智囊 / 辯才・楊善
土木之變,上皇在虜歲餘,虜屢責奉迎,未知誠偽,欲遣使探問,而難其人。左都御史楊善慨然請往。虜將也先密遣一人黠慧者田氏來迎,且探其意。相見,云:「我亦中國人,被虜於此。」因問:「向日土木之圍,南兵何故不戰而潰?」善曰:「太平日久,將卒相安,況此行只是扈從隨駕,初無號令對敵,被爾家陡然衝突,如何不走?雖然,爾家幸而得勝,未見為福。今皇帝即位,聰明英武,納諫如流,有人獻策云:『虜人敢入中國者,只憑好馬扒山過嶺,越關而來。若今一帶守邊者,俱做鐵頂橛子,上留一空,安尖頭錐子,但係人馬所過山嶺,遍下錐橛,來者無不中傷。』即從其計。又一人獻策云:『今大銅銃,止用一個石炮,所以打的人少,若裝雞子大石頭一斗打去,迸開數丈闊,人馬觸之即死。』亦從其計。又一人獻策云:『廣西、四川等處射虎弩弓,毒藥最快,若傅箭頭,一著皮肉,人馬立斃。』
新字:土木之変,上皇在虜歳余,虜屡責奉迎,未知誠偽,欲遣使探問,而難其人。左都御史楊善慨然請往。虜将也先密遣一人黠慧者田氏来迎,且探其意。相見,云:「我亦中国人,被虜於此。」因問:「向日土木之囲,南兵何故不戦而潰?」善曰:「太平日久,将卒相安,況此行只是扈従随駕,初無号令対敵,被爾家陡然衝突,如何不走?雖然,爾家幸而得勝,未見為福。今皇帝即位,聰明英武,納諫如流,有人献策云:『虜人敢入中国者,只憑好馬扒山過嶺,越関而来。若今一帯守辺者,倶做鉄頂橛子,上留一空,安尖頭錐子,但係人馬所過山嶺,遍下錐橛,来者無不中傷。』即従其計。又一人献策云:『今大銅銃,止用一個石炮,所以打的人少,若装鶏子大石頭一斗打去,迸開数丈闊,人馬触之即死。』亦従其計。又一人献策云:『広西、四川等処射虎弩弓,毒薬最快,若傅箭頭,一著皮肉,人馬立斃。』
書き下し
土木の変、上皇、虜に在ること歳余。虜、屢しば奉迎を責め、未だ誠偽を知らず。使を遣わして探問せんと欲するも、其の人に難し。左都御史楊善、慨然として往かんことを請う。虜将也先、密かに一人の黠慧なる者田氏を遣わして迎えしめ、且つ其の意を探らしむ。相い見えて云う、「我も亦た中国の人なり。虜に被われて此に在り」。因りて問う、「向日、土木の囲みに、南兵何の故に戦わずして潰えたるか」。善曰く、「太平日久しく、将卒相い安んず。況んや此の行は只だ是れ扈従随駕にして、初めより敵に対するの号令無し。爾が家に陡然として衝突せらる。如何ぞ走らざらん。然りと雖も、爾が家、幸いにして勝つを得たるも、未だ福と為すを見ず。今、皇帝即位し、聡明英武、諫を納るること流るるが如し。人有り策を献じて云う、『虜人の敢えて中国に入る者は、只だ好馬の山に扒り嶺を過ぎ、関を越えて来るに憑るのみ。若し今、一帯の守辺者、俱に鉄頂の橛子を做り、上に一空を留め、尖頭の錐子を安んじ、但だ人馬の過ぐる所の山嶺に係わるは、遍く錐橛を下さば、来る者は中傷せざる無けん』と。即ち其の計に従う。又一人策を献じて云う、『今、大銅銃は、止だ一個の石炮を用う。打つ所の人少なき所以なり。若し鶏子大の石頭を装すること一斗にして打ち去らば、迸開すること数丈の闊く、人馬の之に触るれば即ち死せん』と。亦た其の計に従う。又一人策を献じて云う、『広西・四川等の処の射虎の弩弓は、毒薬最も快し。若し箭頭に傅けば、一たび皮肉に著くや、人馬立ちどころに斃れん』と。
現代語訳
土木の変で、上皇は虜に囚われて一年余りになりました。虜はたびたび迎えに来るよう責めましたが、その本心が誠か偽りか分かりません。使者を遣わして探りたかったものの、適任者がいませんでした。左都御史の楊善は、意気込んで行くことを願い出ました。虜の将の也先は、ひそかに賢い田氏という者を遣わして迎えさせ、同時に様子を探らせました。会って田氏は言いました。「私も中国の人です。虜に捕らえられてここにいます。」そして尋ねました。「先日の土木の包囲で、南の兵はなぜ戦わずに潰れたのですか。」楊善は言いました。「太平が久しく、将も兵も安んじておりました。まして今回の行軍は、ただお供をして付き従うだけで、もともと敵に当たる号令はありませんでした。突然あなた方に衝かれて、どうして逃げずにおれましょう。しかしあなた方が幸いに勝ったとしても、福とは見えません。今の皇帝は即位され、聡明で武にも優れ、諫言を受け入れること流れるようです。ある人が策を献じました。『虜が敢えて中国に入るのは、ただ良馬が山をよじ登り、嶺を越え、関所を越えて来るのに頼っているだけです。いま一帯の守備兵がみな鉄の頭の杭を作り、上に穴を残して、尖った錐を取りつけ、人馬の通る山の嶺にはあまねく錐の杭を設けるなら、来る者はみな傷つくでしょう。』その計に従いました。また別の人が策を献じました。『いまの大銅銃は、一個の石の弾しか使いません。だから打ち倒す人が少ないのです。鶏の卵ほどの石を一斗ほど詰めて撃てば、数丈の幅に飛び散り、人馬が触れればすぐ死にます。』これも従いました。さらに別の人が策を献じました。『広西や四川などの虎を射る弩弓は、毒薬が最も速く効きます。矢じりに塗れば、皮肉に触れた途端に人馬は即座に倒れます。』
解説
この章句が説くこと
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史記 周本紀成王将に崩ぜんとし、太子釗の任へざるを懼れ、乃ち召公・畢公に命じて諸侯を率ゐて以て太子を相けて之を立てしむ。成王既に崩じ、二公諸侯を率ゐ、太子釗を以て先王の廟に見えしめ、申ねて告ぐるに文王・武王の王業を為すの易からざる所以を以てし、務めは節倹に在り、多欲毋く、篤信を以て之に臨めと、顧命を作る。太子釗遂に立つ。是を康王と為す。康王即位し、遍く諸侯に告げ、宣告するに文武の業を以て之を申ね、康誥を作る。故に成康の際、天下安寧にして、刑錯きて四十余年用ゐず。康王命じて策を作らしめ、畢公をして居里を分かち、成周の郊とせしめ、畢命を作る。康王卒し、子昭王瑕立つ。昭王の時、王道微缺す。昭王南に巡狩して返らず、江上に卒す。其の卒を赴告せず、之を諱むなり。昭王の子満を立つ。是を穆王と為す。穆王即位し、春秋已に五十なり。王道衰微す。穆王文武の道の缺くるを閔み、乃ち伯臩に命じて申ねて太僕国の政を誡めしめ、臩命を作る。復た寧し。穆王将に犬戎を征せんとす。祭公謀父諫めて曰く、「不可なり。先王は徳を燿かして兵を観さず。夫れ兵は戢めて時に動く、動けば則ち威あり。観せば則ち玩ばれ、玩ばるれば則ち震ふこと無し。是の故に周文公の頌に曰く、『載ち干戈を戢め、載ち弓矢を櫜にす。我懿徳を求め、時の夏に肆ぶ。允に王之を保たん』と。先王の民に於けるや、其の徳を茂正して其の性を厚くし、其の財求を阜かにして其の器用を利し、利害の郷を明らかにし、文を以て之を修め、之をして利を務めて害を辟け、徳を懐ひて威を畏れしむ。故に能く世を保ちて以て滋大なり。昔我が先王世后稷として以て虞・夏に服事す。夏の衰ふるに及びてや、稷を棄てて務めず、我が先王不窋用て其の官を失ひて、自ら戎狄の間に竄る。
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