智囊 / 敏悟・王戎
王戎年七歲時,嘗與諸小兒游,矚見道旁李樹,有子扳折,諸小兒競走之,唯戎不動。人問之,答曰:「樹在道旁而多子,此必苦李。」試之果然。〔述評〕許衡少時,嘗暑中過河陽,其道有梨,眾爭取啖之,衡獨危坐樹下自若。或問之,曰:「非其有而取之,不可。」曰:「人亡世亂,此無主矣。」衡曰:「梨無主,吾心獨無主乎?」合二事觀戎為智,衡為義,皆神童也。
新字:王戎年七歳時,嘗与諸小児游,矚見道旁李樹,有子扳折,諸小児競走之,唯戎不動。人問之,答曰:「樹在道旁而多子,此必苦李。」試之果然。〔述評〕許衡少時,嘗暑中過河陽,其道有梨,衆争取啖之,衡独危坐樹下自若。或問之,曰:「非其有而取之,不可。」曰:「人亡世乱,此無主矣。」衡曰:「梨無主,吾心独無主乎?」合二事観戎為智,衡為義,皆神童也。
書き下し
王戎、年七歳の時、嘗て諸小児と游び、道旁の李樹の子を扳折するを矚見し、諸小児競いてこれに走るも、ただ戎のみ動かず。人これに問うに、答えて曰く、「樹は道旁に在りて子多し、これ必ず苦李ならん」と。試みるに果たして然り。〔述評〕許衡、少き時、嘗て暑中に河陽を過ぐるに、その道に梨有り。衆争いて取りて啖う。衡ひとり危坐して樹下に自若たり。或ひとこれに問う。曰く、「その有に非ずして取るは、不可なり」と。曰く、「人亡び世乱る、これ主無きなり」と。衡曰く、「梨に主無きも、吾が心に独り主無からんや」と。二事を合わせて観れば、戎は智、衡は義、皆神童なり。
現代語訳
王戎が七歳のとき、友だちの子供たちと遊んでいて、道端のスモモの木に実がたくさんついて枝が折れそうなのを見かけた。ほかの子供たちはわれ先にと走り寄ったが、王戎だけは動かなかった。人がそのわけを尋ねると、答えて言った。「木は道端にあるのに実がたくさんなっています。これはきっと苦いスモモでしょう。」試してみると、果たしてそのとおりだった。〔述評〕許衡は若いころ、暑い中を河陽を通り過ぎたことがある。その道に梨の木があり、みんなが争って取って食べた。許衡だけは姿勢を正して木の下で平然と座っていた。ある人がわけを尋ねた。許衡は「自分の物でないのに取るのはいけません」と言った。その人は「人は滅び世は乱れて、これは持ち主のない物だ」と言った。許衡は言った。「梨に持ち主がなくても、私の心にどうして持ち主がないことがありましょうか。」二つの話を合わせて見ると、王戎は知恵、許衡は義であり、どちらも神童である。
解説
この章句が説くこと
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説苑・修文凡そ人の患禍有る者は、淫泆暴慢に生ず、淫泆暴慢の本は、飲酒に生ず。故に古は其の飲酒の禮を慎み、耳をして雅音を聽かしめ、目をして正儀を視しめ、足をして正容を行かしめ、心をして正道を論ぜしむ。故に終日飲酒して過失無く、近き者は數日、遠き者は數月、皆人德有りて以て善を益す。詩に云う、「既に醉うに酒を以てし、既に飽くに德を以てす。」此を之れ謂うなり。
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説苑・說叢夫れ小快は義を害し、小慧は道を害し、小辨は治を害す。苟しくも心德を傷めば、大政險ならず。蛟龍神なりと雖も、白日を以て其の倫を去る能わず。飄風疾しと雖も、陰雨を以て其の塵を揚ぐる能わず。邑の名勝母には、曾子入らず。水の名盜泉には、孔子飲まず。其の聲を醜めばなり。婦人の口は以て走を出だすべく、婦人の喙は以て死敗すべし。
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説苑・君道孔子曰く、「文王は元年に似、武王は春王に似、周公は正月に似たり。文王は王季を以て友と為し、太任を以て母と為し、太姒を以て妃と為し、武王周公を以て子と為し、泰顛閎夭を以て臣と為す、其の本美なり。武王其の身を正して以て其の国を正し、其の国を正して以て天下を正す。無道を伐ち、罪有るを刑し、一動して天下正し、其の事正しきなり。春は其の時を致して万物皆生に及ぶ。君は其の道を致して万人皆治に及ぶ。周公己を戴きて天下之に順う、其の誠至れり」と。
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史記 管晏列伝晏平仲嬰は、莱の夷維の人なり。斉の霊公・荘公・景公に事へ、節倹・力行を以て斉に重んぜらる。既に斉に相たりて、食に肉を重ねず、妾に帛を衣せず。其の朝にあるや、君の語之に及べば、即ち言を危くし、語及ばざれば、即ち行ひを危くす。国に道有れば、即ち命に順ひ、道無ければ、即ち命を衡る。此れを以て三世、名を諸侯に顕す。
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説苑・立節宋の康公阿を攻め、単父を屠る。成公趙曰わく、「始め吾自ら知らざりき、以為えらく千乗に在らば則ち万乗も敢えて伐たず、万乗に在らば則ち天下も敢えて図らずと。今趙阿に在りて宋単父を屠る、則ち是れ趙以て自ら立つ無きなり。且つ往きて宋を誅せん」と。趙遂に宋に入り、三月見ゆるを得ず。或ひと曰わく、「何ぞ隣国の使いに因りて之に見えざる」と。成公趙曰わく、「不可なり。吾隣国の使いに因りて之を刺さば、則ち後世の使いをして信ぜられざらしめ、節を荷う信用いられず、皆趙之をして然らしむと曰わん。不可なり」と。或ひと曰わく、「何ぞ群臣道徒処の士に因りて之を刺さざる」と。成公趙曰わく、「不可なり。吾群臣道徒処の士に因りて之を刺さば、則ち後世の臣信ぜられず、辯士顧られず、皆趙之をして然らしむと曰わん。不可なり。吾聞く、古の士怒れば則ち理を思い、危うくして義を忘れず、必ず将に行いを正して以て之を求めんとするのみと」と。期年、宋の康公病みて死す。成公趙曰わく、「廉士は名を辱めず、信士は行いを惰らず。今吾阿に在りて、宋単父を屠る、是れ名を辱むるなり。宋王を誅せんことを事とし、期年にして得ず、是れ行いを惰るなり。吾是くの如くにして生くれば、何の面目ありて天下の士に見えん」と。遂に槁を彭山の上に立つ。
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『春秋左氏伝』文公二年 狼瞫、死所を得る瞫曰く、「《周志》に之れ有り、『勇にして則ち上を害するは、明堂に登らず』と。死して義ならざるは、勇に非ざるなり。共に用ゐらるる之を勇と謂ふ。吾勇を以って右を求む。勇無くして黜けらるるは、亦た其の所なり。上我を知らずと謂ふも、黜けられて宜ならば、乃ち我を知るなり。子姑く之を待て」と。彭衙に及びて既に陳し、其の屬を以って秦の師に馳せ、焉に死す。晉の師之に從ひ、大いに秦の師を敗る。君子謂ふ、狼瞫是に於いてか君子なり、と。《詩》に曰く、「君子如し怒らば、亂庶(こひねが)はくは遄(すみ)やかに沮(や)まん」と。又曰く、「王赫として斯れ怒り、爰に其の旅を整ふ」と。怒りて亂を作さず、而して以って師に從ふ、君子と謂ふ可し。秦伯猶ほ孟明を用ふ。孟明增して國政を脩め、重ねて民に施す。趙成子諸大夫に言ひて曰く、「秦の師又至らば、將に必ず之を辟けんとす。懼れて德を增す、當たる可からざるなり。《詩》に曰く、『爾が祖を念ふ毋からんや、聿(ここ)に厥の德を脩む』と。孟明之を念へり。德を念ひて怠らず、其れ敵す可けんや」と。
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