荀子 / 大略篇
齊人欲伐魯,忌卞莊子,不敢過卞。晉人欲伐衛,畏子路,不敢過蒲。
新字:斉人欲伐魯,忌卞荘子,不敢過卞。晋人欲伐衛,畏子路,不敢過蒲。
書き下し
斉人(せいひと)魯(ろ)を伐(う)たんと欲するも、卞荘子(べんそうし)を忌(い)みて、敢(あ)へて卞(べん)を過(よぎ)らず。晋人(しんひと)衛(えい)を伐たんと欲するも、子路(しろ)を畏(おそ)れて、敢へて蒲(ほ)を過らず。
現代語訳
斉の人々は魯を攻めようとしたが、卞荘子を恐れて、あえて卞の地を通ろうとはしなかった。晋の人々は衛を攻めようとしたが、子路を恐れて、あえて蒲の地を通ろうとはしなかった。
解説
たった一人の存在が、軍隊の進路を変えてしまったという話です。卞荘子がいるというだけで斉軍は卞を避け、子路がいるというだけで晋軍は蒲を避けた。刀を交えたわけでも、城を築いたわけでもありません。それでも国は守られました。人材こそが最大の防備である、という主張が、二つの短い事実を並べるだけで鮮やかに立ち上がってきます。抑止とは、戦って勝つことではなく、戦う気を起こさせないことなのです。組織のなかにも、これと似た人がいます。あの人が見ているから雑な仕事はできない、あの人が担当だからあの案件は荒れない。そういう存在は、目に見える成果としては数えにくいけれど、確実に組織を守っています。自分もまた、誰かにとってそういう存在になれているかどうか。静かに問われる一段です。
この章句が説くこと
人材が守りになる抑止力卞荘子と子路信頼される存在
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