智囊 / 敏悟・蘇軾
荊公柄國時,有人題相國寺壁云:「終歲荒蕪湖浦焦,貧女戴笠落柘條,阿儂去家京洛遙,驚心寇盜來攻剽。」人皆以為夫出,婦憂亂荒也。及荊公罷相,子瞻召還,諸公飲蘇寺中,以此詩問之。蘇曰:「於『貧女』句,可以得其人矣。『終歲』,十二月也,十二月為『青』字;『荒蕪』,田有草也,草田為『苗』字;『湖浦焦』,水去也,水傍去為『法』字;『女戴笠』為『安』字;『柘落條』為『石』字;『阿儂』乃吳言,合之為『誤』字;『去家京洛』為『國』字;寇盜攻剽,為賊民。蓋隱『青苗法安石誤國賊民』也。」
新字:荊公柄国時,有人題相国寺壁云:「終歳荒蕪湖浦焦,貧女戴笠落柘条,阿儂去家京洛遥,驚心寇盗来攻剽。」人皆以為夫出,婦憂乱荒也。及荊公罷相,子瞻召還,諸公飲蘇寺中,以此詩問之。蘇曰:「於『貧女』句,可以得其人矣。『終歳』,十二月也,十二月為『青』字;『荒蕪』,田有草也,草田為『苗』字;『湖浦焦』,水去也,水傍去為『法』字;『女戴笠』為『安』字;『柘落条』為『石』字;『阿儂』乃呉言,合之為『誤』字;『去家京洛』為『国』字;寇盗攻剽,為賊民。蓋隠『青苗法安石誤国賊民』也。」
書き下し
荊公、国柄を執る時、人有りて相国寺の壁に題して云う、「終歳荒蕪、湖浦焦ぐ。貧女笠を戴き柘条に落つ。阿儂家を去ること京洛遙かなり。心を驚かす寇盗の来たりて攻め剽するに」と。人みな以て、夫出でて婦が乱荒を憂うるなりとす。荊公罷相するに及び、子瞻召し還され、諸公、寺中に飲し、此の詩を以て之に問う。蘇曰く、「『貧女』の句に於て、以て其の人を得べし。『終歳』は十二月なり、十二月は『青』の字たり。『荒蕪』は田に草有り、草田は『苗』の字たり。『湖浦焦』は水去るなり、水の傍に去は『法』の字たり。『女の笠を戴く』は『安』の字たり。『柘の条に落つ』は『石』の字たり。『阿儂』は乃ち呉の言なり、合わせて『誤』の字たり。『去家京洛』は『国』の字たり。寇盗の攻剽は、賊民なり。蓋し『青苗法、安石、国を誤り民を賊う』を隠すなり」と。
現代語訳
王安石(荊公)が国政を執っていたとき、ある人が相国寺の壁に詩を書いた。「終歳荒蕪、湖浦焦ぐ。貧女笠を戴き柘条に落つ。阿儂家を去ること京洛遙かなり。心を驚かす寇盗の来たりて攻め剽するに。」人々はみな、夫が出かけて妻が乱世を憂える詩だと思った。王安石が宰相を罷免され、蘇軾が召し還されると、諸公が寺で酒を飲み、この詩について蘇軾に尋ねた。蘇軾は言った。「『貧女』の句から、その人物が分かります。『終歳』は十二か月で、十二の月は『青』の字。『荒蕪』は田に草があること、草と田で『苗』の字。『湖浦焦』は水が去ること、水の傍に去で『法』の字。『女の笠を戴く』は『安』の字。『柘の条に落つ』は『石』の字。『阿儂』は呉の言葉で、合わせて『誤』の字。『去家京洛』は『国』の字。寇盗の攻剽は、民を害する賊のことです。つまり『青苗法、安石、国を誤り民を賊う』を隠しているのです。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻九・蘇轍一日介甫一巻の書を出だして曰く、此れ青苗法なり。諸君熟く之を議せよ。不便有らば以て告げよ。疑うこと勿かれと。他日轍之に告げて曰く、錢を以て民に貸し息二分を出さしむるは、本と以て民の困を救うにして利を爲すに非ざるなり。然れども出納の際、吏縁りて姦を爲す。法有りと雖も禁ずる能わず。錢民の手に入れば良民と雖も非理の費用を免れず。其の錢を納むるに及びては富民と雖も限に違うを免れず。此くの如くんば則ち鞭箠必ず用いらる。州縣の事は煩に勝えざらんと。
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『智囊』敏悟・開元寺沙彌・令狐綯乾符の末、客の広陵の開元寺に寓する有り。僧に礼せられず、門に題して去る。題して云う、「龕龍、東涯に去り、時日、西斜に隠る。敬文今ま在らず、砕石、流沙に入る」と。僧衆みな解せず。沙弥有り、謗語なるを知る。これ「合寺苟卒」の四字なり。令狐綯、淮海を鎮むる日、嘗て大明寺に游び、西壁に題して云うを見る、「一人堂堂、二曜同光、泉深尺一、点去冰旁、二人相連、不欠一辺、三梁四柱烈火燃、除却双鈎両日全」と。諸賓幕、辨ずる莫し。支使班蒙有り、一見して「大明寺水、天下無比」の八字なるを知る。
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『智囊』謬數・狄青・王安石陝西の豪士劉易、多く辺に游び、兵を談ずるを喜ぶ。韓魏公、厚く之を遇す。狄青、宴設の每に、易、苦馬菜を食らうを喜ぶも、得ざれば、即ち叫怒して無礼なり。辺地には之無く、狄、為に内郡に求め、後、燕集する每に、終日唯だ此の菜を以て之に啖わしむ。易、堪うる能わず、方に常饌を設く。王舒王の越国呉夫人、性は潔を好み疾を成す。王は真率に任せ、每に相い合わず。江寧より骸を乞いて私第に帰るに、官藤牀有り、呉、仮りて用い未だ還さず。郡吏、来たりて索む。左右、敢えて言う莫し。王、一旦、跣にして牀に登り、偃仰すること良久し。呉、望見して、即ち命じて送り還さしむ。王安石、江寧より官を辞して後、故居の旧宅に回到す。話すに、官の藤牀有り。呉夫人、借り去りて後、就ち一直に未だ帰還せず。郡吏、多次に前来して索討するも、都て空手にて回る。有る一日、王安石、就ち鞋を穿きて牀に跳び上がり、然る後に其の上に躺臥す。呉夫人見て、立ちどころに人に命じて牀を将て送還せしむ。
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『智囊』敏悟・拆字朝士有り、其の室、懐娠して月を過ぐ。手ずから一つの「也」の字を書し、其の夫をして持ち問わしむ。是の日、坐客甚だ衆し。石、詳らかに視て、朝士に謂いて曰く、「此れ閣中の書する所なるか」と。曰く、「何を以て之を言う」と。石曰く、「語助と謂うは、焉・哉・乎・也なり。固より是れ公の内助の書する所なるを知る」と。問う、「盛年は三十一なるか」と。曰く、「是なり」と。「「也」の字の上は「三十」と為り、下は「一」の字と為るを以てなり」と。「然らば吾が官、此に寄す。当に力めて遷動を謀るべし。還た得べきか」と。曰く、「正に此を以て撓ると為すのみ。蓋し「也」の字、「水」を著くれば則ち「池」と為り、「馬」有れば則ち「馳」と為る。今、池は運んで則ち水無く、陸に馳せて則ち馬無し。是れ安んぞ動かすべけんや。又、尊閣の父母兄弟、近身の親人、皆当に一も存する者無かるべし。「也」の字に「人」を著くれば則ち是れ「他」の字なるに、今、独り「也」の字を見て「人」を見ざるが故なり。又、尊閣の其の家の物産も亦た当に蕩尽すべきか。「也」の字に「土」を著くれば則ち「地」の字と為るに、今、「土」を見ず只だ「也」を見るのみ。倶に是なるか」と。曰く、「誠に言う所の如し。然れども此れ皆問う所の者に非ず。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光韓琦上疏して青苗の害を論ず。上感悟して其の法を罷めんと欲す。安石疾と稱して去るを求む。會ミ公を樞副に拜す。公上章して力めて辭すること六七に至りて曰く、上誠に能く制置條例司を罷め提舉官を追還し、青苗・□役等の法を行わずんば、臣を用いずと雖も臣の受くる賜は多し。然らずんば終に敢えて命を受けずと。上人を遣わして公に謂う、樞密は兵事なり。官には各ミ職有り。當に他事を以て辭と爲すべからずと。公言う、臣未だ命を受けざれば則ち猶お待從なり。事に於いて言う可からざるは無しと。安石起ちて事を視る。青苗法卒に罷まず。公も亦た卒に命を受けず。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦未だ幾ならずして、御史中丞呂公著も亦た青苗の便に非ざるを言う。安石之を黜けんと欲す。上曰く、須らく別に事に坐して出でしむべしと。既にして又た曰く、公著言う、韓琦近ごろ章疏有り、朝廷も亦た當に聽納すべし。古より執政若し藩臣と間隙を生ぜば、晉陽の甲を舉げて以て君側の惡を逐う者有るに至ると。安石遽かに曰く、只だ此れ逐う可しと。公著遂に大臣を誣いて晉陽の甲を舉げんと欲すに坐し、罷めて蔡州を知らしむ。諫官孫覺之を聞きて曰く、此の言は覺嘗て之を奏す。今公著を貶するは誤りなりと。公既に言を以て權臣に忤らい、又た公著の告詞に因る所を明らかに坐す。公益ミ恐悚し、遂に疾を以て章を上りて徐州を知らんことを乞う。章四たび上る。神宗内侍李舜舉を遣わして之を慰諭す。乃ち止む。
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