智囊 / 敏悟・洪鐘
崇仁洪鐘,生四歲,隨父朝京以訓導考滿之京。舟中朝京與客奕,鍾在旁諦觀久之,悟其行勢,導父累勝。比至臨清,見牌坊大字題額,索筆書之,遂得字體,至京師,即設肆鬻字,京師異為神童。憲宗聞之,召見,命書,即地連畫數字,又命書「聖壽無疆」四字,鍾握筆久之,不動。上曰:「汝容有不識者乎?」鍾叩頭曰:「臣非不識字,第為此字不敢於地上書耳。」上嘉其言,即命內侍舁幾,復以蹋凳立其上,書之,一揮而就。上喜,命翰林給廩讀書,其父升國子助教,以便其子。〔按〕鍾弘治庚戌年十八登進士,策授中書。不幸嬰疾,未三十而夭。豈佛家所謂「修慧未修福」者邪?
新字:崇仁洪鐘,生四歳,随父朝京以訓導考満之京。舟中朝京与客奕,鍾在旁諦観久之,悟其行勢,導父累勝。比至臨清,見牌坊大字題額,索筆書之,遂得字体,至京師,即設肆鬻字,京師異為神童。憲宗聞之,召見,命書,即地連画数字,又命書「聖寿無疆」四字,鍾握筆久之,不動。上曰:「汝容有不識者乎?」鍾叩頭曰:「臣非不識字,第為此字不敢於地上書耳。」上嘉其言,即命内侍舁幾,復以蹋凳立其上,書之,一揮而就。上喜,命翰林給廩読書,其父升国子助教,以便其子。〔按〕鍾弘治庚戌年十八登進士,策授中書。不幸嬰疾,未三十而夭。豈仏家所謂「修慧未修福」者邪?
書き下し
崇仁の洪鐘、生まれて四歳、父に随いて朝京し、訓導を以て考満して京に之く。舟中、朝京は客と奕す。鍾、傍に在りて諦観すること久しく、その行勢を悟り、父を導きて累ねて勝つ。臨清に至るに比び、牌坊の大字の題額を見、筆を索めてこれを書し、遂に字体を得たり。京師に至り、即ち肆を設けて字を鬻ぐ。京師異として神童となす。憲宗これを聞き、召見して書を命ず。即地に連ねて数字を画く。また「聖寿無疆」の四字を書くを命ず。鍾、筆を握ること久しくして動かず。上曰く、「汝、識らざる者有るか」と。鍾叩頭して曰く、「臣、字を識らざるに非ず。ただこの字を地上に書くことを敢えてせざるが為なり」と。上その言を嘉し、即ち内侍に命じて几を昇ぎ、また蹋凳を以て、その上に立たしめ、これを書かしむ。一揮して就る。上喜び、翰林に命じて廩を給し書を読ましめ、その父を国子助教に升し、以てその子に便ならしむ。〔按〕鍾、弘治庚戌の年、十八にして進士に登り、策して中書を授けらる。不幸にして疾に嬰り、未だ三十ならずして夭す。あに仏家の所謂「修慧未だ修福せず」なる者か。
現代語訳
崇仁の洪鐘は、四歳のとき、父に従って都に上った。父は訓導の任期満了の審査のために上京したのである。舟の中で、父は客と碁を打った。鐘は傍らでじっくり見ており、やり方を悟って、父を導いて何度も勝たせた。臨清に着くと、牌坊(門)の大きな字の額を見て、筆を求めてそれを書き、そうして字の書き方を会得した。都に着くとすぐに店を開いて字を売った。都の人々は不思議がって神童と呼んだ。憲宗がこれを聞き、召し出して字を書くよう命じた。鐘はその場で地面に続けて数字を書いた。また「聖寿無疆」の四字を書くよう命じられると、鐘は筆を握ったまましばらく動かなかった。帝は言った。「そなたは知らない字があるのか。」鐘は叩頭して言った。「臣は字を知らないのではありません。ただ、この字を地面に書く勇気がないだけです。」帝はその言葉を喜び、すぐに内侍に命じて机を運ばせ、さらに踏み台を使ってその上に立たせ、書かせた。一気に書き上げた。帝は喜び、翰林院に命じて食糧を給して読書させ、その父を国子助教に昇進させて、子に便利なようにした。〔按〕鐘は弘治庚戌の年、十八歳で進士に合格し、対策の結果中書を授けられた。不幸にして病にかかり、三十にならないうちに夭折した。仏教でいう「智慧は修めたが福を修めなかった」という者なのだろうか。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『慎思録』巻之六燕居独坐と雖も、箕踞すべからず。人無きの時と雖も、須らく人有るが如くすべし。跛倚側坐すべからず。飲食の約に赴くには、亦須らく期に先だちて速やかに至るべし。遅慢にして期に後れ、主人をして望望然たらしむるは宜しからず。神を拝するに合掌すべからず。合掌して三拝する者は、西域の人の仏を拝するの礼なり。中華の礼は再拝と為す。本朝の礼も亦再拝なり。中華の後世に四拝の礼有り。再拝を重ぬる所以なり。
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荀子・賦篇爰(ここ)に大物(たいぶつ)有り、絲(いと)に非ず帛(きぬ)に非ざるも、文理(ぶんり)章(あや)を成す。日に非ず月に非ざるも、天下の明(めい)と為る。生ける者は以て壽(いのちなが)く、死せる者は以て葬らる。城郭は以て固く、三軍は以て強し。粹(すい)なれば王たり、駁(はく)なれば伯(は)たり、一(いつ)も焉(これ)無ければ亡(ほろ)ぶ。臣愚にして識(し)らず、敢えて之を王に請(と)う。王曰く、此れ夫(か)の文(かざり)ありて采(あや)ならざる者か。簡然(かんぜん)として知り易(やす)くして、致(きわ)めて理(り)有る者か。君子の敬する所にして、小人の不(せざ)る所の者か。性(せい)之を得ざれば則ち禽獸(きんじゅう)の若(ごと)く、性之を得れば則ち甚だ雅(が)に似たる者か。匹夫(ひっぷ)之を隆(たっと)べば則ち聖人と為り、諸侯之を隆べば則ち四海を一にする者か。致(きわ)めて明らかにして約(やく)、甚だ順(じゅん)にして體(たい)あり、請(こ)う之を禮に歸せん。禮なり。
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『春秋左氏伝』文公十五年 君弱きも怠るべからず六月、辛丑朔、日之を食する有り。鼓して牲を社に用ゐる、禮に非ざるなり。日之を食する有れば、天子舉げず、鼓を社に伐つ。諸侯は幣を社に用ゐ、鼓を朝に伐つ。以って神に事ふるを昭らかにし、民に君に事ふるを訓へ、等威有るを示す、古の道なり。齊人單伯の請ひを許して之を赦し、來りて命を致さしむ。書に曰く、「單伯齊より至る」と、之を貴ぶなり。新城の盟に、蔡人與らず。晉の郤缺上軍・下軍を以って蔡を伐ちて、曰く、「君弱し、以って怠る可からず」と。戊申、蔡に入り、城下の盟を以って還る。凡そ國に勝つを、之を滅ぼすと曰ひ、大城を獲るを、之に入ると曰ふ。秋、齊人我が西鄙を侵す、故に季文子晉に告ぐ。
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『呻吟語』内篇・談道・禮は情より生ず瓜・李將に熟せんとすれば、浮白生ず。禮は情より生ずるに、後世乃ち禮を以て情と為す。哀しいかな。
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