戦国策 / 秦圍趙之邯鄲
秦圍趙之邯鄲。魏安釐王使將軍晉鄙救趙。畏秦,止於蕩陰,不進。魏王使客將軍新垣衍間入邯鄲,因平原君謂趙王曰:「秦所以急圍趙者,前與齊湣王爭強為帝,已而復歸帝,以齊故。今齊湣王已益弱。方今唯秦雄天下,此非必貪邯鄲,其意欲求為帝。趙誠發使尊秦昭王為帝,秦必喜,罷兵去。」平原君猶豫未有所決。此時魯仲連適游趙,會秦圍趙。聞魏將欲令趙尊秦為帝,乃見平原君曰:「事將奈何矣?」平原君曰:「勝也何敢言事?百萬之眾折於外,今又內圍邯鄲而不能去。魏王使將軍辛垣衍令趙帝秦。今其人在是,勝也何敢言事?」魯連曰:「始吾以君為天下之賢公子也,吾乃今然后知君非天下之賢公子也。梁客辛垣衍安在?吾請為君責而歸之。」平原君曰:「勝請召而見之於先生。」平原君遂見辛垣衍曰:「東國有魯連先生,其人在此,勝請為紹介而見之於將軍。」辛垣衍曰:「吾聞魯連先生,齊國之高士也。衍,人臣也,使事有職。吾不願見魯連先生也。」平原君曰:「勝已泄之矣。」辛垣衍許諾。魯連見辛垣衍而無言。辛垣衍曰:「吾視居北圍城之中者,皆有求於平原君者也。今吾視先生之玉貌,非有求於平原君者,曷為久居此圍城之中而不去也?」魯連曰:「世以鮑焦無從容而死者,皆非也。今眾人不知,則為一身。彼秦者,棄禮義而上首功之國也。權使其士,虜使其民。彼則肆然而為帝,過而遂正於天下,則連有赴東海而死矣。吾不忍為之民也!所為見將軍者,欲以助趙也。」辛垣衍曰:「先生助之奈何?」魯連曰:「吾將使梁及燕助之。齊、楚則固助之矣。」辛垣衍曰:「燕則吾請以從矣。若乃梁,則吾乃梁人也,先生惡能使梁助之耶?」魯連曰:「梁未睹秦稱帝之害故也,使梁睹秦稱帝之害,則必助趙矣。」辛垣衍曰:「秦稱帝之害將奈何?」魯仲連曰:「昔齊威王嘗為仁義矣,率天下諸侯而朝周。周貧且微,諸侯莫朝,而齊獨朝之。居歲餘,周烈王崩,諸侯皆弔,齊後往。周怒,赴於齊曰:『天崩地坼,天子下席。東藩之臣田嬰齊後至,則斮之。』威王勃然怒曰:『叱嗟,而母婢也。』卒為天下笑。故生則朝周,死則叱之,誠不忍其求也。彼天子固然,其無足怪。」辛垣衍曰:「先生獨未見夫僕乎?十人而從一人者,寧力不勝,智不若耶?畏之也。」魯仲連曰:「然梁之比於秦若僕耶?」辛垣衍曰:「然。」魯仲連曰:「然吾將使秦王烹醢梁王。」辛垣衍怏然不悅曰:「嘻,亦太甚矣,先生之言也!先生又惡能使秦王烹醢梁王?」魯仲連曰:「固也,待吾言之。昔者,鬼侯之鄂侯、文王,紂之三公也。鬼侯有子而好,故入之於紂,紂以為惡,醢鬼侯。鄂侯爭之急,辨之疾,故脯鄂侯。文王聞之,喟然而歎,故拘之於牖里之車,百日而欲舍之死。曷為與人俱稱帝王,卒就脯醢之地也?齊閔王將之魯,夷維子執策而從,謂魯人曰:『子將何以待吾君?』魯人曰:『吾將以十太牢待子之君。』維子曰:『子安取禮而來待吾君?彼吾君者,天子也。天子巡狩,諸侯辟舍,納於筦鍵,攝衽抱几,視膳於堂下,天子已食,退而聽朝也。』魯人投其籥,不果納。不得入於魯,將之薛,假塗於鄒。當是時,鄒君死,閔王欲入弔。夷維子謂鄒之孤曰:『天子弔,主人必將倍殯柩,設北面於南方,然后天子南面弔也。』鄒之群臣曰:『必若此,吾將伏劍而死。』故不敢入於鄒。鄒、魯之臣,生則不得事養,死則不得飯含。然且欲行天子之禮於鄒、魯之臣,不果納。今秦萬乘之國,梁亦萬乘之國。俱據萬乘之國,交有稱王之名,賭其一戰而勝,欲從而帝之,是使三晉之大臣不如鄒、魯之僕妾也。且秦無已而帝,則且變易諸侯之大臣。彼將奪其所謂不肖,而予其所謂賢;奪其所憎,而與其所愛。彼又將使其子女讒妾為諸侯妃姬,處梁之宮,梁王安得晏然而已乎?而將軍又何以得故寵乎?」於是,辛垣衍起,再拜謝曰:「始以先生為庸人,吾乃今日而知先生為天下之士也。吾請去,不敢復言帝秦。」秦將聞之,為郤軍五十里。適會魏公子無忌奪晉鄙軍以救趙擊秦,秦軍引而去。於是平原君欲封魯仲連。魯仲連辭讓者三,終不肯受。平原君乃置酒,酒酣,起前以千金為魯連壽。魯連笑曰:「所貴於天下之士者,為人排患、釋難、解紛亂而無所取也。即有所取者,是商賈之人也,仲連不忍為也。」遂辭平原君而去,終身不復見。
新字:秦囲趙之邯鄲。魏安釐王使将軍晉鄙救趙。畏秦,止於蕩陰,不進。魏王使客将軍新垣衍間入邯鄲,因平原君謂趙王曰:「秦所以急囲趙者,前与斉湣王争強為帝,已而復帰帝,以斉故。今斉湣王已益弱。方今唯秦雄天下,此非必貪邯鄲,其意欲求為帝。趙誠発使尊秦昭王為帝,秦必喜,罷兵去。」平原君猶予未有所決。此時魯仲連適游趙,会秦囲趙。聞魏将欲令趙尊秦為帝,乃見平原君曰:「事将奈何矣?」平原君曰:「勝也何敢言事?百万之眾折於外,今又內囲邯鄲而不能去。魏王使将軍辛垣衍令趙帝秦。今其人在是,勝也何敢言事?」魯連曰:「始吾以君為天下之賢公子也,吾乃今然后知君非天下之賢公子也。梁客辛垣衍安在?吾請為君責而帰之。」平原君曰:「勝請召而見之於先生。」平原君遂見辛垣衍曰:「東国有魯連先生,其人在此,勝請為紹介而見之於将軍。」辛垣衍曰:「吾聞魯連先生,斉国之高士也。衍,人臣也,使事有職。吾不願見魯連先生也。」平原君曰:「勝已泄之矣。」辛垣衍許諾。魯連見辛垣衍而無言。辛垣衍曰:「吾視居北囲城之中者,皆有求於平原君者也。今吾視先生之玉貌,非有求於平原君者,曷為久居此囲城之中而不去也?」魯連曰:「世以鮑焦無従容而死者,皆非也。今眾人不知,則為一身。彼秦者,棄礼義而上首功之国也。権使其士,虜使其民。彼則肆然而為帝,過而遂正於天下,則連有赴東海而死矣。吾不忍為之民也!所為見将軍者,欲以助趙也。」辛垣衍曰:「先生助之奈何?」魯連曰:「吾将使梁及燕助之。斉、楚則固助之矣。」辛垣衍曰:「燕則吾請以従矣。若乃梁,則吾乃梁人也,先生悪能使梁助之耶?」魯連曰:「梁未睹秦称帝之害故也,使梁睹秦称帝之害,則必助趙矣。」辛垣衍曰:「秦称帝之害将奈何?」魯仲連曰:「昔斉威王嘗為仁義矣,率天下諸侯而朝周。周貧且微,諸侯莫朝,而斉独朝之。居歲余,周烈王崩,諸侯皆弔,斉後往。周怒,赴於斉曰:『天崩地坼,天子下席。東藩之臣田嬰斉後至,則斮之。』威王勃然怒曰:『叱嗟,而母婢也。』卒為天下笑。故生則朝周,死則叱之,誠不忍其求也。彼天子固然,其無足怪。」辛垣衍曰:「先生独未見夫僕乎?十人而従一人者,寧力不勝,智不若耶?畏之也。」魯仲連曰:「然梁之比於秦若僕耶?」辛垣衍曰:「然。」魯仲連曰:「然吾将使秦王烹醢梁王。」辛垣衍怏然不悅曰:「嘻,亦太甚矣,先生之言也!先生又悪能使秦王烹醢梁王?」魯仲連曰:「固也,待吾言之。昔者,鬼侯之鄂侯、文王,紂之三公也。鬼侯有子而好,故入之於紂,紂以為悪,醢鬼侯。鄂侯争之急,弁之疾,故脯鄂侯。文王聞之,喟然而嘆,故拘之於牖里之車,百日而欲舎之死。曷為与人俱称帝王,卒就脯醢之地也?斉閔王将之魯,夷維子執策而従,謂魯人曰:『子将何以待吾君?』魯人曰:『吾将以十太牢待子之君。』維子曰:『子安取礼而来待吾君?彼吾君者,天子也。天子巡狩,諸侯辟舎,納於筦鍵,摂衽抱几,視膳於堂下,天子已食,退而聴朝也。』魯人投其籥,不果納。不得入於魯,将之薛,仮塗於鄒。当是時,鄒君死,閔王欲入弔。夷維子謂鄒之孤曰:『天子弔,主人必将倍殯柩,設北面於南方,然后天子南面弔也。』鄒之群臣曰:『必若此,吾将伏剣而死。』故不敢入於鄒。鄒、魯之臣,生則不得事養,死則不得飯含。然且欲行天子之礼於鄒、魯之臣,不果納。今秦万乗之国,梁亦万乗之国。俱拠万乗之国,交有称王之名,賭其一戦而勝,欲従而帝之,是使三晉之大臣不如鄒、魯之僕妾也。且秦無已而帝,則且変易諸侯之大臣。彼将奪其所謂不肖,而予其所謂賢;奪其所憎,而与其所愛。彼又将使其子女讒妾為諸侯妃姬,処梁之宮,梁王安得晏然而已乎?而将軍又何以得故寵乎?」於是,辛垣衍起,再拝謝曰:「始以先生為庸人,吾乃今日而知先生為天下之士也。吾請去,不敢復言帝秦。」秦将聞之,為郤軍五十里。適会魏公子無忌奪晉鄙軍以救趙擊秦,秦軍引而去。於是平原君欲封魯仲連。魯仲連辞譲者三,終不肯受。平原君乃置酒,酒酣,起前以千金為魯連寿。魯連笑曰:「所貴於天下之士者,為人排患、釈難、解紛乱而無所取也。即有所取者,是商賈之人也,仲連不忍為也。」遂辞平原君而去,終身不復見。
書き下し
秦、趙の邯鄲を囲む。魏の安釐王、将軍晋鄙をして趙を救わしむ。秦を畏れ、蕩陰に止まりて、進まず。魏王、客将軍新垣衍をして間かに邯鄲に入らしめ、平原君に因りて趙王に謂いて曰く、「秦の急に趙を囲む所以の者は、前に斉の湣王と強を争いて帝と為らんとし、已にして復た帝を帰す、斉を以ての故なり。今斉の湣王已に益々弱し。方今唯だ秦のみ天下に雄たり、此れ必ずしも邯鄲を貪るに非ず、其の意帝為らんことを求めんと欲するなり。趙誠に使を発して秦の昭王を尊びて帝と為さば、秦必ず喜び、兵を罷めて去らん」と。平原君猶予して未だ決する所有らず。此の時魯仲連適々趙に游び、秦の趙を囲むに会う。魏将の趙をして秦を尊びて帝と為さしめんと欲するを聞き、乃ち平原君に見えて曰く、「事将に奈何せんとするか」と。平原君曰く、「勝や何ぞ敢えて事を言わんや。百万の衆外に折れ、今又た内に邯鄲を囲みて去る能わず。魏王将軍辛垣衍をして趙をして秦を帝とせしめしむ。今其の人是に在り、勝や何ぞ敢えて事を言わんや」と。魯連曰く、「始め吾君を以て天下の賢公子と為せり、吾乃ち今然る后に君の天下の賢公子に非ざるを知る。梁の客辛垣衍安くにか在る、吾請う君の為に之を責めて帰らしめん」と。平原君曰く、「勝請う召して之を先生に見えしめん」と。平原君遂に辛垣衍に見えて曰く、「東国に魯連先生有り、其の人此に在り、勝請う紹介を為して之を将軍に見えしめん」と。辛垣衍曰く、「吾聞く魯連先生は、斉国の高士なり、と。衍は人臣なり、事に使いされて職有り。吾魯連先生に見えんことを願わざるなり」と。平原君曰く、「勝已に之を泄らせり」と。辛垣衍許諾す。魯連辛垣衍に見えて言う無し。辛垣衍曰く、「吾此の囲城の中に居る者を視るに、皆平原君に求むる有る者なり。今吾先生の玉貌を視るに、平原君に求むる有る者に非ず、曷為れぞ久しく此の囲城の中に居りて去らざるや」と。魯連曰く、「世は鮑焦を以て従容たること無くして死せりと為すは、皆非なり。今衆人知らずして、則ち一身の為とす。彼の秦は、礼義を棄てて首功を上ぶの国なり。権を以て其の士を使い、虜を以て其の民を使う。彼則ち肆然として帝と為り、過ちて遂に天下に正たらば、則ち連東海に赴きて死する有らん。吾之が民為るに忍びざるなり。将軍に見ゆる所以の者は、趙を助けんと欲すればなり」と。辛垣衍曰く、「先生之を助くること奈何」と。魯連曰く、「吾将に梁及び燕をして之を助けしめんとす。斉・楚は則ち固より之を助く」と。辛垣衍曰く、「燕は則ち吾請う以て従わん。乃ち梁の若きは、則ち吾乃ち梁人なり、先生悪んぞ能く梁をして之を助けしめんや」と。魯連曰く、「梁未だ秦の帝と称するの害を睹ざるが故なり、梁をして秦の帝と称するの害を睹しめば、則ち必ず趙を助けん」と。辛垣衍曰く、「秦の帝と称するの害将に奈何せんとするか」と。魯仲連曰く、「昔斉の威王嘗て仁義を為せり、天下の諸侯を率いて周に朝す。周貧しく且つ微にして、諸侯朝する莫きも、斉独り之に朝す。居ること歳余、周の烈王崩じ、諸侯皆弔するも、斉後れて往く。周怒りて、斉に赴して曰く、『天崩れ地坼け、天子席を下る。東藩の臣田嬰斉後れて至らば、則ち之を斮らん』と。威王勃然として怒りて曰く、『叱嗟、而の母は婢なり』と。卒に天下の笑いと為る。故に生きては則ち周に朝し、死しては則ち之を叱る、誠に其の求めに忍びざればなり。彼の天子は固より然り、其れ怪しむに足る無し」と。辛垣衍曰く、「先生独り夫の僕を見ざるか。十人にして一人に従う者は、寧ろ力勝えずして、智若かざればなるか。之を畏るればなり」と。魯仲連曰く、「然らば梁の秦に比するや僕の若きか」と。辛垣衍曰く、「然り」と。魯仲連曰く、「然らば吾将に秦王をして梁王を烹醢せしめんとす」と。辛垣衍怏然として悦ばずして曰く、「嘻、亦た太だ甚だしきかな、先生の言や。先生又た悪んぞ能く秦王をして梁王を烹醢せしめんや」と。魯仲連曰く、「固よりなり、吾之を言うを待て。昔者、鬼侯と鄂侯と文王とは、紂の三公なり。鬼侯子有りて好し、故に之を紂に入る、紂以て悪しと為し、鬼侯を醢にす。鄂侯之を争うこと急にして、之を辨ずること疾なれば、故に鄂侯を脯にす。文王之を聞き、喟然として歎ず、故に之を牖里の車に拘え、百日にして之を舍きて死せしめんと欲す。曷為れぞ人と俱に帝王と称して、卒に脯醢の地に就くや。斉の閔王将に魯に之かんとし、夷維子策を執りて従い、魯人に謂いて曰く、『子将に何を以て吾が君を待たんとするか』と。魯人曰く、『吾将に十太牢を以て子の君を待たんとす』と。維子曰く、『子安くにか礼を取りて来たりて吾が君を待たんとするか。彼の吾が君は、天子なり。天子巡狩すれば、諸侯舍を辟け、筦鍵を納め、衽を摂り几を抱きて、膳を堂下に視、天子已に食すれば、退きて朝を聴くなり』と。魯人其の籥を投げうちて、果たして納れず。魯に入るを得ずして、将に薛に之かんとし、塗を鄒に仮る。是の時に当たりて、鄒君死し、閔王入りて弔せんと欲す。夷維子鄒の孤に謂いて曰く、『天子弔せば、主人必ず将に殯柩に倍きて、北面を南方に設け、然る后に天子南面して弔せんとす』と。鄒の群臣曰く、『必ず此くの若くんば、吾将に剣に伏して死せんとす』と。故に敢えて鄒に入らず。鄒・魯の臣、生きては則ち事養するを得ず、死しては則ち飯含するを得ず。然れども且つ天子の礼を鄒・魯の臣に行わんと欲するも、果たして納れられず。今秦は万乗の国、梁も亦た万乗の国なり。俱に万乗の国に拠り、交々王と称するの名有るに、其の一戦して勝つを賭て、従いて之を帝とせんと欲す、是れ三晋の大臣をして鄒・魯の僕妾に如かざらしむるなり。且つ秦已む無くして帝とならば、則ち且に諸侯の大臣を変易せんとす。彼将に其の不肖と謂う所を奪いて、其の賢と謂う所を予えんとす。其の憎む所を奪いて、其の愛する所に与えん。彼又た将に其の子女讒妾をして諸侯の妃姫と為し、梁の宮に処らしめんとす、梁王安んぞ晏然として已むを得んや。而して将軍又た何を以て故の寵を得んや」と。是に於いて、辛垣衍起ちて、再拝して謝して曰く、「始め先生を以て庸人と為せり、吾乃ち今日にして先生の天下の士たるを知る。吾請う去らん、敢えて復た秦を帝とすることを言わじ」と。秦将之を聞き、為に軍を郤くること五十里。適々魏の公子無忌の晋鄙の軍を奪いて以て趙を救い秦を撃つに会い、秦軍引きて去る。是に於いて平原君魯仲連を封ぜんと欲す。魯仲連辞讓すること三たびにして、終に肯えて受けず。平原君乃ち酒を置き、酒酣にして、起ちて前み千金を以て魯連の寿を為す。魯連笑いて曰く、「天下の士に貴ぶ所の者は、人の為に患を排し、難を釈き、紛乱を解きて取る所無きなり。即し取る所有る者は、是れ商賈の人なり、仲連は為すに忍びざるなり」と。遂に平原君を辞して去り、終身復た見えず。
現代語訳
秦が趙の都邯鄲を包囲した。魏の安釐王は将軍晋鄙に趙を救援させたが、秦を恐れて蕩陰にとどまり、進もうとしなかった。魏王は客将軍の新垣衍をひそかに邯鄲に入らせ、平原君を通じて趙王に伝えさせた。「秦が急いで趙を包囲しているのは、以前斉の湣王と強さを競って皇帝を称しようとしたが、その後まもなく帝号を返上した経緯があり、それは斉のせいだったからです。今、斉の湣王はすでにいっそう弱くなりました。今や秦だけが天下に雄飛しています。これは必ずしも邯鄲の地を貪っているのではなく、その本心は皇帝を称することを求めているのです。趙が本当に使者を送り秦の昭王を皇帝として尊べば、秦は必ず喜び、兵を退いて去るでしょう。」平原君はためらって決めかねていた。ちょうどこの時、魯仲連がたまたま趙に遊説に来ており、秦が趙を包囲する事態に出くわした。魏の将軍が趙に秦を皇帝として尊ばせようとしていると聞き、そこで平原君に会って言った。「この事態、一体どうなさるおつもりですか。」平原君は言った。「私(勝)などが、どうしてあえて事態を語れましょうか。百万の大軍が国外で敗れ、今また国内では邯鄲が包囲されて解くこともできません。魏王は将軍辛垣衍を遣わし、趙に秦を皇帝とさせようとしています。今その人物がここにいる以上、私などがどうしてあえて事態を語れましょうか。」魯仲連は言った。「初め私は、あなたを天下の賢公子だと思っていました。しかし今この期に及んで、あなたが天下の賢公子ではないと初めて知りました。魏の客人辛垣衍はどこにいますか。どうか私が、あなたに代わって彼を責めて追い返しましょう。」平原君は言った。「私が呼んで先生にお引き合わせしましょう。」平原君はそこで辛垣衍に会って言った。「東方の国に魯仲連先生という方がおられ、その方が今ここにおられます。私が紹介して、将軍にお引き合わせいたしましょう。」辛垣衍は言った。「私が聞くところでは、魯仲連先生は斉国の高潔な士だとのことです。私(衍)は臣下の身であり、使命を帯びて役目があります。魯仲連先生にはお会いしたくありません。」平原君は言った。「私はすでにあなたのことをお話ししてしまいました。」辛垣衍はやむなく承諾した。魯仲連は辛垣衍に会ったが、何も言わなかった。辛垣衍は言った。「私がこの包囲された城の中にいる人々を見ますに、皆、平原君に何か求めるところがあってのことです。ところが今、先生の玉のような立派なお顔つきを拝見しますと、平原君に何か求めていらっしゃるようには見えません。どうして長くこの包囲された城の中に留まって去らないのですか。」魯仲連は言った。「世間では、鮑焦がゆったりとした心境もなく死んだと言いますが、それはみな誤りです。世の人々はその真意を理解せず、単に彼一身のためだったと考えているのです。そもそも秦という国は、礼儀を棄てて、首級を挙げた功績を第一とする国です。権謀をもってその士を使い、奴隷のようにその民を使います。もし秦が思うがままに皇帝を称し、あやまってついに天下の主となるようなことがあれば、私(連)は東海に身を投げて死ぬまでです。私はその国の民になるのは我慢がなりません。将軍にお会いした理由は、趙を助けたいと思うからです。」辛垣衍は言った。「先生はどのようにして趙を助けるおつもりですか。」魯仲連は言った。「私は魏(梁)と燕とにこれを助けさせようと思います。斉と楚はもとより助けるでしょう。」辛垣衍は言った。「燕についてはお任せしましょう。しかし魏(梁)については、私自身が魏の人間です。先生はどうやって魏に趙を助けさせるおつもりですか。」魯仲連は言った。「それは魏がまだ秦が皇帝を称することの害悪を目にしていないからです。もし魏にその害悪を実際に見せれば、魏は必ず趙を助けるでしょう。」辛垣衍は言った。「秦が皇帝を称することの害悪とは、一体どのようなものですか。」魯仲連は言った。「昔、斉の威王はかつて仁義を実践し、天下の諸侯を率いて周に朝見しました。周は貧しく力も衰えていて、諸侯たちは誰も朝見しませんでしたが、斉だけがこれに朝見したのです。それから一年余り経って、周の烈王が崩御し、諸侯は皆弔問しましたが、斉は遅れて到着しました。周は怒り、斉に使者を送って告げました。『天が崩れ地が裂けるほどの一大事で、天子は喪に服して席を下りておられる。東方の藩臣たる田嬰斉(威王)が遅れて到着するようなことがあれば、斬り捨てるぞ。』威王は激しく怒って言いました。『ええい、お前の母は卑しい婢女ではないか。』結局これは天下の笑い者となりました。周が生きているうちは朝見しながら、死んだとたんに罵るというのは、実にその過大な要求に我慢がならなかったからです。あの天子(周王)というのはもともとこういうもので、何も怪しむには足りません。」辛垣衍は言った。「先生はあの召使いの例をご覧になったことがないのですか。十人が一人に従うのは、力で敵わず、知恵で及ばないからでしょうか。いいえ、それを畏れているからです。」魯仲連は言った。「それでは、魏を秦と比べたら、まるで召使いのようなものだとおっしゃるのですか。」辛垣衍は言った。「その通りです。」魯仲連は言った。「それならば、私は秦王に魏王を煮殺し塩漬けにさせてみせましょう。」辛垣衍は不快そうな顔をして言った。「ああ、それはあまりにひどい仰りようです、先生。先生はまた、どうやって秦王に魏王を煮殺し塩漬けにさせることができるとおっしゃるのですか。」魯仲連は言った。「もちろんできます。私の話を聞いてください。昔、鬼侯・鄂侯・文王は、殷の紂王の三公でした。鬼侯には美しい娘がいて、それを紂王に差し出しましたが、紂王はこれを気に入らないとして、鬼侯を塩漬けの刑にしました。鄂侯がこれを激しく諫め、急いで弁護したため、鄂侯もまた干し肉の刑に処せられました。文王はこれを聞いて、深く嘆息しました。そのため紂王は文王を牖里の獄舎に百日間も拘禁し、そのまま死なせようとしたのです。なぜ、彼ら(鬼侯・鄂侯・文王)は紂王と共に帝王と称される身でありながら、結局は干し肉や塩漬けの刑に処せられる目に遭ったのでしょうか。斉の閔王がまさに魯に行こうとしたとき、夷維子が御者の鞭を執って従い、魯の人々に言いました。『あなた方は何をもって我が君をお迎えするおつもりか。』魯の人々は言いました。『我々は十頭の太牢(供物のフルセット)を用意して、あなたの君をお迎えいたします。』夷維子は言いました。『あなた方はどこからそのような礼を持ち出して我が君をお迎えしようというのか。そもそも我が君は天子なのです。天子が巡狩なさるときは、諸侯は自らの居所を避け、宮殿の鍵を天子に明け渡し、着物の裾をかかげて机を捧げ持ち、堂下で食事の給仕を務め、天子が食事を終えてから、退いて政務を執るものなのです。』魯の人々はその鍵をなげうって、結局閔王を受け入れませんでした。魯に入ることができず、閔王はまさに薛へ向かおうとして、鄒の地を通り道として借りようとしました。ちょうどそのとき、鄒の君主が亡くなり、閔王は弔問のため入城しようとしました。夷維子は鄒の遺児(喪主)に言いました。『天子が弔問なさる場合、主人は必ず柩の向きを変え、南向きに北面の席を設け、その後で天子が南面して弔問なさるものです。』鄒の群臣は言いました。『必ずそのようにせよと言うなら、我々は剣に伏して死ぬまでです。』そのため、閔王はあえて鄒には入りませんでした。鄒・魯の家臣たちは、閔王が生きているうちは十分な礼を尽くしてもらえず、死んだ後でさえも十分な弔いの礼さえ受けられませんでした。それでもなお、閔王は天子としての礼儀を鄒・魯の家臣たちに対して行おうとしましたが、結局受け入れてもらえなかったのです。今、秦は万乗の大国であり、魏(梁)もまた万乗の大国です。互いに万乗の国に拠り、互いに王と称する名分を持っているのに、たった一度の戦いに勝ったからというだけで、これに従って皇帝と仰ごうとするならば、これは三晋(韓・魏・趙)の大臣たちを、鄒・魯の召使い以下の存在にしてしまうことになります。しかも、秦が際限なく皇帝であり続ければ、いずれ諸侯の大臣たちを入れ替えるようになるでしょう。秦は自分たちが不肖(無能)と見なす者からその地位を奪い、自分たちが賢いと見なす者にそれを与えるでしょう。自分たちが憎む者から奪い、自分たちが愛する者に与えるでしょう。さらには、秦の娘や讒言を弄する側室たちを諸侯の妃や姫として送り込み、魏の宮中に住まわせるでしょう。そうなれば、魏王はどうして安穏としていられましょうか。そして将軍、あなた自身もまた、どうしてこれまでの寵愛を保っていられましょうか。」そこで辛垣衍は立ち上がり、二度拝礼して謝罪して言った。「初めは先生を凡庸な人物だと思っておりましたが、私は今日はじめて先生が天下の士であることを知りました。どうか私はここを去らせていただきます。二度と秦を皇帝とすることは口にいたしません。」秦の将軍はこれを聞き、そのために軍を五十里退かせた。ちょうどそのとき、魏の公子無忌(信陵君)が晋鄙の軍を奪い取って趙を救援し秦を攻撃したので、秦軍は兵を引いて去っていった。そこで平原君は魯仲連に領地を与えて封じようとした。魯仲連は三度これを辞退し、最後まで受け取ろうとしなかった。平原君はそこで酒宴を設け、酒がたけなわになった頃、立ち上がって進み出て、千金を魯仲連への贈り物として差し出そうとした。魯仲連は笑って言った。「天下の士として尊ばれる理由は、人のために患いを取り除き、困難を解決し、紛争を解きほぐしながら、何も対価を受け取らないところにあります。もし対価を受け取るようなことがあれば、それは商人のすることであって、私(仲連)にはとても我慢してできることではありません。」こうして魯仲連は平原君に別れを告げて立ち去り、生涯二度と姿を現すことはなかった。