智囊 / 敏悟・杜鎬・文彥博・司馬光
杜鎬侍郎兄仕江南為法官。嘗有子毀父畫像,為近親所證者,兄疑其法未能決,形於顏色。鎬尚幼,問知其故,輒曰:「僧、道毀天尊、佛像,可以比也。」兄甚奇之。彥博幼時,與群兒戲,擊球,球入柱穴中,不能取,公以水灌之,球浮出。司馬光幼與群兒戲,一兒誤墮大水甕中,已沒,群兒驚走,光取石破甕,遂得出。〔評〕二公應變之才,濟人之術,已露一斑。孰謂「小時了了者,大定不佳」耶?
新字:杜鎬侍郎兄仕江南為法官。嘗有子毀父画像,為近親所証者,兄疑其法未能決,形於顔色。鎬尚幼,問知其故,輒曰:「僧、道毀天尊、仏像,可以比也。」兄甚奇之。彦博幼時,与群児戯,撃球,球入柱穴中,不能取,公以水灌之,球浮出。司馬光幼与群児戯,一児誤堕大水甕中,已没,群児驚走,光取石破甕,遂得出。〔評〕二公応変之才,済人之術,已露一斑。孰謂「小時了了者,大定不佳」耶?
書き下し
杜鎬侍郎の兄、江南に仕えて法官たり。嘗て子の父の画像を毀つ有り、近親に証せらるる者あり。兄、その法を疑いて未だ決する能わず、顔色に形る。鎬、尚お幼く、その故を問い知り、輒ち曰く、「僧・道の天尊・仏像を毀つは、以て比すべきなり」と。兄甚だこれを奇とす。彦博、幼き時、群児と戯れ、球を擊つに、球、柱穴の中に入り、取る能わず。公、水を以てこれに灌ぎ、球浮かびて出ず。司馬光、幼くして群児と戯れ、一児誤りて大水甕の中に墮ち、已に没す。群児驚き走る。光、石を取りて甕を破り、遂に出すを得たり。〔評〕二公応変の才、済人の術、已に一斑を露わす。孰か謂わん「小時了了なる者、大にして佳ならず」と。
現代語訳
杜鎬(のち侍郎)の兄は江南で裁判官を務めていた。あるとき、子が父の肖像画を壊し、近親者に告発された事件があった。兄はどう法を適用すべきか決められず、顔に悩みが出ていた。杜鎬はまだ幼かったが、そのわけを聞き知り、すぐに言った。「僧や道士が天尊や仏像を壊すのと比べられます。」兄はたいそう感心した。文彦博は幼いころ、子供たちと遊んで球を打っていたとき、球が柱の穴に入って取れなくなった。文彦博が水を注ぐと、球が浮かんで出てきた。司馬光は幼いころ子供たちと遊んでいて、一人の子が誤って大きな水甕に落ち、すっかり沈んでしまった。子供たちは驚いて逃げた。光は石を取って甕を割り、そうして子を救い出した。〔評〕二人の公(文彦博・司馬光)の変事に応じる才と人を救う術は、すでにその一端をあらわしている。誰が「小さいころ利発な者は、大人になってよくない」と言うだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博公幼き時、羣兒と毬を撃つ。一兒毬を撃ちて柱の穴中に入り、取る能わず。公水を以て之に灌ぐ。毬浮かび出づ。司馬溫公幼くして羣兒と戲る。一兒大水甕の中に墮ちて已に沒す。羣兒驚き走りて救う能わず。公石を取りて甕を破る。兒出づるを得たり。識者、二公の仁智の凡ならざるを知る。
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『智囊』敏悟・高定高定、年七歳にして《尚書》を読む。《湯誓》に至り、父の郢に問うて曰く、「奈何ぞ臣を以て君を伐つや」と。父曰く、「天に応じ人に順うなり」と。定曰く、「『命を用うる者は祖に賞し、命を用いざる者は社に戮す』と。あに人に順うならんや」と。父答うること能わず。〔述評〕夷・斉は千年を争い、高童は一語にて決す。かの獐鹿・松槐の対は、ただ歯牙に利を得るのみ、道うに足らず。賈嘉隠、七歳にして神童を以て召見せらる。時に長孫無忌・徐勣、朝堂に立ちて語る。徐これを戯れて曰く、「吾が倚る所は何の樹ぞ」と。曰く、「松樹なり」と。徐曰く、「これ槐なり、何ぞ松と言う」と。賈云う、「公を以て木に配すれば、何ぞ松に非ざるを得ん」と。長孫もまた徐の如くこれに問う。答えて曰く、「槐樹なり」と。長孫曰く、「復た矯対する能わざるか」と。曰く、「木の旁に鬼を加う、何ぞ矯対を煩わさん」と。王雱、数歳の時、客に一獐一鹿を同じ器にして荊公に献ずる者有り、雱に問う、「何れか是れ鹿、何れか是れ獐ぞ」と。雱実は未だ弁ぜず、乃ち熟視して曰く、「獐の辺なる者は鹿、鹿の辺なる者は是れ獐」と。客大いに奇とす。
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『智囊』敏悟・司馬遹晋の恵帝の太子遹、幼きより聡慧なり。宮中に嘗て夜失火す。武帝、楼に登りてこれを望む。太子乃ち帝の衣を牽きて暗中に入る。帝その故を問うに、対えて曰く、「暮夜倉卒、宜しく非常に備うべし、人主を照見せしむべからず」と。時に遹の才は五歳なるのみ、帝大いにこれを奇とす。嘗て帝に従いて豕牢を観るに、帝に言いて曰く、「豕甚だ肥えたり、何ぞ殺して以て士を養わず、而して坐して五穀を費やさしむるや」と。帝その背を撫でて曰く、「これ児、当に吾が家を興すべし」と。後ついに賈后の讒を以て廃死し、諡して愍懐という。ああ、真に愍むべく懐うべきかな。〔評〕これ大智識の人、何を以て禄せざるか。ああ、斯の人にして禄せば、司馬氏必ず昌え、而して天道僭せん。遹の諡は愍懐、而して恵に継ぐ者は一は懐、一は愍、馬遂に革まりて牛と為る。天の巧みに応を示すや。
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『智囊』靈變・元伯顏・徐敬業乃顔の反するを告ぐる者有り。詔して伯顔にこれを窺覘せしむ。乃ち多く衣裘を載せて、その境に入り、輒ち以て駅人に与う。既に至るや、乃顔は為に宴を設け、執えんことを謀る。伯顔は覚り、その従者と趨り出で、三道に分かれて逸れ去る。駅人は衣裘を得たるを以ての故に、争いて健馬を献じ、遂に脱するを得たり。徐敬業は十余歳にして、弾射を好む。英公は毎に曰く、「この児は相善からず、将に我が族を赤せんとす」と。嘗て猟に因り、敬業に命じて林に入りて獣を趁わしめ、因りて風に乗じて火を縦ち、意に殺さんと欲す。敬業は避くる所無きを知り、遂に馬の腹を屠りてその中に伏す。火過ぎて、血に浴して立てば、英公はこれを大いに奇とす。〔述評〕凡そ子弟の跅鍮の奇を負う者は、才を恃みて検せず、往往にして家門の禍と為る。敬業の破轅の兆しの如きは、童年に見る。英公は明らかにその族の祟りたるを知りながら、竟にこれを除く能わず、豈に終に其の才智を惜しめるか。抑も英公は武氏を立つることを勧め、唐の子孫を殺すこと殆ど尽くせり、天は故に敬業を以てこれに酬いしならん。諸葛恪に異才有り、その父瑾は歎じて曰く、「この子は大いに我が宗を昌んにせずんば、将に我が族を赤せん」と。その後、果たして逆を以て誅せらる。隋の楊智積は文帝の姪なり。五男有るも、ただ《論語》《孝経》を読むことを教え、賓客に通ぜしめず。或いは故を問えば、答えて曰く、「多く書を読み、広く交遊すれば、才は是に由りて益す。才有れば亦た能く禍を産む」と。人はその識に服す。
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『智囊』敏悟・王戎王戎、年七歳の時、嘗て諸小児と游び、道旁の李樹の子を扳折するを矚見し、諸小児競いてこれに走るも、ただ戎のみ動かず。人これに問うに、答えて曰く、「樹は道旁に在りて子多し、これ必ず苦李ならん」と。試みるに果たして然り。〔述評〕許衡、少き時、嘗て暑中に河陽を過ぐるに、その道に梨有り。衆争いて取りて啖う。衡ひとり危坐して樹下に自若たり。或ひとこれに問う。曰く、「その有に非ずして取るは、不可なり」と。曰く、「人亡び世乱る、これ主無きなり」と。衡曰く、「梨に主無きも、吾が心に独り主無からんや」と。二事を合わせて観れば、戎は智、衡は義、皆神童なり。
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