智囊 / 見大・後唐明宗
秦王從榮性輕佻,喜儒學,多招致後生浮薄之徒,賦詩飲酒。一日,明宗問之曰:「爾軍政之餘,所習何事?」對曰:「暇則讀書,與諸儒賦詩談道。」明宗曰:「吾每見先帝好作歌詩,甚無謂。汝將家子,文章非所素習,必不能工,傳於人口,徒作笑柄。吾老矣,於經義雖未曉,然尚喜聞之,餘不足學也。」從榮卒敗。
新字:秦王従栄性軽佻,喜儒学,多招致後生浮薄之徒,賦詩飲酒。一日,明宗問之曰:「爾軍政之余,所習何事?」対曰:「暇則読書,与諸儒賦詩談道。」明宗曰:「吾毎見先帝好作歌詩,甚無謂。汝将家子,文章非所素習,必不能工,伝於人口,徒作笑柄。吾老矣,於経義雖未暁,然尚喜聞之,余不足学也。」従栄卒敗。
書き下し
秦王従栄は、性は軽佻にして、儒学を喜み、多く後生浮薄の徒を招致して、詩を賦し酒を飲む。一日、明宗これに問いて曰く、「爾、軍政の余に、習う所は何事ぞ」と。対えて曰く、「暇なれば則ち書を読み、諸儒と詩を賦し道を談ず」と。明宗曰く、「吾、毎に先帝の好んで歌詩を作るを見しも、甚だ無謂なり。汝は将家の子、文章は素より習う所に非ず、必ず工なる能わず。人口に伝わらば、徒だ笑柄と作るのみ。吾は老いたり。経義に於いて未だ曉らずと雖も、然れども尚お聞くを喜ぶ。余は学ぶに足らず」と。従栄は卒に敗る。
現代語訳
秦王の従栄は、性格が軽々しく、儒学を好み、多くの軽薄な若い者たちを招き寄せて、詩を作ったり酒を飲んだりしていました。ある日、明宗が彼に尋ねました。「お前は軍政の余暇に、何を学んでいるのか。」従栄は答えました。「暇なときは書を読み、儒者たちと詩を作り、道を語り合っています。」明宗は言いました。「私は以前から、先帝が好んで詩歌を作っていたのを見ていたが、全く意味のないことだった。お前は武家の子で、文章は元来習ってきたものではない。きっと上手には作れない。人の口に伝わると、ただ笑いものになるだけだ。私は老いた。経書の意味はまだ十分に分からないが、それでも聞くのは好きだ。それ以外は学ぶ価値がない。」従栄は結局、身を滅ぼしました。
解説
この章句が説くこと
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