智囊 / 剖疑・張說・李泌
或告主淫亂,且厭禱,上大怒,幽主於禁中,切責太子。太子請與蕭妃離婚。上召李泌告之,且曰:「舒王近已長,孝友溫仁。」泌曰:「陛下唯一子,奈何欲廢之而立姪?」上怒曰:「卿何得間人父子!誰語卿舒王為姪者?」對曰:「陛下自言之。大曆初,陛下語臣:『今日得數子。』臣請其故,陛下言『昭靖諸子,主上令吾子之。』今陛下所生之子猶疑之,何有於姪?舒王雖孝,自今陛下宜努力,勿復望其孝矣。」上曰:「卿違朕意,何不愛家族耶?」對曰:「臣為愛家族,故不敢不盡言。若畏陛下盛怒而為曲從,陛下明日悔之,必尤臣云:『吾任汝為相,不力諫,使至此。』必復殺臣子。臣老矣,餘年不足惜,若冤殺臣子,以姪為嗣,臣未得歆其祀也。」因嗚咽流涕。上亦泣曰:「事已如此,使朕如何而可?」
新字:或告主淫乱,且厭祷,上大怒,幽主於禁中,切責太子。太子請与蕭妃離婚。上召李泌告之,且曰:「舒王近已長,孝友温仁。」泌曰:「陛下唯一子,奈何欲廃之而立姪?」上怒曰:「卿何得間人父子!誰語卿舒王為姪者?」対曰:「陛下自言之。大暦初,陛下語臣:『今日得数子。』臣請其故,陛下言『昭靖諸子,主上令吾子之。』今陛下所生之子猶疑之,何有於姪?舒王雖孝,自今陛下宜努力,勿復望其孝矣。」上曰:「卿違朕意,何不愛家族耶?」対曰:「臣為愛家族,故不敢不尽言。若畏陛下盛怒而為曲従,陛下明日悔之,必尤臣云:『吾任汝為相,不力諫,使至此。』必復殺臣子。臣老矣,余年不足惜,若冤殺臣子,以姪為嗣,臣未得歆其祀也。」因嗚咽流涕。上亦泣曰:「事已如此,使朕如何而可?」
書き下し
或るひと、主の淫乱を告げ、且つ厭禱すと言う。上、大いに怒り、主を禁中に幽し、太子を切責す。太子、蕭妃と離婚せんことを請う。上、李泌を召して之に告げ、且つ曰く、「舒王は近ごろ已に長じ、孝友にして温仁なり」と。泌曰く、「陛下は唯だ一子のみなるに、奈何ぞ之を廃して姪を立てんと欲するか」と。上、怒りて曰く、「卿、何ぞ人の父子を間つることを得んや。誰か卿に舒王を姪と為すと語りしか」と。対えて曰く、「陛下、自ら之を言う。大暦の初め、陛下、臣に語りたまう、『今日、数子を得たり』と。臣、其の故を請えば、陛下言う、『昭靖の諸子は、主上、吾をして之を子とせしむ』と。今、陛下の生む所の子すら猶お之を疑う。姪に於いて何か有らん。舒王、孝なりと雖も、今より陛下宜しく努力して、復た其の孝を望むこと勿かるべし」と。上曰く、「卿、朕の意に違う。何ぞ家族を愛さざるか」と。対えて曰く、「臣、家族を愛すと為す、故に敢えて言を尽くさざるべからず。若し陛下の盛怒を畏れて曲従を為さば、陛下、明日之を悔い、必ず臣を尤めて云わん、『吾、汝を任じて相と為す。力めて諫めず、此に至らしむ』と。必ず復た臣の子を殺さん。臣は老いたり。余年は惜しむに足らず。若し臣の子を冤殺し、姪を以て嗣と為さば、臣、未だ其の祀を歆くるを得ざるなり」と。因りて嗚咽流涕す。上も亦た泣きて曰く、「事、已に此くの如し。朕をして如何にして可ならしむる」と。
現代語訳
ある者が、公主(郜国大長公主)が淫乱で、さらに呪詛をしていると告げた。天子は大いに怒り、公主を宮中に幽閉し、太子を厳しく責めた。太子は蕭妃との離婚を願い出た。天子は李泌を召してこのことを告げ、さらに言った。「舒王は近ごろ成長し、孝行で友愛があり温厚で情け深い」。泌は言った。「陛下にはただ一人の子しかおられないのに、なぜその子を廃して甥を立てようとなさるのですか」。天子は怒って言った。「卿はなぜ他人の父子の仲を裂こうとするのか。誰が卿に舒王を甥だなどと言ったのか」。泌は答えた。「陛下ご自身がおっしゃいました。大暦の初め、陛下は私に『今日、数人の子を得た』と言われました。私がその理由を尋ねると、陛下は『昭靖太子の諸子を、父上(代宗)が私の子とするよう命じた』と言われました。今、陛下がお産みになった子すら疑っておられるのに、まして甥など疑いなしにお信じになれましょうか。舒王が孝行であっても、今から陛下は努力して、もはやその孝行を期待なさいますな」。天子は言った。「卿は朕の意に逆らう。自分の家族が惜しくないのか」。泌は答えた。「私は家族を大切に思えばこそ、あえて言葉を尽くさないわけにはいかないのです。もし陛下の激しい怒りを恐れて曲げて従えば、陛下は明日これを悔いて、必ず私を責めて『私は汝を宰相に任じたのに、力を尽くして諫めず、こうなってしまった』とおっしゃるでしょう。そして私の子をまた殺すでしょう。私は老いました。余命は惜しくありません。しかし、もし私の子を冤罪で殺し、甥を後継ぎにされたなら、私は祭りを受けることができません」。そう言って嗚咽し、涙を流した。天子もまた泣いて言った。「事はすでにこうなった。朕はどうすればよいのか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。
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