智囊 / 善言・解縉
解縉應制題「虎顧從彪圖」,曰:「虎為百獸尊,誰敢觸其怒。唯有父子情,一步一回顧。」文皇見詩有感,即命夏原吉迎太子於南京。文皇與解縉同游。文皇登橋,問縉:「當作何語?」縉曰:「此謂『一步高一步』。」及下橋,又問之,縉曰:「此謂『後面更高似前面』。」
新字:解縉応制題「虎顧従彪図」,曰:「虎為百獣尊,誰敢触其怒。唯有父子情,一歩一回顧。」文皇見詩有感,即命夏原吉迎太子於南京。文皇与解縉同游。文皇登橋,問縉:「当作何語?」縉曰:「此謂『一歩高一歩』。」及下橋,又問之,縉曰:「此謂『後面更高似前面』。」
書き下し
解縉、制に応じて「虎顧従彪図」に題して曰く、「虎は百獣の尊たり、誰か敢えて其の怒りに触れん。唯だ父子の情有り、一歩一回顧す」と。文皇詩を見て感有り、即ち夏原吉に命じて太子を南京に迎えしむ。文皇解縉と同に游ぶ。文皇橋に登り、縉に問う、「当に何の語を作すべき」と。縉曰く、「此れ『一歩高きこと一歩』と謂う」と。橋を下るに及び、又之を問う。縉曰く、「此れ『後面更に高きこと前面に似る』と謂う」と。
現代語訳
解縉は勅命に応じて「虎が子を顧みる図」に題する詩を作った。「虎は百獣の長、誰があえてその怒りに触れようか。ただ父子の情があって、一歩ごとに振り返る」。文皇はこの詩を見て心を動かされ、すぐに夏原吉に命じて太子を南京から迎えさせた。文皇は解縉と連れ立って遊んだ。文皇が橋に登り、縉に「どんな言葉を言うべきか」と尋ねると、縉は「これは『一歩ごとに高い』ということです」と答えた。橋を下りるときにも同じことを問うと、縉は「これは『後ろの方が前よりさらに高い』ということです」と答えた。
解説
解縉は、虎の親子の絵に題する詩で、虎でさえ子を振り返るという父子の情に訴え、後継をめぐって遠ざけられていた太子を呼び戻させました。さらに橋の上の戯れ言では、一歩ごとに高くなる、後ろの方がなお高いと答えて、太子とその子へと続く系譜の盛り立てを暗示しています。後の句は太子の子、のちの宣宗への期待を含むと読むのが通説ですが、原文だけでは確かでない所もあります。重大な人事の問題を、詩画や会話の中に忍ばせ、主君の面目を損なわず方向づける、言葉選びの技量が伝わります。
この章句が説くこと
虎顧従彪図一歩一回顧一歩高一歩後継詩諷人事
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