智囊 / 辯才・子貢
子貢去而之魯,吳王果與齊人戰於艾陵,大破齊師,獲七將軍之兵而不歸,果以兵臨晉,與晉人相遇黃池之上。吳、晉爭強,晉人擊之,大敗吳師。越王聞之,涉江襲吳,去城七里而軍,吳王聞之,去晉而歸,與越戰於五湖。三戰不勝,城門不守,越遂圍王宮,殺夫差而戮其相。破吳三年,東向而霸。故子貢一出,存魯、亂齊、破吳、旨晉而霸越,十年之中,五國各有變。直是縱橫之祖,全不似聖賢門風。
新字:子貢去而之魯,呉王果与斉人戦於艾陵,大破斉師,獲七将軍之兵而不帰,果以兵臨晋,与晋人相遇黄池之上。呉、晋争強,晋人撃之,大敗呉師。越王聞之,渉江襲呉,去城七里而軍,呉王聞之,去晋而帰,与越戦於五湖。三戦不勝,城門不守,越遂囲王宮,殺夫差而戮其相。破呉三年,東向而覇。故子貢一出,存魯、乱斉、破呉、旨晋而覇越,十年之中,五国各有変。直是縦横之祖,全不似聖賢門風。
書き下し
子貢、去りて魯に之く。呉王、果たして斉人と艾陵に戦い、大いに斉師を破り、七将軍の兵を獲て帰らず。果たして兵を以て晋に臨み、晋人と黄池の上に相い遇う。呉・晋、強を争い、晋人之を撃ち、大いに呉師を敗る。越王、之を聞き、江を渉りて呉を襲い、城を去ること七里にして軍す。呉王、之を聞き、晋を去りて帰り、越と五湖に戦う。三たび戦いて勝たず、城門守らず。越、遂に王宮を囲み、夫差を殺して其の相を戮す。呉を破りて三年、東に向かいて覇たり。故に子貢一たび出でて、魯を存し、斉を乱し、呉を破り、晋を強にし、越を覇たらしむ。十年の中に、五国各々変有り。直ちに是れ縦横の祖にして、全く聖賢の門風に似ず。
現代語訳
子貢は去って魯へ戻った。呉王は予想どおり斉と艾陵で戦い、斉軍を大破し、七人の将軍の兵を捕らえて帰らなかった。そのまま兵を晋に向け、黄池のほとりで晋と対峙した。呉と晋は強さを争い、晋軍が攻撃して呉軍を大いに破った。越王はこれを聞き、江を渡って呉を襲い、都から七里の所に陣を置いた。呉王は知らせを聞いて晋を離れて引き返し、越と五湖で戦った。三度戦って勝てず、城門も守れなかった。越はついに王宮を囲み、夫差を殺してその宰相も斬った。呉を破って三年、越は東方に覇をとなえた。こうして子貢がひとたび動いただけで、魯は存続し、斉は乱れ、呉は破れ、晋は強くなり、越は覇者となった。十年のうちに、五つの国がそれぞれ変化した。まさしく縦横家の祖であって、聖人賢者の門下の風にはまったく似ていない。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・致思子貢民を治むるを孔子に問う。子曰わく、「懍懍焉として腐索の馬を扞するが若し。」 子貢曰わく、「何ぞ其れ畏るるや。」 孔子曰わく、「夫れ通達禦する皆人なり。道を以て之を導けば、則ち吾が畜なり。道を以て之を導かざれば、則ち吾が讎なり。之を如何ぞ其れ畏るる無からんや。」
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孔子家語・弟子行衛の將軍文子、子貢に問いて曰わく、「吾れ聞く、孔子の教えを施すや、之に先んずるに詩書を以てし、之を道びくに孝悌を以てす。之を說くに仁義を以てし、之を觀るに禮樂を以てす。然る後に之を成すに文德を以てすと。蓋し室に入り堂に升る者、七十餘人。其れ孰か賢と為す。」子貢對うるに「知らず」を以てす。文子曰わく、「吾子の常に賢者と與に學ぶを以てなり、『知らず』とは何の謂いぞ。」子貢對えて曰わく、「賢人は妄無く、賢を知るは即ち難し。故に君子の言に曰わく、『智は人を知るより難きは莫し。』と。是を以て對え難きなり。」文子曰わく、「夫れ賢を知るの難からざる莫きが若きも、今吾子親しく遊ぶ、是を以て敢えて問う。」子貢曰わく、「夫子の門人蓋し三千就ける有り。賜は逮及する有り、未だ逮及せざる有り、故に遍く知りて以て告ぐる能わざるなり。」文子曰わく、「吾子の逮及する所の者、請う其の行を問わん。」
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孔子家語・屈節解遂に齊に如きて、田常に說きて曰く、「今子魯に功を收めんと欲するは實に難し、兵を吳に移すに如かざれば則ち易し。」田常悅ばず。子貢曰く、「夫れ憂い內に在る者は、強きを攻め、憂い外に在る者は、弱きを攻む。吾聞く、子三たび封ぜられて三たび成らず、是れ則ち大臣令を聽かざるなり。戰いて勝てば以て主を驕らせ、國を破りて以て臣を尊ぶ。而して子の功之に與からざれば、則ち交わり日々主に疏くして、大臣と爭う、此くのごとくんば則ち子の位危うし。」田常曰く、「善し。然れども兵甲已に魯に加わり、更うべからず。之を如何せん。」子貢曰く、「師を緩めよ、吾吳に請いて、魯を救いて齊を伐たしめん。子因りて兵を以て之を迎えよ。」田常許諾す。
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史記 仲尼弟子列伝句践頓首再拝して曰く、「孤嘗て力を料らず、乃ち呉と戦ひ、会稽に困しみ、痛み骨髄に入り、日夜唇を焦がし舌を乾かし、徒だ呉王と踵を接して死せんと欲す、孤の願ひなり」と。遂に子貢に問ふ。子貢曰く、「呉王は人と為り猛暴にして、群臣堪へず。国家は数々戦ふを以て敝れ、士卒忍びず。百姓上を怨み、大臣内に変ず。子胥諫むるを以て死し、太宰嚭事を用ひ、君の過ちに順ひて以て其の私を安んず。是れ国を残ふの治なり。今王誠に士卒を発して之を佐けて其の志を徼め、重宝以て其の心を説ばしめ、卑辞以て其の礼を尊ばば、其の斉を伐つこと必せり。彼戦ひて勝たずんば、王の福なり。戦ひて勝たば、必ず兵を以て晋に臨まん、臣請ふ北のかた晋君に見え、共に之を攻めしめん、呉を弱むること必せり。其の鋭兵は斉に尽き、重甲は晋に困しみ、而して王其の敝を制せば、此れ呉を滅ぼすこと必せり」と。越王大いに説び、許諾す。子貢に金百鎰、剣一、良矛二を送る。子貢受けず、遂に行く。呉王に報じて曰く、「臣敬んで大王の言を以て越王に告ぐ、越王大いに恐れて、曰く、『孤不幸にして、少くして先人を失ひ、内に自ら量らず、罪を呉に抵し、軍敗れ身辱められ、会稽に棲み、国は虚莽と為る、大王の賜に頼りて、俎豆を奉じて祭祀を修むるを得しむ、死すとも敢へて忘れず、何の謀か之れ敢へて慮らん』と」と。後五日、越大夫種をして頓首して呉王に言はしめて曰く、「東海の役臣孤句践の使者臣種、敢へて下吏を修めて左右に問ふ。今竊かに聞く大王将に大義を興し、彊を誅し弱を救ひ、暴斉を困しめて周室を撫せんとすと、請ふ悉く境内の士卒三千人を起こさん、孤請ふ自ら堅を被り鋭を執りて、以て先づ矢石を受けん。因りて越の賤臣種先人の蔵器、甲二十領、鈇、屈盧の矛、歩光の剣を奉じて、以て軍吏を賀せしむ」と。呉王大いに説び、以て子貢に告げて曰く、「越王身ら寡人に従ひて斉を伐たんと欲す、可なるか」と。子貢曰く、「不可なり。夫れ人の国を空しくし、人の衆を悉くし、又其の君を従へるは、不義なり。君其の幣を受け、其の師を許して、其の君を辞せよ」と。呉王許諾し、乃ち越王に謝す。是に於いて呉王乃ち遂に九郡の兵を発して斉を伐つ。
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