智囊 / 辯才・陸賈・齊地王先生
梁孝王既刺殺袁盎,事覺,懼誅,乃齎鄒陽千金,令遍求方略以解。陽素知齊人王先生,年八十餘,多奇計,即往求之。王先生曰:「難哉,人主有私怨深怒,欲施必行之誅,誠難解也,子今且安之。」陽曰:「鄒、魯守經學,齊、楚多辯智,韓、魏時有奇節,吾將歷問之。」王先生曰:「子行矣,還,過我而西。」陽行月餘,莫能為謀者,乃還過王先生,曰:「臣將西矣,奈何?」先生曰:「子必往見王長君。」鄒陽悟,輒辭去,不過梁,徑至長安,見王長君。長君者,王美人兄也。陽乘間說曰:「臣願竊有謁也。臣聞長君弟得倖後宮,天下無有,而長君行跡多不循道理。今陛下窮竟袁盎事,即梁王恐誅,太后怫鬱,無所發怒,必切齒側目於貴臣,而長君危矣!」長君瞿然曰:「奈何?」陽曰:「第能為上言,得無竟梁事,則太后必德長君,金城之固也。」長君如其計,梁事遂寢。〔評〕朱建一篇程文抄得恰好,不唯王先生智,鄒陽亦智。
新字:梁孝王既刺殺袁盎,事覚,懼誅,乃齎鄒陽千金,令遍求方略以解。陽素知斉人王先生,年八十余,多奇計,即往求之。王先生曰:「難哉,人主有私怨深怒,欲施必行之誅,誠難解也,子今且安之。」陽曰:「鄒、魯守経学,斉、楚多弁智,韓、魏時有奇節,吾将歴問之。」王先生曰:「子行矣,還,過我而西。」陽行月余,莫能為謀者,乃還過王先生,曰:「臣将西矣,奈何?」先生曰:「子必往見王長君。」鄒陽悟,輒辞去,不過梁,径至長安,見王長君。長君者,王美人兄也。陽乗間説曰:「臣願窃有謁也。臣聞長君弟得倖後宮,天下無有,而長君行跡多不循道理。今陛下窮竟袁盎事,即梁王恐誅,太后怫鬱,無所発怒,必切歯側目於貴臣,而長君危矣!」長君瞿然曰:「奈何?」陽曰:「第能為上言,得無竟梁事,則太后必徳長君,金城之固也。」長君如其計,梁事遂寝。〔評〕朱建一篇程文抄得恰好,不唯王先生智,鄒陽亦智。
書き下し
梁の孝王、既に袁盎を刺殺し、事覚れ、誅を懼れ、乃ち鄒陽に千金を齎し、遍く方略を求めて以て解かしむ。陽、素より斉人王先生を知る。年八十余にして奇計多し。即ち往きて之を求む。王先生曰く、「難いかな。人主に私怨深怒有り、必行の誅を施さんと欲するは、誠に解き難きなり。子、今且く安くにか之く」。陽曰く、「鄒・魯は経学を守り、斉・楚は弁智多く、韓・魏は時に奇節有り。吾、将に歴く之に問わん」。王先生曰く、「子行け。還らば、我に過りて西せよ」。陽行くこと月余、能く謀を為す者莫し。乃ち還りて王先生に過り、曰く、「臣、将に西せんとす。奈何せん」。先生曰く、「子必ず往きて王長君に見えよ」。鄒陽悟り、輒ち辞し去り、梁に過らず、径ちに長安に至り、王長君に見ゆ。長君は、王美人の兄なり。陽、間に乗じて説きて曰く、「臣、願わくは竊かに謁する有らん。臣聞く、長君の弟、後宮に倖を得ること、天下に有ること無しと。而して長君の行跡は道理に循わざること多し。今陛下、袁盎の事を窮竟せば、即ち梁王誅を恐れ、太后怫鬱として、怒りを発する所無く、必ず貴臣を切歯側目せん。而して長君危うし」。長君瞿然として曰く、「奈何せん」。陽曰く、「第だ能く上の為に言い、梁の事を竟くす無きを得ば、則ち太后必ず長君を徳とせん。金城の固きなり」。長君、其の計の如くし、梁の事遂に寝む。〔評〕朱建の一篇の程文、抄して恰好を得たり。唯だ王先生の智のみならず、鄒陽も亦た智なり。
現代語訳
梁の孝王は袁盎を刺殺し、事が発覚して、処罰を恐れました。そこで鄒陽に千金を持たせ、広く解決の策を求めさせました。鄒陽は以前から斉の人の王先生を知っていました。王先生は八十余歳で、奇計に富んでいました。鄒陽はすぐに行って教えを求めました。王先生は言いました。「難しいことです。君主が私怨と深い怒りをもち、必ず実行する処罰をしようとしているのは、本当に解き難い。あなたはこれからどこへ行きますか。」鄒陽は言いました。「鄒・魯の地は経学を守り、斉・楚には弁舌や智恵が多く、韓・魏には時に奇抜な節義の士がいます。私は広く訪ねて尋ねるつもりです。」王先生は言いました。「行きなさい。戻ったら私を訪ねてから西へ行きなさい。」鄒陽は一月余り各地を巡りましたが、策を立てられる者はいませんでした。そこで戻って王先生を訪ね、「私はこれから西へ行きます。どうすればよいでしょうか」と言いました。先生は「あなたは必ず王長君に会いなさい」と言いました。鄒陽は悟り、すぐに辞去して、梁には寄らずまっすぐ長安に行き、王長君に会いました。長君は王美人の兄でした。鄒陽は機会を見て説きました。「私はひそかに申し上げたいことがあります。聞くところ、長君の妹君が後宮で寵愛を受けていることは天下に比べるものがないとのことです。しかし長君の行いは道理に外れることが多いと聞きます。いま陛下が袁盎の事件を最後まで追及されれば、梁王は処罰を恐れ、太后は気が晴れず、怒りの向ける所がなくなって、きっと貴臣に歯ぎしりして目をつけるでしょう。そうなれば長君が危うい。」長君ははっとして、「どうすればよいか」と言いました。鄒陽は言いました。「ただ、陛下のために言上して、梁の事件を最後まで追及しないようにしていただければ、太后は必ず長君に恩を感じます。金城のように堅固になります。」長君はその計の通りにし、梁の件はついにやみました。〔評〕朱建の一篇の模範文をうまく写しとった。王先生の智のみならず、鄒陽も智である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「政を為すは難からず。罪を巨室に得ざれ。巨室の慕う所は、一國之を慕う。一國の慕う所は、天下之を慕う。故に沛然として德教、四海に溢る。」
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史記 伍子胥列伝之を久しくして、楚の平王、其の辺邑鐘離と呉の辺邑卑梁氏と俱に蠶し、両女子桑を争ひて相ひ攻むるを以て、乃ち大いに怒り、両国兵を挙げて相ひ伐つに至る。呉、公子光をして楚を伐たしめ、其の鐘離・居巣を抜きて帰る。伍子胥、呉王僚に説きて曰く、「楚破る可きなり。願はくは復た公子光を遣せ」と。公子光、呉王に謂ひて曰く、「彼の伍胥の父兄は楚に戮せらる、而して王に楚を伐つを勧むるは、以て自ら其の讎に報いんと欲するのみ。楚を伐つも未だ破る可からざるなり」と。伍胥、公子光に内志有りて、王を殺して自立せんと欲し、未だ外事を以て説く可からざるを知り、乃ち専諸を公子光に進め、退きて太子建の子の勝と野に耕す。
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史記 伍子胥列伝五年にして楚の平王卒す。初め、平王が奪ふ所の太子建の秦女、子の軫を生む。平王卒するに及び、軫竟に立ちて後と為る、是を昭王と為す。呉王僚、楚の喪に因りて、二公子をして兵を将ゐて往きて楚を襲はしむ。楚兵を発して呉兵の後を絶ち、帰るを得ず。呉国内空し、而して公子光乃ち専諸をして呉王僚を襲刺せしめて自立す、是を呉王闔廬と為す。闔廬既に立ち、志を得たり。乃ち伍員を召して以て行人と為し、与に国事を謀る。
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『韓非子』外儲説右下第三十五故に明主は吏を治めて民を治めず。説は木を揺るがすの本と網を引くの綱とに在り。
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孫子・九変篇是の故に智者の慮は、必ず利害に雑う。利に雑えて務め信なる可きなり。害に雑えて患い解く可きなり。
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『韓非子』六反第四十六霸王なる者は、人主の大利なり。人主大利を挟みて以て治を聴く、故に其の官に任ずる者は能に当たり、其の賞罰は私無し。士民をして明らかならしめば、力を尽くし死を致し、則ち功伐立つべくして爵禄致すべし、爵禄致りて富貴の業成る。富貴なる者は、人臣の大利なり。人臣大利を挟みて以て事に従ふ、故に其の行危ふくして死に至り、其の力尽くして望まず。此れを君仁ならず、臣忠ならずして、則ち以て霸王たるべしと謂ふ。夫れ姦は必ず知らるれば則ち備へ、必ず誅せらるれば則ち止む。知られざれば則ち肆にし、誅せられざれば則ち行ふ。夫れ軽貨を幽隠に陳ぬれば、曾・史と雖も疑ふべし。百金を市に懸くれば、大盗と雖も取らず。知られざれば、則ち曾・史も幽隠に疑ふべし。必ず知らるれば、則ち大盗も懸金を市に取らず。故に明主の国を治むるや、其の守を衆くして其の罪を重くし、民をして法を以て禁ぜしめて廉を以て止めしめず。母の子を愛するや父に倍す、父の令の子に行はるるは母に十す。吏の民に於けるや愛無し、令の民に行はるるは父に万す。母は愛を積みて令窮し、吏は威厳を用ひて民聴従す、厳愛の筴も亦決すべし。且つ父母の子に求むる所以や、動作すれば則ち其の安利を欲し、身を行へば則ち其の罪に遠ざからんことを欲す。君上の民に於けるや、難有れば則ち其の死を用ひ、安平なれば則ち其の力を尽くさしむ。親は厚愛を以て子を安利に関はらしめんとして聴かれず、君は無愛利を以て民の死力を求めて令行はる。明主之を知る、故に恩愛の心を養はずして威厳の勢を増す。故に母厚愛に処りて、子多く敗るるは、愛を推せばなり。父薄愛にして教笞して、子多く善なるは、厳を用ふればなり。
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