智囊 / 靈變・宗典・李穆・曇永
晉元帝叔父東安王繇,為成都王穎所害,懼禍及,潛出奔。至河陽,為津吏所止,從者宗典後至,以馬鞭拂之,謂曰:「舍長,官禁貴人,而汝亦被拘耶?」因大笑,由是得釋。宇文泰與侯景戰,泰馬中流矢,驚逸,泰墜地。東魏兵及之,左右皆散。李穆下馬,以策擊泰背,罵之曰:「籠凍軍士,爾曹主何在?而獨留此?」追者不疑是貴人,因舍而過。穆以馬授泰,與之俱逸。王廞之敗,沙門曇永匿其幼子華,使提衣襆自隨,津邏疑之,曇永呵華曰:「奴子何不速行?」捶之數十,由是得免。
新字:晋元帝叔父東安王繇,為成都王穎所害,懼禍及,潜出奔。至河陽,為津吏所止,従者宗典後至,以馬鞭払之,謂曰:「舎長,官禁貴人,而汝亦被拘耶?」因大笑,由是得釈。宇文泰与侯景戦,泰馬中流矢,驚逸,泰墜地。東魏兵及之,左右皆散。李穆下馬,以策撃泰背,罵之曰:「籠凍軍士,爾曹主何在?而独留此?」追者不疑是貴人,因舎而過。穆以馬授泰,与之倶逸。王廞之敗,沙門曇永匿其幼子華,使提衣襆自随,津邏疑之,曇永呵華曰:「奴子何不速行?」捶之数十,由是得免。
書き下し
晋の元帝の叔父東安王繇、成都王穎の害する所と為り、禍の及ぶを懼れ、潜かに出奔す。河陽に至り、津吏の止むる所と為る。従者の宗典後れて至り、馬鞭を以て之を払い、謂いて曰く、「舎長よ、官は貴人を禁ず。而るに汝も亦た拘らるるか」と。因りて大いに笑い、是に由り釈くを得たり。宇文泰、侯景と戦い、泰の馬、流矢に中たり、驚き逸して、泰は地に墜つ。東魏の兵之に及び、左右皆散ず。李穆、馬より下り、策を以て泰の背を撃ち、之を罵りて曰く、「籠凍の軍士よ、爾の曹の主は何くに在りや。而るに独り此に留まるか」と。追う者、是れ貴人なるを疑わず、因りて舎きて過ぐ。穆、馬を以て泰に授け、之と俱に逸す。王廞の敗るるや、沙門曇永、其の幼子華を匿し、衣襆を提げて自ら随わしむ。津邏之を疑う。曇永、華を呵りて曰く、「奴子よ、何ぞ速く行かざる」と。之を捶つこと数十、是に由り免るるを得たり。
現代語訳
晋の元帝の叔父である東安王の司馬繇は、成都王の司馬穎に害されることになり、禍が及ぶのを恐れ、ひそかに出奔した。河陽に着いたところで、渡し場の役人に止められた。従者の宗典が遅れてやってきて、馬の鞭で司馬繇を払うようにたたき、言った。「舎長よ、官は貴人の通行を禁じている。それなのに、おまえも拘束されたのか」。そして大笑いし、これによって解放された。宇文泰は侯景と戦い、泰の馬が流れ矢に当たり、驚いて暴れ、泰は地面に落ちた。東魏の兵が迫り、左右の者はみな散ってしまった。李穆は馬から降り、鞭で泰の背中を打ち、罵って言った。「このおちぶれた兵卒め、おまえたちの主人はどこにいる。それなのにおまえ一人だけがここにいるのか」。追っ手は貴人ではないと信じ、そのまま見逃して通り過ぎた。李穆は馬を泰に渡し、二人で一緒に逃れた。王廞が敗れたとき、僧の曇永は、その幼い子の王華をかくまい、着物の包みを持たせて自分についてこさせた。渡し場の見張りがこれを疑った。曇永は王華を叱って言った。「この奴婢の子め、なぜ早く歩かないのか」。数十回打ち、これによって免れることができた。
解説
この章句が説くこと
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