智囊 / 辯才・魯仲連
今秦萬乘之國,梁亦萬乘之國,交有稱王之名,睹其一勝而勝,欲從而帝之,是使三晉之大臣,未如鄒、魯之僕妾也,且秦無已而帝,則且變易諸侯之大臣,彼將奪其所謂不肖,而予其所謂賢,奪其所憎,而予其所愛,彼又將使其子女讒妾為諸侯妃姬,處梁之宮,梁王安得晏然而已乎?而將軍又何以得故寵乎?」於是辛垣衍起,再拜謝曰:「吾乃今知先生為天下之士也,吾請去,不敢復言帝秦矣。」秦將聞之,為卻軍五十里。〔述〕蘇軾曰:「仲連辯過儀、秦,氣凌髡、衍,排難解紛,功成而逃賞,實戰國一人而已。」穆文熙曰:「仲連挫帝秦之說,而秦將為之卻軍,此《淮南》之所謂『廟戰』也。」
新字:今秦万乗之国,梁亦万乗之国,交有称王之名,睹其一勝而勝,欲従而帝之,是使三晋之大臣,未如鄒、魯之僕妾也,且秦無已而帝,則且変易諸侯之大臣,彼将奪其所謂不肖,而予其所謂賢,奪其所憎,而予其所愛,彼又将使其子女讒妾為諸侯妃姫,処梁之宮,梁王安得晏然而已乎?而将軍又何以得故寵乎?」於是辛垣衍起,再拝謝曰:「吾乃今知先生為天下之士也,吾請去,不敢復言帝秦矣。」秦将聞之,為却軍五十里。〔述〕蘇軾曰:「仲連弁過儀、秦,気凌髡、衍,排難解紛,功成而逃賞,実戦国一人而已。」穆文熙曰:「仲連挫帝秦之説,而秦将為之却軍,此《淮南》之所謂『廟戦』也。」
書き下し
今、秦は万乗の国、梁も亦た万乗の国なり。交々王を称するの名有り。其の一勝を睹て勝ちて、従いて之を帝とせんと欲す。是れ三晋の大臣をして、未だ鄒・魯の僕妾にも如かざらしむるなり。且つ秦、已む無くして帝たらば、則ち且に諸侯の大臣を変易せんとす。彼、将に其の所謂る不肖を奪いて、其の所謂る賢に予え、其の憎む所を奪いて、其の愛する所に予えん。彼又た将に其の子女讒妾をして諸侯の妃姫と為し、梁の宮に処らしめんとす。梁王、安んぞ晏然として已むを得んや。而して将軍、又た何を以て故寵を得んや」と。是に於いて辛垣衍、起ちて再拝して謝して曰く、「吾、乃ち今、先生の天下の士たるを知れり。吾、請う、去らん。敢えて復た帝秦を言わず」と。秦将、之を聞き、為に軍を却くること五十里。〔述〕蘇軾曰く、「仲連の弁は儀・秦に過ぎ、気は髡・衍を凌ぐ。難を排し紛を解き、功成りて賞を逃る。実に戦国の一人のみ」と。穆文熙曰く、「仲連、帝秦の説を挫きて、秦将之が為に軍を却く。此れ《淮南》の所謂る『廟戦』なり」と。
現代語訳
「いま秦は万乗の国、梁もまた万乗の国です。互いに王を称する名をもっています。それなのに秦が一度勝ったのを見て、それに従って帝と認めようとするのは、三晋(韓・魏・趙)の大臣を、鄒や魯の下僕や下女にも及ばないものにするのと同じです。しかも秦がやむなく帝となれば、諸侯の大臣を入れ替えようとするでしょう。彼らは自分たちが不肖と見なす者から地位を奪って賢と見なす者に与え、憎む者から奪って愛する者に与えます。さらに自分の娘や讒言を言う妾を諸侯の后妃にして、梁の宮殿に住まわせます。梁王が安穏としていられるでしょうか。将軍も、昔の寵愛を保てるでしょうか」。ここで辛垣衍は立ち上がり、再拝して謝った。「私は今、先生が天下の士であることを知りました。私は去ります。もう二度と秦を帝とすることは口にしません」。秦の将軍はこの話を聞いて、軍を五十里退けた。〔述〕蘇軾は言う。「仲連の弁舌は張儀・蘇秦にまさり、気概は淳于髡・鄒衍をしのぐ。難を除き、もつれを解き、功が成ると褒美を辞退した。まことに戦国時代ただ一人の人物だ」。穆文熙は言う。「仲連が秦を帝とする説を挫き、秦の将軍がそのために軍を退いた。これは『淮南子』にいう『廟戦(朝廷での戦い)』である」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 魯仲連鄒陽列伝倶に万乗の国に拠り、各々王と称するの名有り。其の一戦して勝つを睹て、従ひて之を帝とせんと欲するは、是れ三晋の大臣をして鄒・魯の僕妾に如かざらしむるなり。且つ秦已む無くして帝たらば、則ち且に諸侯の大臣を変易せんとす。彼将に其の不肖とする所を奪ひて其の賢とする所に与へ、其の憎む所を奪ひて其の愛する所に与へんとす。彼又将に其の子女讒妾をして諸侯の妃姫と為さしめ、梁の宮に処らしめんとす。梁王安くんぞ晏然たるを得んや。而して将軍又何を以て故の寵を得んや」と。是に於て新垣衍起ちて、再拝して謝して曰く、「始め先生を以て庸人と為せり。吾乃ち今日先生の天下の士たるを知る。吾請ふ出でん。敢て復た秦を帝とするを言はず」と。
-
『智囊』辯才・魯仲連秦、趙の邯鄲を囲む。諸侯、敢えて先に救う莫し。魏王、客将軍の辛垣衍をして間かに邯鄲に入らしめ、趙と与に秦を尊びて帝と為さんと欲す。魯仲連、適々趙に在り、之を聞き、平原君勝に見ゆ。勝、為に介紹し、之を辛垣衍に見ゆ。魯連、辛垣衍に見えて言う無し。辛垣衍曰く、「吾、此の囲城の中に居る者を視るに、皆平原君に求むる有る者なり。今、先生の玉貌を観るに、平原君に求むる有る者に非ず。曷為れぞ久しく此の囲城の中に居りて去らざるか」と。魯連曰く、「秦は礼義を棄て首功を上ぶ国なり。権もて其の士を使い、虜として其の民を使う。彼、肆然として帝と為らば、則ち連は東海に赴きて死する有るのみ。其の民と為るに忍びず。将軍に見ゆる所以は、以て趙を助けんと欲すればなり」と。辛垣衍曰く、「之を助くること奈何」と。魯連曰く、「吾、将に梁及び燕をして之を助けしめん。斉・楚は固より之を助く」と。辛垣衍曰く、「燕は吾知らず。梁の若きは、則ち吾は乃ち梁人なり。先生、悪んぞ能く梁をして之を助けしめんや」と。魯連曰く、「梁、未だ秦の帝と称するの害を睹ざるが故なり。之をして睹せしめば、則ち必ず趙を助けん」と。辛垣衍曰く、「秦の帝と称するの害、奈何」と。魯連曰く、「昔、斉の威王、嘗て仁義を為し、天下の諸侯を率いて周に朝す。
-
『長短経』七雄略今、秦は万乗の国なり。梁も亦た万乗の国なり。倶に万乗の国に拠り、交々王と称するの名有り。其の一戦して勝つを覩て、遂に従いて之を帝とせんと欲せば、則ち且に諸侯の大臣を変易せんとす。彼、将に其の不肖とする所を奪いて其の賢とする所に与え、其の憎む所を奪いて其の愛する所に与えんとす。又た将に其の子女讒妄をして諸侯の妃姫と為し、梁の宮に処らしめん。梁王、安くんぞ晏然たるを得んや。而して将軍も又た何ぞ故の寵を得んや」と。是に於て新垣衍起ち、再拝して謝して曰く「吾、出でんことを請う。敢えて復た秦を帝とするを言わじ」と。秦将、之を聞き、韓の為に軍を退くこと五十里。〉蘇秦、韓に如く。〈韓の先は周と姓を同じくす。晋に事え、封を韓に得て、韓氏と為る。後、周の烈王、韓侯を賜い、列して諸侯と為るを得るなり。〉
-
戦国策・秦圍趙之邯鄲秦、趙の邯鄲を囲む。魏の安釐王、将軍晋鄙をして趙を救わしむ。秦を畏れ、蕩陰に止まりて、進まず。魏王、客将軍新垣衍をして間かに邯鄲に入らしめ、平原君に因りて趙王に謂いて曰く、「秦の急に趙を囲む所以の者は、前に斉の湣王と強を争いて帝と為らんとし、已にして復た帝を帰す、斉を以ての故なり。今斉の湣王已に益々弱し。方今唯だ秦のみ天下に雄たり、此れ必ずしも邯鄲を貪るに非ず、其の意帝為らんことを求めんと欲するなり。趙誠に使を発して秦の昭王を尊びて帝と為さば、秦必ず喜び、兵を罷めて去らん」と。平原君猶予して未だ決する所有らず。此の時魯仲連適々趙に游び、秦の趙を囲むに会う。魏将の趙をして秦を尊びて帝と為さしめんと欲するを聞き、乃ち平原君に見えて曰く、「事将に奈何せんとするか」と。平原君曰く、「勝や何ぞ敢えて事を言わんや。百万の衆外に折れ、今又た内に邯鄲を囲みて去る能わず。魏王将軍辛垣衍をして趙をして秦を帝とせしめしむ。今其の人是に在り、勝や何ぞ敢えて事を言わんや」と。魯連曰く、「始め吾君を以て天下の賢公子と為せり、吾乃ち今然る后に君の天下の賢公子に非ざるを知る。梁の客辛垣衍安くにか在る、吾請う君の為に之を責めて帰らしめん」と。平原君曰く、「勝請う召して之を先生に見えしめん」と。平原君遂に辛垣衍に見えて曰く、「東国に魯連先生有り、其の人此に在り、勝請う紹介を為して之を将軍に見えしめん」と。辛垣衍曰く、「吾聞く魯連先生は、斉国の高士なり、と。衍は人臣なり、事に使いされて職有り。吾魯連先生に見えんことを願わざるなり」と。平原君曰く、「勝已に之を泄らせり」と。辛垣衍許諾す。魯連辛垣衍に見えて言う無し。辛垣衍曰く、「吾此の囲城の中に居る者を視るに、皆平原君に求むる有る者なり。今吾先生の玉貌を視るに、平原君に求むる有る者に非ず、曷為れぞ久しく此の囲城の中に居りて去らざるや」と。魯連曰く、「世は鮑焦を以て従容たること無くして死せりと為すは、皆非なり。今衆人知らずして、則ち一身の為とす。彼の秦は、礼義を棄てて首功を上ぶの国なり。権を以て其の士を使い、虜を以て其の民を使う。彼則ち肆然として帝と為り、過ちて遂に天下に正たらば、則ち連東海に赴きて死する有らん。吾之が民為るに忍びざるなり。将軍に見ゆる所以の者は、趙を助けんと欲すればなり」と。辛垣衍曰く、「先生之を助くること奈何」と。魯連曰く、「吾将に梁及び燕をして之を助けしめんとす。斉・楚は則ち固より之を助く」と。辛垣衍曰く、「燕は則ち吾請う以て従わん。乃ち梁の若きは、則ち吾乃ち梁人なり、先生悪んぞ能く梁をして之を助けしめんや」と。魯連曰く、「梁未だ秦の帝と称するの害を睹ざるが故なり、梁をして秦の帝と称するの害を睹しめば、則ち必ず趙を助けん」と。辛垣衍曰く、「秦の帝と称するの害将に奈何せんとするか」と。魯仲連曰く、「昔斉の威王嘗て仁義を為せり、天下の諸侯を率いて周に朝す。周貧しく且つ微にして、諸侯朝する莫きも、斉独り之に朝す。居ること歳余、周の烈王崩じ、諸侯皆弔するも、斉後れて往く。周怒りて、斉に赴して曰く、『天崩れ地坼け、天子席を下る。東藩の臣田嬰斉後れて至らば、則ち之を斮らん』と。威王勃然として怒りて曰く、『叱嗟、而の母は婢なり』と。卒に天下の笑いと為る。故に生きては則ち周に朝し、死しては則ち之を叱る、誠に其の求めに忍びざればなり。彼の天子は固より然り、其れ怪しむに足る無し」と。辛垣衍曰く、「先生独り夫の僕を見ざるか。十人にして一人に従う者は、寧ろ力勝えずして、智若かざればなるか。之を畏るればなり」と。魯仲連曰く、「然らば梁の秦に比するや僕の若きか」と。辛垣衍曰く、「然り」と。魯仲連曰く、「然らば吾将に秦王をして梁王を烹醢せしめんとす」と。辛垣衍怏然として悦ばずして曰く、「嘻、亦た太だ甚だしきかな、先生の言や。先生又た悪んぞ能く秦王をして梁王を烹醢せしめんや」と。魯仲連曰く、「固よりなり、吾之を言うを待て。昔者、鬼侯と鄂侯と文王とは、紂の三公なり。鬼侯子有りて好し、故に之を紂に入る、紂以て悪しと為し、鬼侯を醢にす。鄂侯之を争うこと急にして、之を辨ずること疾なれば、故に鄂侯を脯にす。文王之を聞き、喟然として歎ず、故に之を牖里の車に拘え、百日にして之を舍きて死せしめんと欲す。曷為れぞ人と俱に帝王と称して、卒に脯醢の地に就くや。斉の閔王将に魯に之かんとし、夷維子策を執りて従い、魯人に謂いて曰く、『子将に何を以て吾が君を待たんとするか』と。魯人曰く、『吾将に十太牢を以て子の君を待たんとす』と。維子曰く、『子安くにか礼を取りて来たりて吾が君を待たんとするか。彼の吾が君は、天子なり。天子巡狩すれば、諸侯舍を辟け、筦鍵を納め、衽を摂り几を抱きて、膳を堂下に視、天子已に食すれば、退きて朝を聴くなり』と。魯人其の籥を投げうちて、果たして納れず。魯に入るを得ずして、将に薛に之かんとし、塗を鄒に仮る。是の時に当たりて、鄒君死し、閔王入りて弔せんと欲す。夷維子鄒の孤に謂いて曰く、『天子弔せば、主人必ず将に殯柩に倍きて、北面を南方に設け、然る后に天子南面して弔せんとす』と。鄒の群臣曰く、『必ず此くの若くんば、吾将に剣に伏して死せんとす』と。故に敢えて鄒に入らず。鄒・魯の臣、生きては則ち事養するを得ず、死しては則ち飯含するを得ず。然れども且つ天子の礼を鄒・魯の臣に行わんと欲するも、果たして納れられず。今秦は万乗の国、梁も亦た万乗の国なり。俱に万乗の国に拠り、交々王と称するの名有るに、其の一戦して勝つを賭て、従いて之を帝とせんと欲す、是れ三晋の大臣をして鄒・魯の僕妾に如かざらしむるなり。且つ秦已む無くして帝とならば、則ち且に諸侯の大臣を変易せんとす。彼将に其の不肖と謂う所を奪いて、其の賢と謂う所を予えんとす。其の憎む所を奪いて、其の愛する所に与えん。彼又た将に其の子女讒妾をして諸侯の妃姫と為し、梁の宮に処らしめんとす、梁王安んぞ晏然として已むを得んや。而して将軍又た何を以て故の寵を得んや」と。是に於いて、辛垣衍起ちて、再拝して謝して曰く、「始め先生を以て庸人と為せり、吾乃ち今日にして先生の天下の士たるを知る。吾請う去らん、敢えて復た秦を帝とすることを言わじ」と。秦将之を聞き、為に軍を郤くること五十里。適々魏の公子無忌の晋鄙の軍を奪いて以て趙を救い秦を撃つに会い、秦軍引きて去る。是に於いて平原君魯仲連を封ぜんと欲す。魯仲連辞讓すること三たびにして、終に肯えて受けず。平原君乃ち酒を置き、酒酣にして、起ちて前み千金を以て魯連の寿を為す。魯連笑いて曰く、「天下の士に貴ぶ所の者は、人の為に患を排し、難を釈き、紛乱を解きて取る所無きなり。即し取る所有る者は、是れ商賈の人なり、仲連は為すに忍びざるなり」と。遂に平原君を辞して去り、終身復た見えず。
-
史記 魯仲連鄒陽列伝彼の秦は、礼義を棄てて首功を上ぶの国なり。権もて其の士を使ひ、虜もて其の民を使ふ。彼即し肆然として帝と為り、過ちて天下に政を為さば、則ち連は東海を蹈みて死する有るのみ。吾之が民と為るに忍びざるなり。将軍に見ゆる所為の者は、以て趙を助けんと欲すればなり」と。新垣衍曰く、「先生之を助くること将に柰何せん」と。魯連曰く、「吾将に梁及び燕をして之を助けしめんとす。斉・楚は則ち固より之を助く」と。新垣衍曰く、「燕は則ち吾請ふ以て従はん。若し乃ち梁は、則ち吾乃ち梁人なり。先生悪くんぞ能く梁をして之を助けしめん」と。魯連曰く、「梁は未だ秦の帝と称するの害を睹ざるが故のみ。梁をして秦の帝と称するの害を睹しめば、則ち必ず趙を助けん」と。新垣衍曰く、「秦の帝と称するの害は何如」と。魯連曰く、「昔者斉の威王嘗て仁義を為せり。天下の諸侯を率ゐて周に朝す。周貧しく且つ微にして、諸侯朝する莫し。而るに斉独り之に朝す。居ること歳余、周の烈王崩ず。斉後れて往く。周怒り、斉に赴げて曰く、『天崩れ地坼け、天子席を下る。東藩の臣因斉後れて至る。則ち斮らん』と。斉の威王勃然として怒りて曰く、『叱嗟、而が母は婢なり』と。卒に天下の笑と為る。故に生きては則ち周に朝し、死しては則ち之を叱す。誠に其の求めに忍びざればなり。彼の天子は固より然り。其れ怪しむに足る無し」と。
-
史記 魯仲連鄒陽列伝魯仲連は、斉人なり。奇偉俶儻の画策を好み、而して仕宦して職に任ずるを肯ぜず、好んで高節を持す。趙に游ぶ。趙の孝成王の時、秦王、白起をして趙の長平の軍を破らしむること前後四十余万、秦兵遂に東して邯鄲を囲む。趙王恐る。諸侯の救兵、敢て秦軍を撃つ莫し。魏の安釐王、将軍晋鄙をして趙を救はしむるも、秦を畏れ、蕩陰に止まりて進まず。魏王、客将軍新垣衍をして間より邯鄲に入らしめ、平原君に因りて趙王に謂はしめて曰く、「秦の急に趙を囲む所以の者は、前に斉の湣王と彊を争ひて帝と為り、已にして復た帝を帰せり。今、斉湣王已に益々弱く、方今唯だ秦のみ天下に雄たり。此れ必ずしも邯鄲を貪るに非ず、其の意は復た求めて帝と為らんと欲するなり。趙誠に使を発して秦の昭王を尊びて帝と為さば、秦必ず喜び、兵を罷めて去らん」と。平原君猶予して未だ決する所有らず。此の時、魯仲連適々趙に游び、秦の趙を囲むに会ひ、魏将の趙をして秦を尊びて帝と為さしめんと欲するを聞き、乃ち平原君に見えて曰く、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る