり。江西の曾迥、大比の秋に当たり、夢に一小児を抱く。忽ち此の児の右辺に又た一耳を生ずるを見る。少頃、此の児に両手無きを見る。以て不祥と為し、其の兄の進に語る。進曰く、「又た一耳を添うれば、「耳」と「又」は乃ち「取」の字なり。小児は子なり。子に両手無きは、乃ち「了」の字なり。爾、已に取り了るなり」と。衛生、已にして果たして然り。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る