智囊 / 敏悟・先進場・曹良史
昔一士子將赴試,夢先進場,覺而語妻,喜曰:「今秋必魁多士矣!」妻曰:「非也,子不憶《魯論》.『先進第十一』乎?」後果名在十一。河東裴元質初舉進士,明朝唱策,夜夢一狗從竇出,挽弓射之,其箭遂撇,以為不祥。曹良史曰:「吾往唱策之夜,亦為此夢,夢神為吾解之曰:『狗』者,『第』字頭也;『弓』,『第』字身也;箭者,『第』豎也;有撇,為『第』也。」尋唱策,果如夢焉。
新字:昔一士子将赴試,夢先進場,覚而語妻,喜曰:「今秋必魁多士矣!」妻曰:「非也,子不憶《魯論》.『先進第十一』乎?」後果名在十一。河東裴元質初舉進士,明朝唱策,夜夢一狗従竇出,挽弓射之,其箭遂撇,以為不祥。曹良史曰:「吾往唱策之夜,亦為此夢,夢神為吾解之曰:『狗』者,『第』字頭也;『弓』,『第』字身也;箭者,『第』豎也;有撇,為『第』也。」尋唱策,果如夢焉。
書き下し
昔、一士子、将に試に赴かんとし、先んじて場に進むを夢む。覚めて妻に語り、喜びて曰く、「今秋、必ず多士に魁たらん」と。妻曰く、「非なり。子は《魯論》の「先進第十一」を憶わざるか」と。後に果たして名は十一に在り。河東の裴元質、初めて進士に挙げられ、明朝に唱策せんとす。夜、一狗の竇より出づるを夢み、弓を挽いて之を射るに、其の箭、遂に撇す。以て不祥と為す。曹良史曰く、「吾、往に唱策の夜、亦た此の夢を為す。夢に神、吾が為に之を解して曰く、「狗」は「第」の字の頭なり。「弓」は「第」の字の身なり。箭は「第」の竪なり。撇有るは「第」と為るなり、と」と。尋いで唱策し、果たして夢の如し。
現代語訳
昔、ある受験生が試験に赴こうとして、夢で一番に試験場に入った。目覚めて妻に話し、喜んで言った。「今年の秋は必ず首席だ」。妻は言った。「違います。あなたは『論語』の『先進第十一』を覚えていないのですか」。後に果たして順位は十一位だった。河東の裴元質は、初めて進士の試験を受け、翌朝に合格発表を迎えようとしていた。夜、一匹の犬が穴から出る夢を見て、弓を引いて射たところ、矢がそれて外れた。不吉だと思った。曹良史は言った。「私も以前、発表の夜にこの夢を見た。夢の中で神が解いてくれた。『狗』は『第』の字の頭、『弓』は『第』の字の身、矢は『第』の縦棒、はねがあるのが『第』になる、と」。やがて発表があり、本当に夢のとおりだった。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』哀公十六年 熊宜僚、剣に動かず曰く、「王孫、何ぞ自ら厲ぐや」と。曰く、「勝は直を以て聞ゆ。女に告げずんば、庸ぞ直と為さんや。將に以て爾の父を殺さんとす」と。平、以て子西に告ぐ。子西曰く、「勝は卵の如し。余、翼して之を長ず。楚國の第、我死せば、令尹・司馬、勝に非ずして誰ぞ」と。勝、之を聞きて曰く、「令尹の狂なるや。死を得ば乃ち我に非ず」と。子西悛めず。勝、石乞に謂ひて曰く、「王と二卿士と、皆五百人もて之に當らば、則ち可なり」と。乞曰く、「得可からざるなり」と。曰く、「市の南に熊宜僚なる者有り。若し之を得ば、以て五百人に當る可し」と。乃ち白公に從ひて之を見る。之と言ひて說ぶ。之に故を告ぐ。辭す。之に承くるに劍を以てす。動かず。勝曰く、「利の為に諂はず、威の為に惕れず、人の言を洩らして以て媚を求めざる者なり」と。之を去る。吳人、慎を伐つ。白公、之を敗る。戰備を以て獻ぜんと請ふ。之を許す。遂に亂を作す。
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『養生訓』巻第二・総論下一養生の道は、たのむを戒む。わが身のつよきをたのみ、若きをたのみ、病の少しいゆるをたのむ、是皆わざはひの本なり。刃の鋭きをたのんで、かたき物を切れば刃折る。気のつよきをたのんで、みだりに気をつかへば気へる。脾腎のつよきをたのんで、飲食色慾を過せば病となる。
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『春秋左氏伝』昭公四年 多難、国を興す齊・楚は難多し。是の三者有り、何(いづ)れに鄉ひて濟らざらん」と。對へて曰く、「險と馬とを恃みて、鄰國の難を虞(たの)むは、是れ三殆なり。四嶽・三塗・陽城・大室・荊山・中南は、九州の險なり。是れ一姓ならず。冀の北土は、馬の生ずる所なるも、興國無し。險と馬とを恃むは、以って固しと為す可からざるなり。古より以って然り。是を以って先王は德音を務め脩めて、以って神人に亨(とほ)す。其の險と馬とを務むるを聞かざるなり。鄰國の難は、虞む可からざるなり。或いは難多くして以って其の國を固め、其の疆土を啟く。或いは難無くして以って其の國を喪ひ、其の守宇を失ふ。若何ぞ難を虞まん。齊に仲孫の難有りて桓公を獲、今に至るまで之に賴る。晉に里・丕の難有りて文公を獲、是を以って盟主と為る。衛・邢は難無く、敵も亦た之を喪ぼす。故に人の難は、虞む可からざるなり。此の三者を恃みて政德を脩めずんば、亡ぶるに暇あらず、又何ぞ能く濟らん。君其れ之を許せ。紂は淫虐を作し、文王は惠和なり。
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