智囊 / 辯才・王維
弘治時,有希進用者上章,謂山西紫碧山產有石膽,可以益壽。遣中官經年採取,不獲,民咸告病。按察使王維,令彩小石子類此者一升,以示中官。中官怒,曰:「此搪塞耳,其物載諸書中,何以謂無?」公曰:「鳳凰、麒麟,皆古書所載,今果有乎?」
新字:弘治時,有希進用者上章,謂山西紫碧山産有石胆,可以益寿。遣中官経年採取,不獲,民咸告病。按察使王維,令彩小石子類此者一升,以示中官。中官怒,曰:「此搪塞耳,其物載諸書中,何以謂無?」公曰:「鳳凰、麒麟,皆古書所載,今果有乎?」
書き下し
弘治の時、進用を希う者有り、章を上りて、山西の紫碧山に石胆を産し、以て寿を益す可しと謂う。中官を遣わして年を経て採取せしむるも獲ず、民咸な病むと告ぐ。按察使王維、小石子の此れに類する者一升を彩らしめ、以て中官に示す。中官怒りて曰く、「此れ搪塞のみ。其の物は書中に載す。何を以て無しと謂う」。公曰く、「鳳凰・麒麟は、皆古書に載する所なり。今果たして有るか」。
現代語訳
弘治年間に、立身出世を望む者がいて、上奏文を出し、山西の紫碧山に石胆を産出し、寿命を延ばすことができると言いました。宦官を遣わして長い年月、採取させましたが得られず、民はみな苦しみました。按察使の王維は、これに似た小石を一升採らせ、宦官に見せました。宦官は怒って言いました。「これはごまかしだ。その物は書物に載っている。どうして無いと言えるのか。」王維は言いました。「鳳凰や麒麟は、みな古い書物に載っています。今、本当にいるでしょうか。」
解説
書物に載っているから存在するはずだという相手に、同じく書物に載っている鳳凰や麒麟を引いて、記録と実在は別だと示した短い話です。権威や前例への信仰を、同じ土俵の例で崩す方法は、理屈の通じにくい相手に有効です。ここでは、根拠のない命令のために民が苦しんでいる状況で、王維が現場の実情を守るために切り返しています。上からの無理な指示を、真正面から拒否するのでなく、相手の論理の穴を笑いのような形で指摘する手法は、現代の組織にも役立ちます。ただし、事実を確認せずに引用だけで押し切る危うさへの戒めとしても読めます。
この章句が説くこと
石胆鳳凰麒麟搪塞権威への反論民の苦現場の実情
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