智囊 / 善言・史丹
漢元帝不喜太子。時中山哀王薨,太子前弔。哀王者,帝之少弟,與太子同學,相長大。上望見太子,感念哀王,悲不自止,睹太子不哀,大恨曰:「安有人不慈仁而可奉宗廟、為民父母乎?」太傅史丹免冠謝曰:「臣誠見陛下哀痛中山王,至於感損。向者太子當進見,臣切戒屬,無涕泣感傷陛下,罪乃在臣,當死。」上以為然,意乃解。〔述評〕此與上官桀「意不在馬」之對同,而忠佞自分。
新字:漢元帝不喜太子。時中山哀王薨,太子前弔。哀王者,帝之少弟,与太子同学,相長大。上望見太子,感念哀王,悲不自止,睹太子不哀,大恨曰:「安有人不慈仁而可奉宗廟、為民父母乎?」太傅史丹免冠謝曰:「臣誠見陛下哀痛中山王,至於感損。向者太子当進見,臣切戒属,無涕泣感傷陛下,罪乃在臣,当死。」上以為然,意乃解。〔述評〕此与上官桀「意不在馬」之対同,而忠佞自分。
書き下し
漢の元帝太子を喜ばず。時に中山哀王薨じ、太子前みて弔う。哀王は、帝の少弟にして、太子と学を同じくし、相い長大す。上太子を望み見て、哀王を感念し、悲しみて自ら止まらず、太子の哀しまざるを睹て、大いに恨みて曰く、「安んぞ人の慈仁ならずして宗廟を奉じ、民の父母たるべき者有らんや」と。太傅史丹冠を免ぎて謝して曰く、「臣誠に陛下の哀痛を中山王に見、感損に至る。向者太子当に進み見ゆべきとき、臣切に戒め属し、涕泣して陛下を感傷せしむること無かれと。罪は乃ち臣に在り、当に死すべし」と。上以て然りと為し、意乃ち解く。〔述評〕此れ上官桀の「意は馬に在らず」の対と同じ、而れども忠佞自ずから分かる。
現代語訳
漢の元帝は太子を好まなかった。そのとき中山哀王が亡くなり、太子が進み出て弔った。哀王は帝の年の離れた弟で、太子と一緒に学び、ともに成長した人だった。帝は太子を見て哀王を思い出し、悲しみがやまず、太子が悲しんでいないのを見て、大いに恨んで言った。「慈しみの心のない者が、宗廟を奉じ、民の父母となることがあってよいものか」。太傅の史丹は冠を脱いで謝罪して言った。「私は陛下が中山王を悼まれ、お体を損なうほどであるのを拝見しました。さきほど太子が進み出てお目にかかるとき、私が固く戒めて、泣いて陛下をさらにお悲しませしてはならないと申しつけたのです。罪は私にあり、死に当たります」。帝はもっともだと思い、怒りが解けた。〔述評〕これは上官桀が「心は馬にありません」と答えた話と同じ形だが、忠か佞かは自ずと分かれる。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』剖疑・雋不疑漢の昭帝の五年、男子の闕に詣りて、自ら衛太子と謂う者有り。詔して公卿以下に之を視しむるに、皆な敢えて言を発する莫し。京兆尹雋不疑、後れて至り、従吏を叱して収縛せしめて曰く、「衛の蒯聵、出奔し、衛の輒、拒みて納れず、『春秋』は之を是とす。太子は先帝に罪を得、亡げて即ちに死せず。今、来たりて自ら詣る。此れ罪人なり」と。遂に詔獄に送る。上と霍光、聞きて之を嘉みして曰く、「公卿大臣は当に経術有り、大誼に明らかなる者を用うべし」と。是れに由りて不疑の名、朝廷に重し。後に廷尉、験治するに、誣罔に坐して腰斬せらる。〔馮述評〕国に二君無し。此の際、人心を一にし、浮議を絶たんと欲せば、只だ合に此くの如く断決すべし。其の『春秋』を説くは是ならずと雖も、時に方に経術を推重す。章を断ち義を取らずんば、亦た信を取るに足らず。『公羊』は衛輒の父を拒むを以て祖を尊ぶと為す。想うに当時の儒者も亦た此の論を主とせん。
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『智囊』善言・晏子・敬新磨景公に馬有り、其の圉人之を殺す。公怒り、戈を援きて将に自ら之を撃たんとす。晏子曰く、「此れ其の罪を知らずして死せん。臣請う、君の為に之を数えん」と。公曰く、「諾」と。晏子戈を挙げて之に臨みて曰く、「汝は我が君の為に馬を養いて之を殺せり、而して罪は死に当たる。汝は吾が君をして馬の故を以て圉人を殺さしむ、而して罪又死に当たる。汝は吾が君をして馬の故を以て圉人を殺し、四隣の諸侯に聞かしむ、而して罪又死に当たる」と。公曰く、「夫子之を釈せ、吾が仁を傷つくること勿かれ」と。後唐の荘宗中牟に猟し、民田を践み蹂む。中牟の令馬に当たりて諫む。荘宗大いに怒り、叱りて斬らしめんと命ず。伶人敬新磨、諸伶を率いて其の令を走り追い、擒えて馬前に至り、之を数えて曰く、「汝は県令たり、独り天子の田猟を好むを聞かざるか。奈何ぞ民をして稼穡を縦にし、以て歳賦を供せしむる。何ぞ汝の民を飢餓せしめ、此の田地を空しくして、以て天子の馳せ逐うを待たざる。汝の罪は死に当たる。亟かに行刑を請う」と。諸伶復た唱和す。是に於いて荘宗大笑し、之を赦す。
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