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智囊 / 敏悟・漢高祖・唐太宗

漢高祖過柏人,欲宿,心動,詢其地名,曰「柏人」,柏人者,迫於人也。不宿而去。已而聞貫高之謀。高祖不禮於趙王,故貫高等欲謀弒之。竇建德救王世充,悉兵至牛口。李世民喜曰:「豆入牛口,必無全理。」遂一戰擒之。〔述評〕後漢岑彭伐蜀,至彭亡,遇刺客而死。唐馬燧討李懷光,引兵下營,問其地,曰:「埋光村。」喜曰:「擒賊必矣。」果然。遼主德光寇晉,回至殺胡林而亡。宋吳璘與金人戰,大敗於興州之殺金坪。弘治中,廣西馬參議玹與都司馬某征瑤,至雙倒馬關,皆為賊所殺。寧王反,兵敗於安慶,舟泊黃石磯,問左右:「此何地名?」左右以對,江西人呼「黃」如「王」音,濠歎曰:「我固應『失機』於此。」無何就擒,讖其可盡忽乎?」文皇兵至懷來城,毀五虎橋而進。又如狼山、土墓、豬窩等處,俱不駐營,惡其名也。弘治乙丑,崑山顧鼎臣為狀元。尹閣老值家居,謂人曰:「此名未善。」蓋「臣」與「成」聲相似,鼎成龍駕,名犯嫌諱。至五月,果驗。人謂尹之言亦有本同音。景泰辛未狀元乃柯潛,時人云:「『柯』與『哥』同音。未幾,英廟還自北,退居南宮,固『哥潛』之讖。

新字:漢高祖過柏人,欲宿,心動,詢其地名,曰「柏人」,柏人者,迫於人也。不宿而去。已而聞貫高之謀。高祖不礼於趙王,故貫高等欲謀弒之。竇建徳救王世充,悉兵至牛口。李世民喜曰:「豆入牛口,必無全理。」遂一戦擒之。〔述評〕後漢岑彭伐蜀,至彭亡,遇刺客而死。唐馬燧討李懐光,引兵下営,問其地,曰:「埋光村。」喜曰:「擒賊必矣。」果然。遼主徳光寇晋,回至殺胡林而亡。宋呉璘与金人戦,大敗於興州之殺金坪。弘治中,広西馬参議玹与都司馬某征瑤,至双倒馬関,皆為賊所殺。寧王反,兵敗於安慶,舟泊黄石磯,問左右:「此何地名?」左右以対,江西人呼「黄」如「王」音,濠嘆曰:「我固応『失機』於此。」無何就擒,讖其可尽忽乎?」文皇兵至懐来城,毀五虎橋而進。又如狼山、土墓、豬窩等処,倶不駐営,悪其名也。弘治乙丑,崑山顧鼎臣為状元。尹閣老値家居,謂人曰:「此名未善。」蓋「臣」与「成」声相似,鼎成竜駕,名犯嫌諱。至五月,果験。人謂尹之言亦有本同音。景泰辛未状元乃柯潜,時人云:「『柯』与『歌』同音。未幾,英廟還自北,退居南宮,固『歌潜』之讖。

書き下し

漢の高祖、柏人を過ぎ、宿らんと欲して心動き、その地名を詢う。曰く、「柏人」と。柏人とは、人に迫らるるなり。宿らずして去る。已にして貫高の謀を聞く。高祖、趙王に礼せず、故に貫高ら、これを弑せんと謀る。竇建徳、王世充を救い、兵を悉して牛口に至る。李世民喜びて曰く、「豆、牛の口に入る、必ず全き理無し」と。遂に一戦してこれを擒にす。〔述評〕後漢の岑彭、蜀を伐ち、彭亡に至りて、刺客に遇いて死す。唐の馬燧、李懐光を討ち、兵を引きて営を下し、その地を問うに、曰く「埋光村」と。喜びて曰く、「賊を擒にすること必せり」と。果たして然り。遼主徳光、晋を寇し、回りて殺胡林に至りて亡ぶ。宋の呉璘、金人と戦い、興州の殺金坪に大敗す。弘治中、広西の馬参議玹と都司馬某、瑤を征し、双倒馬関に至りて、皆賊の殺す所と為る。寧王反し、兵、安慶に敗れ、舟、黄石磯に泊す。左右に問う、「これ何の地名ぞ」と。左右、対う。江西の人は「黄」を呼ぶこと「王」の音の如し。濠歎じて曰く、「我、固より当に『失機』すべきはここなり」と。無何にして擒に就く。讖はそれ尽く忽にすべけんや。文皇の兵、懐来城に至り、五虎橋を毀ちて進む。また狼山・土墓・豬窩等の処の如き、俱に営を駐めず、その名を悪むなり。弘治乙丑、崑山の顧鼎臣、状元と為る。尹閣老、家居に値い、人に謂いて曰く、「この名は未だ善からず」と。けだし「臣」と「成」は声相似て、鼎成りて龍駕す、名、嫌諱を犯す。五月に至りて、果たして験あり。人、尹の言もまた本づく有り同音なりと謂う。景泰辛未の状元は乃ち柯潛、時人云う、「柯」は「哥」と同音なり。未だ幾ばくならずして、英廟北より還り、南宮に退居す。固より「哥潜」の讖なり。

現代語訳

漢の高祖が柏人を通りかかり、泊まろうとしたが胸騒ぎがして、その地名を尋ねた。「柏人」と答えた。柏人とは、人に迫られるという意味に通じる。そこで泊まらずに去った。のちに貫高らの謀略があったことを聞いた。高祖が趙王に礼を尽くさなかったので、貫高らは高祖を弑しようと企んだのである。竇建徳が王世充を救うため、全軍を率いて牛口に至った。李世民は喜んで言った。「豆が牛の口に入った、無事で済む道理はない。」こうして一戦でこれを捕らえた。〔述評〕後漢の岑彭は蜀を討伐して彭亡に至り、刺客に遭って死んだ。唐の馬燧は李懐光を討ち、兵を率いて陣を張り、その地名を尋ねると「埋光村」と答えた。馬燧は喜んで「賊を捕らえることは必定だ」と言った。果たしてそのとおりになった。遼主の耶律徳光が晋を侵して、帰り道に殺胡林で死んだ。宋の呉璘が金軍と戦ったとき、興州の殺金坪で大敗した。弘治年間、広西の参議馬玹と都司の馬某が瑤族を討伐し、双倒馬関まで来て、ともに賊に殺された。寧王が反乱を起こし、兵が安慶で敗れ、舟が黄石磯に停泊した。側近に「ここは何という地名か」と尋ね、側近が答えた。江西の人は「黄」を「王」のような音で発音する。寧王は嘆いて言った。「私は確かにここで機を失うはずだったのだ。」まもなく捕らえられた。予言のようなものを、全く無視してよいものだろうか。文皇(永楽帝)の軍は懐来城に着き、五虎橋を壊して進んだ。また狼山・土墓・猪窩などの場所でも、みな陣を置かなかった。その名を嫌ったのである。弘治乙丑の年、崑山の顧鼎臣が状元となった。尹閣老は自宅にいて、人に言った。「この名はよくない。」「臣」と「成」は音が似ており、「鼎成りて龍駕す(鼎が成って龍に乗る=崩御)」という名前が忌み言葉に触れるからである。五月になって、果たして的中した。人々は尹の言葉にも根拠があり、同音のためだと言った。景泰辛未の状元は柯潜で、当時の人は「柯は哥と同音だ」と言った。まもなく英宗が北から還り、南宮に退いて住んだ。まさに「哥潜(兄が潜む)」の予言どおりであった。

解説

地名や名前の音から吉凶を読み、行動を変えた例が並びます。高祖は柏人の名が迫られると響くので泊まらず難を逃れ、李世民や馬燧は地名を縁起として士気を高めました。反対に、地名が不吉でも進んだ者が敗れた例も挙げられます。もちろん多くは後付けの語呂合わせで、確かでない話も含まれています。ただし、現場の名前や縁起を気にする兵の心理を逆手に取り、士気を上げたり、危険を避ける理由にしたりしたことは、実務的な意味があります。管理職は、迷信そのものより、人々の心理を動かす物語の力を理解して使うことが重要です。

この章句が説くこと

柏人豆入牛口埋光村地名縁起士気

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