孟子 / 離婁章句上
孟子曰、為政不難。不得罪於巨室。巨室之所慕、一國慕之。一國之所慕、天下慕之。故沛然德教溢乎四海。
新字:孟子曰、為政不難。不得罪於巨室。巨室之所慕、一国慕之。一国之所慕、天下慕之。故沛然徳教溢乎四海。
書き下し
孟子曰く、「政を為すは難からず。罪を巨室に得ざれ。巨室の慕う所は、一國之を慕う。一國の慕う所は、天下之を慕う。故に沛然として德教、四海に溢る。」
現代語訳
孟子は言った。 「政治は難しいものではない。譜代の重臣から怒りや恨みを受けて罪を得ることのないようにすることだ。重臣たちが敬愛する所の君主は、全国民も敬愛する。その国の民が敬愛するような君主は、天下も敬愛する。かくして、その君主の徳による教化は、勢いよく流れて溢れだす水のように天下に満ちあふれるようになるであろう。」
解説
組織を円滑に運営し、広く影響力を持つためには、まず中心となる人物や重要な関係者から信頼を得ることが重要です。職場でも、キーパーソンと良好な関係を築き、その人たちに認められることで、チーム全体、ひいては組織全体の支持を得ることができます。足場を固め、身近な信頼関係を大切にすることが、結果として大きな成功や良い影響へと繋がっていきます。
この章句が説くこと
信頼キーパーソン影響力足場固め
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史記 伍子胥列伝之を久しくして、楚の平王、其の辺邑鐘離と呉の辺邑卑梁氏と俱に蠶し、両女子桑を争ひて相ひ攻むるを以て、乃ち大いに怒り、両国兵を挙げて相ひ伐つに至る。呉、公子光をして楚を伐たしめ、其の鐘離・居巣を抜きて帰る。伍子胥、呉王僚に説きて曰く、「楚破る可きなり。願はくは復た公子光を遣せ」と。公子光、呉王に謂ひて曰く、「彼の伍胥の父兄は楚に戮せらる、而して王に楚を伐つを勧むるは、以て自ら其の讎に報いんと欲するのみ。楚を伐つも未だ破る可からざるなり」と。伍胥、公子光に内志有りて、王を殺して自立せんと欲し、未だ外事を以て説く可からざるを知り、乃ち専諸を公子光に進め、退きて太子建の子の勝と野に耕す。
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