智囊 / 見大・柳郡守
唐柳大夫玭,謫授瀘州郡守。渝州有牟秀才,即都校牟居厚之子,文采不高,執所業謁見。柳獎飾甚勤。子弟以為太過,柳曰:「巴蜀多豪士,此押衙之子獨能好文,苟不誘進,渠即退志。以吾稱譽,人必榮之,由此減三五員草賊,不亦善乎?」
新字:唐柳大夫玭,謫授瀘州郡守。渝州有牟秀才,即都校牟居厚之子,文采不高,執所業謁見。柳獎飾甚勤。子弟以為太過,柳曰:「巴蜀多豪士,此押衙之子独能好文,苟不誘進,渠即退志。以吾称誉,人必栄之,由此減三五員草賊,不亦善乎?」
書き下し
唐の柳大夫玭は、謫せられて瀘州の郡守を授けらる。渝州に牟秀才有り、即ち都校の牟居厚の子なり。文采は高からざるも、業とする所を執りて謁見す。柳は獎飾すること甚だ勤む。子弟は以て太過と為す。柳曰く、巴蜀には豪士多し。此の押衙の子の独り能く文を好む。苟くも誘進せずんば、渠は即ち志を退かん。吾が称誉を以て、人は必ず之を栄とせん。是に由りて草賊三五員を減ぜば、亦た善からずや、と。
現代語訳
唐の柳大夫の玭は、左遷されて瀘州の郡守に任じられた。渝州に牟秀才という者がいて、都校の牟居厚の子であった。文才は高くなかったが、自分の作品を持って面会に来た。柳はたいへん熱心に褒めて励ました。子弟たちは褒めすぎだと思った。柳は言った。巴蜀には豪傑が多い。この押衙の子だけが文を好むことができる。もし励ましなければ、彼は志を退けるだろう。私が称賛すれば、人は必ずそれを栄誉と感じる。それによって草賊が三、五人でも減れば、よいではないか、と。
解説
武人の家に生まれて文を好む青年を、文才が高くないと承知のうえで熱心にほめた柳玭の話です。目的は才能の評価ではなく、文の道に進むことを後押しし、賊に走る若者を減らすことにありました。評価の言葉には、人の進む方向を変える力があるという視点です。現代の職場でも、まだ力が足りない若手に対して、現時点の出来だけを見て厳しく査定するか、伸びる方向を見て励ますかで、その後の道が分かれます。ただし事実に基づかない過度な称賛は信頼を損なうので、方向性と努力に対して言葉をかけるのが適切です。
この章句が説くこと
獎飾甚勤苟不誘進渠即退志減三五員草賊人材育成励まし評価
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