孔子家語 / 致思
子貢問於孔子曰:「死者有知乎?將無知乎?」子曰:「吾欲言死之有知,將恐孝子順孫妨生以送死;吾欲言死之無知,將恐不孝之子棄其親而不葬。賜不欲知死者有知與無知。非今之急,後自知之。」
新字:子貢問於孔子曰:「死者有知乎?将無知乎?」子曰:「吾欲言死之有知,将恐孝子順孫妨生以送死;吾欲言死之無知,将恐不孝之子棄其親而不葬。賜不欲知死者有知与無知。非今之急,後自知之。」
書き下し
子貢孔子に問いて曰わく、「死者は知有りや、将た知無きや。」 子曰わく、「吾死の知有るを言わんと欲すれば、将た孝子順孫の生を妨げて以て死を送らんことを恐る。吾死の知無きを言わんと欲すれば、将た不孝の子其の親を棄てて葬らざらんことを恐る。賜死者の知有ると知無きとを知らんと欲すること莫かれ。今の急に非ず、後自ら之を知らん。」
現代語訳
子貢が孔子に尋ねた。「死者には意識があるのでしょうか、それともないのでしょうか。」 先生は言った。「もし私が『死者には意識がある』と言えば、孝行な子や従順な孫が、自分の生活を犠牲にしてまで手厚く葬送しようとすることを恐れる。もし私が『死者には意識がない』と言えば、不孝な子が親を見捨てて葬らなくなることを恐れる。賜(子貢)よ、死者に意識があるかないかを知ろうとするのはやめなさい。それは今急いで知るべきことではない。いずれ自然と分かるときが来るだろう。」
解説
死後に意識があるかどうかという子貢の問いに、孔子が明確な答えを避けた逸話です。孔子はこの問いに理論的な答えを与えることよりも、その答えが人々の実際の行動にどう影響するかを重視しています。「意識がある」と言えば過度な厚葬を招きかねず、「意識がない」と言えば親を軽んじる不孝を招きかねないため、あえてどちらとも答えず、今知る必要のないこととして退けているのです。形而上学的な問いへの態度を示す言葉として知られ、実証できないことについて断定的に語ることの弊害と、答えの分からない問いとどう向き合うべきかについて、現実的で慎重な姿勢を示す話といえます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
子貢死生観不可知論孝実践重視
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