智囊 / 敏悟・李德裕
李德裕神俊,父吉甫每向同列誇之。武相元衡召謂曰:「吾子在家,所讀何書?」意欲探其志也。德裕不應,翌日,元衡具告吉甫,吉甫歸責之。德裕曰:「武公身為帝弼,不問理國調陰陽,而問所讀書。書者,成均、禮部之職也。其言不當,是以不應。」吉甫復告。元衡大慚。〔評〕便知是公輔之器。
新字:李徳裕神俊,父吉甫毎向同列誇之。武相元衡召謂曰:「吾子在家,所読何書?」意欲探其志也。徳裕不応,翌日,元衡具告吉甫,吉甫帰責之。徳裕曰:「武公身為帝弼,不問理国調陰陽,而問所読書。書者,成均、礼部之職也。其言不当,是以不応。」吉甫復告。元衡大慚。〔評〕便知是公輔之器。
書き下し
李徳裕、神俊なり。父の吉甫、同列に向かいて常にこれを誇る。武相元衡、召して謂いて曰く、「吾子、家に在りて、読む所は何の書ぞ」と。意は、その志を探らんと欲するなり。徳裕応えず。翌日、元衡具さに吉甫に告ぐ。吉甫帰りてこれを責む。徳裕曰く、「武公は身は帝弼たり、国を理め陰陽を調うるを問わず、而して読む所の書を問う。書は、成均・礼部の職なり。その言、当たらず。是を以て応えざりき」と。吉甫また告ぐ。元衡大いに慚ず。〔評〕便ち知る、これ公輔の器なるを。
現代語訳
李徳裕は優れた才気の持ち主であった。父の李吉甫は、同僚たちに向かって常にこれを自慢していた。宰相の武元衡が徳裕を呼んで言った。「君は家で、どんな書物を読んでいるのか。」その意図は、彼の志を探ろうとしたのである。徳裕は答えなかった。翌日、武元衡はそのことを詳しく吉甫に話した。吉甫は帰宅して徳裕を叱った。徳裕は言った。「武公は帝を補佐する宰相の身でありながら、国を治め陰陽を調えることについては尋ねず、読んでいる本を尋ねました。書物のことは、国子監や礼部の職分です。その言葉が当たっていないので、答えなかったのです。」吉甫がまたこれを武元衡に伝えた。武元衡は大いに恥じ入った。〔評〕これでこの少年が宰相の器であることが分かる。
解説
この章句が説くこと
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