智囊 / 善言・謝莊・裴楷・王份・王景文・崔光
莊,字希逸,孝武嘗賜莊寶劍,莊以與魯爽。後爽叛,帝偶問及劍所在,答曰:「昔與魯爽別,竊借為陛下杜郵之賜矣。」晉武始登阼,彩策得一,王者世數,視此多少;帝既不悅,君臣失色。侍中裴楷進曰:「臣聞:天得一以清,地得一以寧,侯王得一以為天下貞。」帝悅,君臣歎服。梁武帝問王侍中份:「朕為有耶,為無耶?」對曰:「陛下應萬物為有,體至理為無。」宋文帝釣天泉池,垂綸不獲,王景文曰:「良由垂綸者清,故不獲貪餌。」元魏高祖名子恂、愉、悅、懌,崔光名子劭、勖、勉。高祖曰:「我兒名旁皆有心,卿兒名旁皆有力。」對曰:「所謂君子勞心,小人勞力。」〔評議〕王弇州曰:「人雖以捷供奉,然語不妨雅致。若桓玄篡位,初登御牀而陷,殷仲文曰:「將由聖德深厚,地不能載。」梁武宮門災,謂群臣曰:「我意方欲更新。」何敬容曰:「此所謂先天而天弗違。」又,武帝即位,有猛虎入建康郭,象入江陵,上意不悅,以問群臣,無敢對者。王瑩曰:「昔『擊石拊石,百獸率舞。』陛下膺籙御圖,虎象來格。」縱極贍辭,不能不令人嘔穢。
新字:荘,字希逸,孝武嘗賜荘宝剣,荘以与魯爽。後爽叛,帝偶問及剣所在,答曰:「昔与魯爽別,窃借為陛下杜郵之賜矣。」晋武始登阼,彩策得一,王者世数,視此多少;帝既不悦,君臣失色。侍中裴楷進曰:「臣聞:天得一以清,地得一以寧,侯王得一以為天下貞。」帝悦,君臣嘆服。梁武帝問王侍中份:「朕為有耶,為無耶?」対曰:「陛下応万物為有,体至理為無。」宋文帝釣天泉池,垂綸不獲,王景文曰:「良由垂綸者清,故不獲貪餌。」元魏高祖名子恂、愉、悦、懌,崔光名子劭、勖、勉。高祖曰:「我児名旁皆有心,卿児名旁皆有力。」対曰:「所謂君子労心,小人労力。」〔評議〕王弇州曰:「人雖以捷供奉,然語不妨雅致。若桓玄篡位,初登御牀而陥,殷仲文曰:「将由聖徳深厚,地不能載。」梁武宮門災,謂群臣曰:「我意方欲更新。」何敬容曰:「此所謂先天而天弗違。」又,武帝即位,有猛虎入建康郭,象入江陵,上意不悦,以問群臣,無敢対者。王瑩曰:「昔『撃石拊石,百獣率舞。』陛下膺籙御図,虎象来格。」縦極贍辞,不能不令人嘔穢。
書き下し
謝荘、字は希逸。孝武嘗て荘に宝剣を賜う。荘以て魯爽に与う。後に爽叛す。帝偶たま剣の所在を問う。答えて曰く、「昔魯爽と別るるに、竊かに借りて陛下の杜郵の賜と為せり」と。晋武始めて阼に登る、彩策に得る所一にして、王者の世数は此の多少を視る。帝既に悦ばず、君臣色を失う。侍中裴楷進みて曰く、「臣聞く、天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く、侯王は一を得て以て天下の貞と為ると」と。帝悦び、君臣歎服す。梁武帝王侍中份に問う、「朕は有と為すか、無と為すか」と。対えて曰く、「陛下は万物に応ずるは有なり、至理を体するは無なり」と。宋文帝天泉池に釣り、綸を垂れて獲ず。王景文曰く、「良に綸を垂るる者清きに由り、故に貪餌を獲ず」と。元魏の高祖、子に恂・愉・悦・懌と名づく。崔光、子に劭・勖・勉と名づく。高祖曰く、「我が児の名の旁は皆な心有り、卿が児の名の旁は皆な力有り」と。対えて曰く、「所謂君子は心を労し、小人は力を労すなり」と。〔評議〕王弇州曰く、「人は捷を以て供奉すと雖も、語は雅致を妨げず。桓玄の位を篡うや、初めて御牀に登りて陥つ、殷仲文曰く、『将に聖徳深厚にして、地載する能わざるに由る』と。梁武の宮門災あり、群臣に謂いて曰く、『我が意方に更新せんと欲す』と。何敬容曰く、『此れ所謂先天にして天違わず』と。又た武帝即位す、猛虎有り建康の郭に入り、象江陵に入る。上意悦ばず、以て群臣に問うも、敢えて対うる無し。王瑩曰く、『昔「石を撃ち石を拊てば、百獣率い舞う」。陛下籙に膺り図を御す、虎象来格す』と」と。縦い極めて贍辞なるも、人をして嘔穢せしめざる能わず。
現代語訳
謝荘、字は希逸。孝武帝がかつて荘に宝剣を賜った。荘はそれを魯爽に与えた。のちに魯爽が反乱を起こした。帝はたまたま剣の所在を尋ねた。荘は答えた。「昔、魯爽と別れるとき、ひそかに、陛下が杜郵で賜る剣としてお貸ししておきました」。晋の武帝が帝位に就いたとき、占いの札を引くと「一」が出た。王者の世代の数は、この数の多少で見るので、帝は喜ばず、君臣は顔色を失った。侍中の裴楷が進み出て言った。「私は聞いております。天は一を得て清く、地は一を得て安らぎ、侯王は一を得て天下の正となる、と」。帝は喜び、君臣は感嘆して服した。梁の武帝が侍中の王份に尋ねた。「朕は有か、無か」。王份は答えた。「陛下は万物に応じるという点では有であり、至高の道理を体するという点では無です」。宋の文帝が天泉池で釣りをして、糸を垂れたが釣れなかった。王景文は言った。「糸を垂れる方が清らかでいらっしゃるので、貪欲な魚が餌に食いつかないのです」。北魏の高祖は子に恂・愉・悦・懌と名づけた。崔光は子に劭・勖・勉と名づけた。高祖は言った。「我が子の名の旁にはみな心がある。卿の子の名の旁にはみな力がある」。崔光は答えた。「いわゆる、君子は心を労し、小人は力を労する、ということです」。〔評議〕王弇州はいう。「人は機敏さで主君に仕えるとしても、言葉に雅趣があることは妨げない。桓玄が帝位を奪って初めて玉座に登ったとき、座が崩れ落ちた。殷仲文は『聖徳があまりに深く厚いので、大地が支えきれないのです』と言った。梁の武帝の宮門が火災に遭い、群臣に『私の意は更新しようとしていたところだ』と言うと、何敬容は『これがいわゆる、天に先んじて行い、天もそれに違わない、ということです』と言った。また武帝が即位したとき、猛虎が建康の城外に入り、象が江陵に入った。帝の気が晴れず、群臣に尋ねたが、誰も答えられなかった。王瑩は言った。『昔、石を撃ち石を叩けば百獣が率いて舞ったといいます。陛下は天命を受けて図籙を治められ、虎や象が来朝したのです』」。たとえ言葉が極めて豊かであっても、人に吐き気を催させずにはいられない。
解説
この章句が説くこと
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