呂氏春秋 / 期賢②
趙簡子晝居,喟然太息曰:「異哉!吾欲伐衛十年矣,而衛不伐。」侍者曰:「以趙之大,而伐衛之細,君若不欲則可也。君若欲之,請令伐之。」簡子曰:「不如而言也。衛有士十人於吾所。吾乃且伐之,十人者其言不義也,而我伐之,是我為不義也。」故簡子之時,衛以十人者按趙之兵,歿簡子之身。衛可謂知用人矣,遊十士而國家得安。簡子可謂好從諫矣,聽十士而無侵小奪弱之名。
新字:趙簡子昼居,喟然太息曰:「異哉!吾欲伐衛十年矣,而衛不伐。」侍者曰:「以趙之大,而伐衛之細,君若不欲則可也。君若欲之,請令伐之。」簡子曰:「不如而言也。衛有士十人於吾所。吾乃且伐之,十人者其言不義也,而我伐之,是我為不義也。」故簡子之時,衛以十人者按趙之兵,歿簡子之身。衛可謂知用人矣,遊十士而国家得安。簡子可謂好従諫矣,聴十士而無侵小奪弱之名。
書き下し
趙簡子晝居し、喟然として太息して曰く、「異なるかな。吾、衛を伐たんと欲すること十年、而るに衛伐たず。」侍者曰く、「趙の大を以て、而して衛の細を伐つ、君若し欲せずんば則ち可なり。君若し之を欲せば、請う令して之を伐たんことを。」簡子曰く、「而の言の如からざるなり。衛に士十人有り、吾が所に於り。吾乃ち且に之を伐たんとすれば、十人の者、其の不義を言うなり。而して我之を伐たば、是れ我不義を為すなり。」故に簡子の時、衛十人の者を以て趙の兵を按じ、簡子の身を歿せしめたり。衛は人を用うることを知れりと謂う可し。十士を遊ばして、國家安きを得たり。簡子は好く諫に從えりと謂う可し。十士に聽きて小を侵し弱を奪うの名無し。
現代語訳
趙簡子が昼間くつろいでいて、ため息をついて言った。「不思議だ。私は衛を伐とうと思って十年になるのに、いまだに衛を伐てない。」侍者が「趙の大国をもって衛の小国を伐つなど、殿が望まぬなら結構ですが、望まれるなら命じて伐たせましょう」と言った。簡子は「お前の言う通りではない。衛には賢士十人が私のもとにいる。私が伐とうとすれば、その十人はその不義を諫めるだろう。それを押して伐てば、私が不義を行うことになる」と答えた。だから簡子の時代、衛は十人の賢士によって趙の軍を抑え、簡子の一生を通じて無事だった。衛は人を用いることを知っていたと言える。十人の賢士を送り込んで国家の安泰を得たのだ。簡子はよく諫言に従ったと言える。十人に耳を傾け、小国を侵し弱国を奪うという悪名を負わなかった。
解説
この章句が説くこと
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史記 周本紀成王将に崩ぜんとし、太子釗の任へざるを懼れ、乃ち召公・畢公に命じて諸侯を率ゐて以て太子を相けて之を立てしむ。成王既に崩じ、二公諸侯を率ゐ、太子釗を以て先王の廟に見えしめ、申ねて告ぐるに文王・武王の王業を為すの易からざる所以を以てし、務めは節倹に在り、多欲毋く、篤信を以て之に臨めと、顧命を作る。太子釗遂に立つ。是を康王と為す。康王即位し、遍く諸侯に告げ、宣告するに文武の業を以て之を申ね、康誥を作る。故に成康の際、天下安寧にして、刑錯きて四十余年用ゐず。康王命じて策を作らしめ、畢公をして居里を分かち、成周の郊とせしめ、畢命を作る。康王卒し、子昭王瑕立つ。昭王の時、王道微缺す。昭王南に巡狩して返らず、江上に卒す。其の卒を赴告せず、之を諱むなり。昭王の子満を立つ。是を穆王と為す。穆王即位し、春秋已に五十なり。王道衰微す。穆王文武の道の缺くるを閔み、乃ち伯臩に命じて申ねて太僕国の政を誡めしめ、臩命を作る。復た寧し。穆王将に犬戎を征せんとす。祭公謀父諫めて曰く、「不可なり。先王は徳を燿かして兵を観さず。夫れ兵は戢めて時に動く、動けば則ち威あり。観せば則ち玩ばれ、玩ばるれば則ち震ふこと無し。是の故に周文公の頌に曰く、『載ち干戈を戢め、載ち弓矢を櫜にす。我懿徳を求め、時の夏に肆ぶ。允に王之を保たん』と。先王の民に於けるや、其の徳を茂正して其の性を厚くし、其の財求を阜かにして其の器用を利し、利害の郷を明らかにし、文を以て之を修め、之をして利を務めて害を辟け、徳を懐ひて威を畏れしむ。故に能く世を保ちて以て滋大なり。昔我が先王世后稷として以て虞・夏に服事す。夏の衰ふるに及びてや、稷を棄てて務めず、我が先王不窋用て其の官を失ひて、自ら戎狄の間に竄る。
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史記 屈原賈生列伝屈平既に絀けらる。其の後秦斉を伐たんと欲す。斉と楚と従親す。恵王之を患ふ。乃ち張儀をして詳りて秦を去り、厚幣もて質を委ねて楚に事へしめて曰く、「秦は甚だ斉を憎む。斉と楚と従親す。楚誠に能く斉と絶たば、秦は商・於の地六百里を献ぜんことを願ふ」と。楚の懐王貪りて張儀を信じ、遂に斉と絶ち、使をして秦に如きて地を受けしむ。張儀之を詐りて曰く、「儀は王と六里を約せり。六百里を聞かず」と。楚の使怒りて去り、帰りて懐王に告ぐ。懐王怒り、大いに師を興して秦を伐つ。秦兵を発して之を撃ち、大いに楚の師を丹・淅に破り、首を斬ること八万、楚将屈丐を虜にし、遂に楚の漢中の地を取る。懐王乃ち悉く国中の兵を発して以て深く入りて秦を撃ち、藍田に戦ふ。魏之を聞き、楚を襲ひて鄧に至る。楚兵懼れ、秦より帰る。而して斉竟に怒りて楚を救はず。楚大いに困しむ。明年、秦漢中の地を割きて楚に与へ以て和す。楚王曰く、「地を得るを願はず。張儀を得て心を甘んぜんことを願ふ」と。張儀聞き、乃ち曰く、「一儀を以て漢中の地に当つ。臣請ふ往きて楚に如かん」と。楚に如き、又因りて厚幣もて事を用ふる者の臣靳尚に用ひ、而して詭弁を懐王の寵姫鄭袖に設く。懐王竟に鄭袖に聴き、復た張儀を釈し去らしむ。是の時屈平既に疏んぜられ、復た位に在らず。斉に使ひし、顧反し、懐王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を殺さざる」と。懐王悔い、張儀を追へども及ばず。其の後諸侯共に楚を撃ち、大いに之を破り、其の将唐眛を殺す。時に秦の昭王楚と婚し、懐王と会せんと欲す。懐王行かんと欲す。屈平曰く、「秦は虎狼の国なり。信ずべからず。行くこと毋きに如かず」と。懐王の稚子子蘭、王に行くを勧む。「奈何ぞ秦の歓を絶たん」と。懐王卒に行く。武関に入る。秦伏兵もて其の後を絶ち、因りて懐王を留め、以て地を割かんことを求む。懐王怒り、聴かず。亡げて趙に走る。趙内れず。復た秦に之き、竟に秦に死して帰葬せらる。
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』襄公二十九年 魯を瘠せて杞を肥やす展瑕・展玉父、一耦と為る。公臣は、公巫召伯・仲顏莊叔、一耦と為る。鄫鼓父・黨叔、一耦と為る。晉侯、司馬女叔侯をして來りて杞田を治めしむ。盡くは歸さざるなり。晉の悼夫人慍りて曰く、「齊や貨を取れり。先君若し知る有らば、之を取るを尚ばざらん」と。公、叔侯に告ぐ。叔侯曰く、「虞・虢・焦・滑・霍・揚・韓・魏は、皆姬姓なり。晉是を以て大なり。若し小を侵すに非ずんば、將に何れの所より取らん。武・獻より以下、國を兼ぬること多し。誰か之を治むるを得ん。杞は夏の餘なり、而して東夷に即く。魯は周公の後なり、而して晉に睦まじ。杞を以て魯に封ずるも、猶ほ可なり。而るを何か有らん。魯の晉に於けるや、職貢乏しからず、玩好時に至り、公卿大夫、相繼いで朝す。史は書を絕たず、府は虛月無し。是くの如くにして可なり。何ぞ必ずしも魯を瘠せて以て杞を肥やさん。且つ先君にして知る有らば、毋寧ろ夫人ならん、而して焉んぞ老臣を用ゐん」と。杞の文公來りて盟ふ。書して子と曰ふは、之を賤しむなり。
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『春秋左氏伝』昭公二十二年 華氏、楚に出奔す二十二年春、王の二月、甲子、齊の北郭啟師を帥ゐて莒を伐つ。莒子將に戰はんとす。苑羊牧之諫めて曰く、「齊の帥は賤し、其の求むること多からず。之に下るに如かず。大國は怒らす可からざるなり」と。聽かず。齊の師を壽餘に敗る。齊侯莒を伐つ。莒子成を行ふ。司馬灶莒に如きて盟に蒞み、莒子齊に如きて盟に蒞む。稷門の外に盟ふ。莒是に於いてか大いに其の君を惡む。楚の薳越、宋に告げしめて曰く、「寡君、君に不令の臣有りて、君の憂ひと為ると聞く。寧ろ以って宗の羞と為す無からんや。寡君請ふ受けて之を戮せん」と。對へて曰く、「孤佞ならず、父兄に媚ぶる能はず、以って君の憂ひと為る。命の辱きを拜す。抑君臣日に戰ふ。君曰く、『余必ず臣を是れ助けん』と。亦た唯だ命のままなり。人言へる有り、曰く、『唯だ亂門にのみ過ぐる無し』と。君若し惠みて敝邑を保んじ、不衷に亢(かば)ひて、以って亂人を獎むる無くんば、孤の望みなり。唯だ君之を圖れ」と。楚人之を患ふ。諸侯の戍謀りて曰く、「若し華氏困しむを知りて死を致し、楚功無きを恥ぢて疾く戰はば、吾が利に非ざるなり。之を出だして、以って楚の功と為すに如かず。其れ亦た能く為す無からんのみ。宋を救ひて其の害を除く、又何をか求めん」と。乃ち固く之を出ださんことを請ふ。宋人之に從ふ。己巳、宋の華亥・向寧・華定・華貙・華登・皇奄傷・省臧・士平、出でて楚に奔る。宋公、公孫忌をして大司馬為らしめ、邊卬を大司徒と為し、樂祁を司馬と為し、仲幾を左師と為し、樂大心を右師と為し、樂輓を大司寇と為し、以って國人を靖んず。
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『春秋左氏伝』襄公四年 和戎の五利少康を立つ。少康、澆を過に滅ぼし、后杼、豷を戈に滅ぼす。有窮、是に由りて遂に亡ぶ。人を失ふが故なり。昔、周の辛甲の大史たるや、百官に命じ、官ごとに王の闕を箴(いまし)めしむ。虞人の箴に於て曰く、『芒芒たる禹の跡、畫して九州と爲し、九道を經啟す。民に寢廟有り、獸に茂草有り。各〻攸(ところ)を處(しめ)る有り、德用(もつ)て擾れず。帝夷羿に在りては、原獸に冒(むさぼ)り、其の國の恤(うれ)ひを忘れて、其の麀牡(ゆうぼ)を思ふ。武は重ぬべからず、用て夏家を恢(ひろ)めず。獸臣原を司る、取りて僕夫に告ぐ』と。虞箴是くの如し。懲りざるべけんや」と。是に於て晉侯田を好む。故に魏絳之に及ぶ。公曰く、「然らば則ち戎に和するに如くは莫きか」と。對へて曰く、「戎に和するに五利有り。戎狄は荐居(せんきょ)し、貨を貴びて土を易(かろ)んず。土賈(か)ふべし。一なり。邊鄙聳(おそ)れず、民其の野に狎れ、穡人(しょくじん)功を成す。二なり。戎狄晉に事へ、四鄰振動し、諸侯威懷す。三なり。德を以て戎を綏んじ、師徒動かず、甲兵頓(つか)れず。四なり。后羿に鑒みて、德度を用ゐ、遠きは至り邇(ちか)きは安んず。五なり。君其れ之を圖れ」と。公說(よろこ)び、魏絳をして諸戎と盟はしむ。民事を脩め、田するに時を以てす。冬、十月、邾人・莒人、鄫を伐つ。臧紇、鄫を救ひ、邾を侵し、狐駘(こたい)に敗る。國人の喪を逆ふる者、皆髽(ざ)す。魯、是に於てか始めて髽す。國人之を誦して曰く、「臧の狐裘、我を狐駘に敗る。我が君は小子、朱儒是れ使ふ。朱儒よ朱儒よ、我をして邾に敗らしむ」と。

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