智囊 / 靈變・元伯顏・徐敬業
有告乃顏反者,詔伯顏窺覘之。乃多載衣裘,入其境,輒以與驛人。既至,乃顏為設宴,謀執之。伯顏覺,與其從者趨出,分三道逸去。驛人以得衣裘故,爭獻健馬,遂得脫。徐敬業十餘歲,好彈射。英公每曰:「此兒相不善,將赤吾族。」嘗因獵,命敬業入林趁獸,因乘風縱火,意欲殺之。敬業知無所避,遂屠馬腹伏其中。火過,浴血而立,英公大奇之。〔述評〕凡子弟負跅鍮之奇者,恃才不檢,往往為家門之禍。如敬業破轅之兆,見於童年。英公明知其為族祟,而竟不能除之,豈終惜其才智乎?抑英公勸立武氏,殺唐子孫殆盡,天故以敬業酬之也!諸葛恪有異才,其父瑾歎曰:「此子不大昌吾宗,將赤吾族!」其後果以逆誅。隋楊智積文帝姪。有五男,止教讀《論語》、《孝經》,不令通賓客。或問故,答曰:「多讀書,廣交遊,才由是益。有才亦能產禍。」人服其識。
新字:有告乃顔反者,詔伯顔窺覘之。乃多載衣裘,入其境,輒以与駅人。既至,乃顔為設宴,謀執之。伯顔覚,与其従者趨出,分三道逸去。駅人以得衣裘故,争献健馬,遂得脱。徐敬業十余歳,好弾射。英公毎曰:「此児相不善,将赤吾族。」嘗因猟,命敬業入林趁獣,因乗風縦火,意欲殺之。敬業知無所避,遂屠馬腹伏其中。火過,浴血而立,英公大奇之。〔述評〕凡子弟負跅鍮之奇者,恃才不検,往往為家門之禍。如敬業破轅之兆,見於童年。英公明知其為族祟,而竟不能除之,豈終惜其才智乎?抑英公勧立武氏,殺唐子孫殆尽,天故以敬業酬之也!諸葛恪有異才,其父瑾嘆曰:「此子不大昌吾宗,将赤吾族!」其後果以逆誅。隋楊智積文帝姪。有五男,止教読《論語》、《孝経》,不令通賓客。或問故,答曰:「多読書,広交遊,才由是益。有才亦能産禍。」人服其識。
書き下し
乃顔の反するを告ぐる者有り。詔して伯顔にこれを窺覘せしむ。乃ち多く衣裘を載せて、その境に入り、輒ち以て駅人に与う。既に至るや、乃顔は為に宴を設け、執えんことを謀る。伯顔は覚り、その従者と趨り出で、三道に分かれて逸れ去る。駅人は衣裘を得たるを以ての故に、争いて健馬を献じ、遂に脱するを得たり。徐敬業は十余歳にして、弾射を好む。英公は毎に曰く、「この児は相善からず、将に我が族を赤せんとす」と。嘗て猟に因り、敬業に命じて林に入りて獣を趁わしめ、因りて風に乗じて火を縦ち、意に殺さんと欲す。敬業は避くる所無きを知り、遂に馬の腹を屠りてその中に伏す。火過ぎて、血に浴して立てば、英公はこれを大いに奇とす。〔述評〕凡そ子弟の跅鍮の奇を負う者は、才を恃みて検せず、往往にして家門の禍と為る。敬業の破轅の兆しの如きは、童年に見る。英公は明らかにその族の祟りたるを知りながら、竟にこれを除く能わず、豈に終に其の才智を惜しめるか。抑も英公は武氏を立つることを勧め、唐の子孫を殺すこと殆ど尽くせり、天は故に敬業を以てこれに酬いしならん。諸葛恪に異才有り、その父瑾は歎じて曰く、「この子は大いに我が宗を昌んにせずんば、将に我が族を赤せん」と。その後、果たして逆を以て誅せらる。隋の楊智積は文帝の姪なり。五男有るも、ただ《論語》《孝経》を読むことを教え、賓客に通ぜしめず。或いは故を問えば、答えて曰く、「多く書を読み、広く交遊すれば、才は是に由りて益す。才有れば亦た能く禍を産む」と。人はその識に服す。
現代語訳
乃顔が謀反したと告げる者がいた。詔によって伯顔が様子を探りに行くことになった。伯顔は衣や毛皮をたくさん積み込んで乃顔の領内に入り、行く先々の宿駅の者に分け与えた。到着すると、乃顔は宴を設けたが、捕らえようとたくらんでいた。伯顔はそれに気づき、従者とともに走り出て、三つの道に分かれて逃げた。宿駅の者たちは衣や毛皮をもらった恩があるので、われ先に足の速い馬を差し出し、そのおかげで伯顔は脱出できた。徐敬業は十歳余りのころ、弓や飛び道具を好んだ。祖父の英公はいつも、「この子は人相がよくない。いずれ我が一族を滅ぼすだろう」と言っていた。あるとき狩りに出て、敬業に林に入って獣を追わせ、風に乗せて火を放ち、殺そうとした。敬業は逃げ場がないと悟り、馬の腹を裂いてその中に身を伏せた。火が通り過ぎたあと、血まみれで立つ姿を見て、英公はたいそう驚き感心した。〔述評〕およそ子弟のうち、並外れた奇才の持ち主は、才をたのんで自分を律せず、しばしば家の禍となる。敬業が馬の腹に伏して難を逃れた兆しは、子どものころにすでに現れていた。英公は一族の祟りになると知りながら、結局除くことができなかった。それとも最後までその才智を惜しんだのだろうか。思うに、英公は武氏を皇后に立てるよう勧め、唐の子孫をほとんど殺し尽くさせたので、天がその報いとして敬業を与えたのだろう。諸葛恪には並外れた才があり、父の諸葛瑾は嘆いて、「この子は我が家を栄えさせるどころか、一族を滅ぼすだろう」と言った。のちに恪は果たして反逆の罪で誅殺された。隋の楊智積は文帝の甥で、五人の息子がいたが、ただ『論語』『孝経』だけを読ませ、客と付き合わせなかった。理由を問われると、「たくさん本を読み、広く交際すれば、才は増す。だが才があれば、禍も生みやすい」と答えた。人々はその見識に感服した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』宣公十二年 人に先んずる趙嬰齊其の徒をして先づ舟を河に具へしむ、故に敗れて先づ濟る。潘黨既に魏錡を逐ふ。趙旃夜楚の軍に至り、軍門の外に席して、其の徒をして之に入らしむ。楚子乘廣三十乘を為り、分ちて左右と為す。右廣は、雞鳴にして駕し、日中にして說く。左則ち之を受け、日入にして說く。許偃右廣に御し、養由基右と為る。彭名左廣に御し、屈蕩右と為る。乙卯、王左廣に乘りて、以て趙旃を逐ふ。趙旃車を棄てて林に走る、屈蕩之に搏ちて、其の甲裳を得たり。晉人二子の楚の師を怒らせんことを懼るるや、軘車をして之を逆へしむ。潘黨其の塵を望み、騁せて告げしめて曰く、「晉の師至れり」と。楚人も亦た王の晉の軍に入らんことを懼るるや、遂に出でて陳す。孫叔曰く、「之を進めよ。寧ろ我人に薄るとも、人の我に薄ること無かれ。詩に云ふ、『元戎十乘、以て先づ行を啟く』と、人に先んずるなり。軍志に曰く、『人に先んずれば人の心を奪ふこと有り』と、之に薄るなり」と。遂に疾く師を進め、車馳せ卒奔りて、晉の軍に乘ず。桓子為す所を知らず、軍中に鼓して、曰く、「先づ濟る者には賞有り」と。
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 先んずれば人の心を奪う冬、十月、華登吳の師を以って華氏を救ふ。齊の烏枝鳴宋を戍る。廚人濮曰く、「軍志に之れ有り、『人に先んずれば人の心を奪ふ有り、人に後るれば其の衰へを待つ有り』と。盍ぞ其の勞して且つ未だ定まらざるに及びて、諸を伐たざる。若し入りて固くせば、則ち華氏衆からん。悔ゆとも及ぶ無からん」と。之に從ふ。丙寅、齊の師・宋の師、吳の師を鴻口に敗り、其の二帥、公子苦雂・偃州員を獲たり。華登、其の餘を帥ゐて以って宋の師を敗る。公出でんと欲す。廚人濮曰く、「吾は小人なり、死を藉(か)す可くして亡を送る能はず。君請ふ之を待て」と。乃ち徇へて曰く、「徽を楊ぐる者は、公の徒なり」と。衆之に從ふ。公楊門より之を見、下りて之を巡りて曰く、「國亡び君死するは、二三子の恥なり。豈に專ら孤の罪ならんや」と。齊の烏枝鳴曰く、「少を用ゐるは齊しく死を致すに如くは莫く、齊しく死を致すは備へを去るに如くは莫し。彼は兵多し。
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孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
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論語・顔淵篇子曰く、『君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。』
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『驢鞍橋』卷上其夜半に左右の者に向て曰、此寺の宗元は如何程志付きたるや心元なし。かいもく無道心の者はせんず様なし。少しなりとも志有る者には、無理にも仏法すり付けたく思ふ也。中々胸の中に入つてなりとも起させたく思ふ也。
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『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事地かたには吟味役と云ふものありて将のやうなる者なれとも助なし、頭大勢なり、町奉行は助も允も尽く内与力と云ふものを家来に拵へて取捌かすること宜しからさることなり、寺社奉行は全く家来はかりを使ふ故、役替れは皆新規になりてものになれす、御奏者は家来を殿中へ呼ひてをし合なと云ふやう成ることをさするたくひ宜しからさることなり、御老中には若老中すけのやうなるものにて祐筆の組頭なそさんにもあたるへけれとも、しやうのやうなるものなくてこと足らす、若老中にも亦御旗本の支配をする所勤め各別なり、御老中若老中寺社奉行なとは大名にて家来を召しつかふて用ひ定る様なれとも、公儀の御用に家来をなれさすること詮なし、あたら御旗本を箇様のことに召し仕はれす候故、御旗本の者共に才智つかす、特に大名はものことに下の情に疎きものなり、学ても平人のことく得せぬものなり、されとも此等の御役は皆禄の相応有りて仰せ付けらるゝことなれは平人に仰せ付けられかたし、何れも御旗本の学問も有り才智あるものを、その下役にして使ひ立ては夫より外の役に仰せ付けらるゝにも事もなれ、又才智のほとも知れて宜かるへし、兎角に何の役にも頭役添役下役留役と云ふものを拵へ置かは諸事の為め宜かるへきなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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