智囊 / 辯才・張嘉言
張公意色安閒,命呼知事者五六人登階述其故。眾兵俱擁而前,即叱下堂,曰:「人言囂亂,殊不便聽。」眾兵乃下。時天雨甚,兵衣盡濕,張公亦不顧,但令此六人者好言之。六人嘵嘵,稱舊無減例。張公曰:「此事我亦與聞,汝等全不出汛,卻難怪上人也。汝欲不減亦使得,雖然,亦非汝之利也。上司自今使汝等與參、游兵每歲更迭出汛,汝寧得不往乎?若往,則汝等且稱參、游兵,工食減半矣。汝所爭而存者,非汝所能享,而參、游兵之來代者所得也。何不聽其稍減,而汝等猶得歲歲稱大將軍兵乎?汝等試思之!」此六人俯首不能對,唯曰:「願爺爺轉達寬恤。」張公曰:「汝等姓名為誰?」各相顧不肯言。張公罵曰:「汝等不言姓名,上司問我『誰來稟汝』,何以對之?不妨說來,自有處也。」乃始各言姓名而記之。張公曰:「汝等傳語諸人,此事自當有處,甚無嘩。諸人而嘩,汝之六人者各有姓名,上司皆斬汝首矣。」六人失色,唯唯而退。後議諸兵每月減銀一錢,兵竟無嘩者。〔議〕說得道理透徹,利害分明,不覺氣平而心順矣。凡以減省激變者,皆不善處分之過!
新字:張公意色安閒,命呼知事者五六人登階述其故。衆兵倶擁而前,即叱下堂,曰:「人言囂乱,殊不便聴。」衆兵乃下。時天雨甚,兵衣尽湿,張公亦不顧,但令此六人者好言之。六人嘵嘵,称旧無減例。張公曰:「此事我亦与聞,汝等全不出汛,却難怪上人也。汝欲不減亦使得,雖然,亦非汝之利也。上司自今使汝等与参、游兵毎歳更迭出汛,汝寧得不往乎?若往,則汝等且称参、游兵,工食減半矣。汝所争而存者,非汝所能享,而参、游兵之来代者所得也。何不聴其稍減,而汝等猶得歳歳称大将軍兵乎?汝等試思之!」此六人俯首不能対,唯曰:「願爺爺転達寛恤。」張公曰:「汝等姓名為誰?」各相顧不肯言。張公罵曰:「汝等不言姓名,上司問我『誰来稟汝』,何以対之?不妨説来,自有処也。」乃始各言姓名而記之。張公曰:「汝等伝語諸人,此事自当有処,甚無嘩。諸人而嘩,汝之六人者各有姓名,上司皆斬汝首矣。」六人失色,唯唯而退。後議諸兵毎月減銀一銭,兵竟無嘩者。〔議〕説得道理透徹,利害分明,不覚気平而心順矣。凡以減省激変者,皆不善処分之過!
書き下し
張公意色安閑として、知事者五六人を呼びて階に登りて其の故を述べしむ。衆兵倶に擁して前むに、即ち叱りて堂を下らしめて曰く、「人言囂乱にして、殊に聴くに便ならず」。衆兵乃ち下る。時に天雨甚だしく、兵の衣尽く湿るも、張公も亦た顧みず、但だ此の六人をして好く之を言わしむ。六人嘵嘵として、旧より減例無しと称す。張公曰く、「此の事、我も亦た与り聞く。汝等全く出汛せず、却って上の人を怪しむこと難し。汝、減ぜざるを欲するも亦た使し得。然りと雖も、亦た汝の利に非ざるなり。上司、今より汝等をして参・游の兵と毎歳更迭して出汛せしめば、汝寧んぞ往かざるを得んや。若し往かば、則ち汝等は且に参・游の兵と称し、工食は半ばを減ぜられん。汝の争いて存する所は、汝の能く享くる所に非ず、参・游の兵の来たりて代わる者の得る所なり。何ぞ其の稍や減ずるに聴きて、汝等猶お歳歳大将軍の兵と称するを得ざる。汝等試みに之を思え」。此の六人、俯首して対うる能わず、唯だ曰く、「願わくは爺爺、転達して寛恤せよ」。張公曰く、「汝等の姓名は誰ぞ」。各おの相い顧みて言うを肯んぜず。張公罵りて曰く、「汝等、姓名を言わずんば、上司問う、『誰か来たりて汝に稟す』と。何を以て之に対えん。妨げず説き来たれ。自ら処する有らん」。乃ち始めて各おの姓名を言い、而して之を記す。張公曰く、「汝等、諸人に伝語せよ。此の事は自ら当に処する有るべし。甚だ嘩する無かれ。諸人にして嘩せば、汝の六人は各おの姓名有り、上司皆な汝の首を斬らん」。六人色を失い、唯唯として退く。後、諸兵毎月銀一銭を減ずることを議し、兵竟に嘩する者無し。〔議〕説くこと道理透徹し、利害分明、覚えず気平らかにして心順う。凡そ減省を以て変を激する者は、皆処分を善くせざるの過ちなり。
現代語訳
張公は落ち着いた様子で、事情に通じた者五、六人を呼び、階段に登らせて事情を述べさせました。大勢の兵がみな押し寄せて前に出ようとすると、すぐに叱って広間から下がらせ、「人の声が騒がしく、聞くのに不便だ」と言いました。兵たちはそこで下がりました。そのとき雨が激しく、兵の衣服はすべて濡れましたが、張公も構わず、ただこの六人に存分に述べさせました。六人はかしましく、昔から減らす例はないと称しました。張公は言いました。「この件は、私も関わって聞いている。お前たちは全く巡視に出ないのだから、上の者を責めるのは難しい。減らさないことをお前たちが望むなら、そうすることもできる。しかしそれもお前たちの利益ではない。上司はこれから、お前たちを参将や遊撃の兵と毎年交代して巡視に出させるだろう。そうしたらお前たちは行かずにいられるか。行けば、お前たちは参将や遊撃の兵と同じに扱われ、手当は半分に減らされる。お前たちが争って守ろうとするものは、お前たちが享受できるものではなく、代わって来る参将や遊撃の兵が得るものだ。わずかに減らされるのを聞き入れたほうが、お前たちも毎年大将軍の兵と名乗っていられるのではないか。よく考えてみなさい。」この六人はうつむいて答えられず、ただ「どうか、お上にお伝えして寛大に扱ってください」と言いました。張公は「お前たちの名前は何というのか」と尋ねました。それぞれ顔を見合わせて名乗ろうとしませんでした。張公は罵って言いました。「お前たちが名を言わなければ、上司が『誰がお前に報告したのか』と問うた時、どう答えればよい。構わないから言え。こちらで処置する。」そこで初めてそれぞれ名を言い、記録しました。張公は言いました。「お前たち、みなに伝えよ。この件は私が処置する。決して騒ぐな。人々が騒げば、お前たち六人は名前があるから、上司はみなお前たちの首を斬るだろう。」六人は顔色を失い、はいはいと言って退出しました。その後、兵たちは毎月銀一銭を減らすことを議論し、ついに騒ぐ者はありませんでした。〔議〕説くことに道理が透徹し、利害がはっきりして、思わず気が静まって心が従う。およそ減額で変事を起こす者は、みな処理の仕方を誤った過失である。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』辯才・張嘉言張公嘉言、広州に司理たりし時、辺海に総兵・参・游等の官を設け、幕下各おの数千の防兵あり、毎日の工食は三分なり。然れども参・游の兵は、毎歳遠くに出訊するに、総兵官の轄する所の兵は、皆坐鎮して遠くに行かずと口実す。三年五年毎に船を修するに、其の参・游の部下の兵は、止だ毎日の工食の半ばを給す。即ち船を修するに非ずして、僅かに出汛せざるも、亦た工食を毎日三分の一減じ、俱に貯えて修船の用と為す。独り総兵官の部下の兵は毫も減ずる所無く、船を修するに当たりては、別に民間に湊処す。積習已に久しく、彼此固然と視る。忽ち巡道、軍門に申詳して、総兵官の轄する所の兵を以後稍や視て其の工食を裁し、留めて修船に備えんことを欲す。軍門、適たま総兵と隙有り、乃ち倉卒に允行す。各兵哄然として嘩し、張公の院道の耳目たるを知り、直ちに其の堂に逼る。
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『智囊』經務・張肖甫轅門の外に陳ね、而して使をして馳せて諸営に赦せしめて曰く、「天子は汝を僇し尽くすに忍びず。汝は自ら死に合うか否かを揣れ。今よりして後、当に力を尽くして国の為に御圉すべし」と。衆は尽く感泣す。〔馮評〕兵の変は、未だ朘削に因りて激成せざる者有らず。民の変は、未だ勢豪に因りて激成せざる者有らず。兵民一時に並びて変ずるに至りては、危うきかな浙や。幸いに群不逞は倉卒の烏合にして、本より大志無く、而して二魁は好言の慰遣を恃みて、自ら死せざるを幸いとす、故に合して一と為らざるに至る。此に於いて便ち個の題目の做す可き有り。張公の此の挙は、大いに機権有り、大いに此第有り。尤も妙は多く殺さざるに在り。若し功を貪る臣ならば、我は当に如何なるかを知らず。
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『智囊』經務・張肖甫張公は嘉禾に抵りて変を聞き、候人に問いて曰く、「兵の海を哨する者は発せしか」と。曰く、「発せり」と。「留まる所の二営は恙無きか」と。曰く、「然り」と。公曰く、「速やかに之を駆れ、尚お離して二つにす可し」と。従者は皆な恐る。公は談笑して自如たり。既に台に抵りて事を治むるに、群不逞の嘯聚するは益ます衆く、竿を揭げ幟を立て、白刃を執りて台に向かう者は二千余ばかりなる可し、且つ垣を毀ちて入らんと欲す。公は乃ち数卒に従いて肩輿に乗りて出で迎え、之に謂いて曰く、「汝曹反する毋かれ、反すれば則ち天子は六師を移して至り汝を族せん。且つ汝は必ず苦しむ所と甚だ平らかならざる所有らん。何ぞ我に告げざる」と。衆は夜役の不公を以て言う。公曰く、「易きのみ。奈何ぞ一憤を以て一族に易えんや」と。即ち令を下して之を除く。衆は始めて散ず。然れども其の気は益ます張り、夜に復た他の巨室を掠め、火光天を燭らす。公は燭を秉りて檄を草し、諭すに禍福を以てし、質明に通衢に張るに、衆は取りて之を裂く。公は怒りて曰く、「吾は命を奉じて悍兵を戢めんとす。宜しく悍民より自ら始むべし」と。已にして計りて曰く、「過ちは使う可し、烏合は刈る可し」と。游撃の徐景星に命じて二営の兵を以て入らしめ、伍長を召して之を撫して曰く、「前の幕府は誠に汝の死力を誤用して汝に餉せず。汝は寧ろ怏怏たる無からんや」と。衆は唯唯たり。則ち又た曰く、「市の無頼の子の乱は成れり。彼に他の労無く、汝曹の例に非ず。能く我が為に尽力して之を捕らう計らば、我は且つ汝曹をして功を以て飽かしめん。然れども多く殺す毋かれ、多く殺せば汝の功にあらず」と。衆は踊躍して命を聴く。
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『智囊』經務・張肖甫復た馬文英、楊廷用を召し、密かに之に謂いて曰く、「向に自ら縛して請いしは汝なるか」と。二魁は死罪を謝す。公曰く、「壮士は故より死を畏れず。然りと雖も、死するに法に名無し。汝は我が為に衆を帥いて乱を捕らえよ。詎ぞ贖を論ぜん、且つ賞せん。即ち不幸にして死すとも、寧ろ義に死せんか」と。二魁も亦た踊躍して命を聴く。公は乃ち徐景星を召して従う所の驍勇を出だして中軍と為し、営兵をして之に次がしめ、郡邑の土団は又た之に次ぎ、部伍を厳しくし、約束を明らかにし、遂に前みて乱民に薄り、連ねて之を敗り、縛すること百五十余人、而して仕卿も与る。公は訊いて其の倡謀を得たり。刃を挟みて金帛を腰にする者は凡そ五十余人、皆な之を斬梟して轅門に置き、余は悉く釈き去らしむ。是に於いて群不逞は皆な散ず。公は此の悍卒の猶お未だ法に伏せざるを念い、之を急にすれば或いは変を生ぜんとし、他事を仮りて之を罪すれば或いは密かに之を掩えば則ち法に非ず、因りて陽に二魁の功を奨め、之に冠帯を予う。営に榜し、復た其の餉を初めの如くし、咸な帖然たり。二魁の自ら縛せし時、衆に要して曰く、「吾は一死を以て若等を蔽わん、姑く我に棺殮を予え、妻子の費を給せよ」と。衆は為に金数百を斂む。既に免れて復た橐に反さず、衆は頗る恨む。又た各営の乱を倡えし者数十、公は俱に之を廉得す。明年の春汛に屆び、七営当に復た発すべし。公は誓師の時に密かに徐景星をして名捕営ごとに各おの一人を以て、其の首乱の罪を数えて之を斬らしむ。已後、馬、楊の二魁を捕らえ至り、曰く、「汝は故より自ら死を請う、今は晩し。且つ汝は既に乱を倡え、又た衆を欺きて其の資を攘む。我れ即ち汝を貸さんと欲すとも、衆怒を如何せん」と。又た之を斬り、凡そ九首なり。
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『智囊』靈變・周金周襄敏公は宣府を撫す。総督の馮侍郎は苛刻を以て衆の心を失う。会々諸軍は侍郎に詣りて糧を請うも、従われず、且つ之を鞭たんとす。衆は遂に憤り、轟然として面罵し、因りて帥府を囲む。公は時に病を以て告ぐ。諸属は奔竄し、泣きて公に告ぐ。公曰く、「吾は在り、恐るる勿れ」と。即ち便服して出で、院門に坐し、諸把総官を召して陽って罵りて曰く、「是れ若が輩の剥削の過ちなり。然らずんば、諸軍は豈に自愛せずして此に至らんや」と。痛く鞭たんと欲す。軍士は公の罪を若に委ねざるを聞き、気は已に平らぐ。乃ち擁して跪きて前み、諸把総の為に請いて曰く、「若が輩の罪に非ず、乃ち総制者が利を罔りて我が衆を恤まざるのみ」と。公は従容として為に利害を陳ぶ。衆は囂しく曰く、「公は我を生かす」と。始めて解散し去れり。
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『宋名臣言行録』前集巻三・張詠時に益、諸郡を收復すと雖も、餘冦尚お充斥す。繼恩、功を恃みて驕恣し、復た兵を出ださず。日々に娱燕を以て事と為す。軍戢まらず、往往にして民財を剽奪す。公是に於て悉く招安司の吏を擒えて庭に至らしめ、面のあたり其の過ちを數え、將に盡く之を斬らんとす。吏皆な股栗して活を求む。公曰く、汝が帥、兵を聚めて冦を玩び、出だすを肯んぜざるは、皆な汝輩之を為すなり。今、能く亟かに乃の帥に白して其の兵を分かたば、尚お死を免る可しと。吏曰く、唯だ公の命ずる所のままに。兵分かたずんば、戮に就くを願うと。公之を釋つ。繼恩即日、兵を鄰州に分かつ。數日ならずして城中の兵半ばを減ず。
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