智囊 / 敏悟・曹衝・張觷
曹衝字倉舒,自幼聰慧。孫權嘗致巨象於曹公,公欲知其斤重,以訪群下,莫能得策。衝曰:「置象大船之上,而刻其水痕所至,稱物以載之,一較可知矣。」衝時僅五六歲,公大奇之。張觷知處州時,有人欲造大舟,不能計其所費,問之,云:「可造一小舟,以寸分尺,便可計算。
新字:曹衝字倉舒,自幼聰慧。孫権嘗致巨象於曹公,公欲知其斤重,以訪群下,莫能得策。衝曰:「置象大船之上,而刻其水痕所至,称物以載之,一較可知矣。」衝時僅五六歳,公大奇之。張觷知処州時,有人欲造大舟,不能計其所費,問之,云:「可造一小舟,以寸分尺,便可計算。
書き下し
曹衝、字は倉舒、幼きより聡慧なり。孫権、嘗て巨象を曹公に致す。公、その斤重を知らんと欲し、以て群下に訪ぬるに、能く策を得る莫し。衝曰く、「象を大船の上に置き、而してその水痕の至る所に刻み、物を称りてこれを載せ、一たび較ぶれば知るべし」と。衝、時に僅かに五六歳なり、公大いにこれを奇とす。張觷、処州に知たりし時、人の大舟を造らんと欲する有り、その費す所を計る能わず。これに問うに、云う、「一小舟を造り、寸を以て尺に分かたば、便ち計算すべし」と。
現代語訳
曹衝は字を倉舒といい、幼いころから聡明であった。孫権があるとき、大きな象を曹操に贈った。曹操はその重さを知りたくて、部下たちに尋ねたが、誰も方法を思いつけなかった。曹衝は言った。「象を大きな船の上に乗せ、水が達した位置に印を刻み、次に物を量りながら船に積んで、同じ位置まで沈めれば、比べて分かります。」曹衝はそのときわずか五、六歳で、曹操は大いに感心した。張觷が処州の長官だったとき、大きな舟を造ろうとする者がいたが、かかる費用を計算できなかった。張觷に尋ねたところ、彼は言った。「まず小さな舟を一つ造り、寸を尺に置き換えて(縮尺で)計算すれば、見積もれます。」
解説
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