智囊 / 敏悟・司馬遹
晉惠帝太子遹。自幼聰慧,宮中嘗夜失火,武帝登樓望之,太子乃牽帝衣入暗中。帝問其故,對曰:「暮夜倉卒,宜備非常,不可令照見人主。」時遹才五歲耳,帝大奇之。嘗從帝觀豕牢,言於帝曰:「豕甚肥,何不殺以養士,而令坐費五穀?」帝撫其背曰:「是兒當興吾家。」後竟以賈後讒廢死,諡愍懷,吁,真可愍可懷也!〔評〕此大智識人,何以不祿?噫!斯人而祿也,司馬氏必昌,而天道僭矣。遹諡愍懷,而繼惠世者,一懷一愍,馬遂革而為牛,天之巧於示應乎?
新字:晋恵帝太子遹。自幼聰慧,宮中嘗夜失火,武帝登楼望之,太子乃牽帝衣入暗中。帝問其故,対曰:「暮夜倉卒,宜備非常,不可令照見人主。」時遹才五歳耳,帝大奇之。嘗従帝観豕牢,言於帝曰:「豕甚肥,何不殺以養士,而令坐費五穀?」帝撫其背曰:「是児当興吾家。」後竟以賈後讒廃死,諡愍懐,吁,真可愍可懐也!〔評〕此大智識人,何以不禄?噫!斯人而禄也,司馬氏必昌,而天道僭矣。遹諡愍懐,而継恵世者,一懐一愍,馬遂革而為牛,天之巧於示応乎?
書き下し
晋の恵帝の太子遹、幼きより聡慧なり。宮中に嘗て夜失火す。武帝、楼に登りてこれを望む。太子乃ち帝の衣を牽きて暗中に入る。帝その故を問うに、対えて曰く、「暮夜倉卒、宜しく非常に備うべし、人主を照見せしむべからず」と。時に遹の才は五歳なるのみ、帝大いにこれを奇とす。嘗て帝に従いて豕牢を観るに、帝に言いて曰く、「豕甚だ肥えたり、何ぞ殺して以て士を養わず、而して坐して五穀を費やさしむるや」と。帝その背を撫でて曰く、「これ児、当に吾が家を興すべし」と。後ついに賈后の讒を以て廃死し、諡して愍懐という。ああ、真に愍むべく懐うべきかな。〔評〕これ大智識の人、何を以て禄せざるか。ああ、斯の人にして禄せば、司馬氏必ず昌え、而して天道僭せん。遹の諡は愍懐、而して恵に継ぐ者は一は懐、一は愍、馬遂に革まりて牛と為る。天の巧みに応を示すや。
現代語訳
晋の恵帝の太子司馬遹は、幼いころから聡明であった。宮中でかつて夜に火事が起きた。武帝が楼に登ってそれを眺めていると、太子は帝の衣を引いて暗い所へ連れて入った。帝がわけを尋ねると、答えて言った。「夜の慌ただしいときは、不測の事態に備えるべきで、天子の姿が火に照らされて見えるようにしてはなりません。」このとき司馬遹はわずか五歳で、帝は大いに感心した。あるとき帝に従って豚小屋を見に行き、帝に言った。「豚はとても太っています。なぜ殺して兵士を養わず、座って穀物を食わせているのですか。」帝はその背をなでて言った。「この子は我が家を興すだろう。」のちに賈后の讒言によって廃されて死に、諡を愍懐といった。ああ、まことにあわれみ偲ぶべきことだ。〔評〕これは大いに知見のある人なのに、なぜ天寿と禄に恵まれなかったのか。ああ、この人が禄を得ていたなら、司馬氏は必ず栄え、天の道に背くことになっただろう。司馬遹の諡は愍懐、恵帝の後を継いだ者は一人が懐帝、一人が愍帝で、司馬氏の馬がついに牛に変わった。天が巧みに前兆を示したものか。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』敏悟・杜鎬・文彥博・司馬光杜鎬侍郎の兄、江南に仕えて法官たり。嘗て子の父の画像を毀つ有り、近親に証せらるる者あり。兄、その法を疑いて未だ決する能わず、顔色に形る。鎬、尚お幼く、その故を問い知り、輒ち曰く、「僧・道の天尊・仏像を毀つは、以て比すべきなり」と。兄甚だこれを奇とす。彦博、幼き時、群児と戯れ、球を擊つに、球、柱穴の中に入り、取る能わず。公、水を以てこれに灌ぎ、球浮かびて出ず。司馬光、幼くして群児と戯れ、一児誤りて大水甕の中に墮ち、已に没す。群児驚き走る。光、石を取りて甕を破り、遂に出すを得たり。〔評〕二公応変の才、済人の術、已に一斑を露わす。孰か謂わん「小時了了なる者、大にして佳ならず」と。
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『智囊』善言・謝莊・裴楷・王份・王景文・崔光謝荘、字は希逸。孝武嘗て荘に宝剣を賜う。荘以て魯爽に与う。後に爽叛す。帝偶たま剣の所在を問う。答えて曰く、「昔魯爽と別るるに、竊かに借りて陛下の杜郵の賜と為せり」と。晋武始めて阼に登る、彩策に得る所一にして、王者の世数は此の多少を視る。帝既に悦ばず、君臣色を失う。侍中裴楷進みて曰く、「臣聞く、天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く、侯王は一を得て以て天下の貞と為ると」と。帝悦び、君臣歎服す。梁武帝王侍中份に問う、「朕は有と為すか、無と為すか」と。対えて曰く、「陛下は万物に応ずるは有なり、至理を体するは無なり」と。宋文帝天泉池に釣り、綸を垂れて獲ず。王景文曰く、「良に綸を垂るる者清きに由り、故に貪餌を獲ず」と。元魏の高祖、子に恂・愉・悦・懌と名づく。崔光、子に劭・勖・勉と名づく。高祖曰く、「我が児の名の旁は皆な心有り、卿が児の名の旁は皆な力有り」と。対えて曰く、「所謂君子は心を労し、小人は力を労すなり」と。〔評議〕王弇州曰く、「人は捷を以て供奉すと雖も、語は雅致を妨げず。桓玄の位を篡うや、初めて御牀に登りて陥つ、殷仲文曰く、『将に聖徳深厚にして、地載する能わざるに由る』と。梁武の宮門災あり、群臣に謂いて曰く、『我が意方に更新せんと欲す』と。何敬容曰く、『此れ所謂先天にして天違わず』と。又た武帝即位す、猛虎有り建康の郭に入り、象江陵に入る。上意悦ばず、以て群臣に問うも、敢えて対うる無し。王瑩曰く、『昔「石を撃ち石を拊てば、百獣率い舞う」。陛下籙に膺り図を御す、虎象来格す』と」と。縦い極めて贍辞なるも、人をして嘔穢せしめざる能わず。
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『智囊』靈變・元伯顏・徐敬業乃顔の反するを告ぐる者有り。詔して伯顔にこれを窺覘せしむ。乃ち多く衣裘を載せて、その境に入り、輒ち以て駅人に与う。既に至るや、乃顔は為に宴を設け、執えんことを謀る。伯顔は覚り、その従者と趨り出で、三道に分かれて逸れ去る。駅人は衣裘を得たるを以ての故に、争いて健馬を献じ、遂に脱するを得たり。徐敬業は十余歳にして、弾射を好む。英公は毎に曰く、「この児は相善からず、将に我が族を赤せんとす」と。嘗て猟に因り、敬業に命じて林に入りて獣を趁わしめ、因りて風に乗じて火を縦ち、意に殺さんと欲す。敬業は避くる所無きを知り、遂に馬の腹を屠りてその中に伏す。火過ぎて、血に浴して立てば、英公はこれを大いに奇とす。〔述評〕凡そ子弟の跅鍮の奇を負う者は、才を恃みて検せず、往往にして家門の禍と為る。敬業の破轅の兆しの如きは、童年に見る。英公は明らかにその族の祟りたるを知りながら、竟にこれを除く能わず、豈に終に其の才智を惜しめるか。抑も英公は武氏を立つることを勧め、唐の子孫を殺すこと殆ど尽くせり、天は故に敬業を以てこれに酬いしならん。諸葛恪に異才有り、その父瑾は歎じて曰く、「この子は大いに我が宗を昌んにせずんば、将に我が族を赤せん」と。その後、果たして逆を以て誅せらる。隋の楊智積は文帝の姪なり。五男有るも、ただ《論語》《孝経》を読むことを教え、賓客に通ぜしめず。或いは故を問えば、答えて曰く、「多く書を読み、広く交遊すれば、才は是に由りて益す。才有れば亦た能く禍を産む」と。人はその識に服す。
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『智囊』敏悟・梁武帝・高世則・何孟春台城陥つるや、武帝、人に語りて曰く、「侯景は必ず帝たらん、ただ久しからざるのみ。『侯景』の字を破れば、乃ち『小人百日天子』と成る」と。景、位を簒うに、果たして百日にして亡ぶ。紹興己酉、熊有り永嘉城下に至る。州守高世則、その倅趙元䤾に謂いて曰く、「熊は、字において『能火』たり。郡中宜しく火燭を慎むべし」と。後数日、果たして官民の舎の十七八を焼く。弘治十年六月、京師の西直門に熊有りて城に入る。兵部郎中何孟春もまた慎火を以て言と為す。未だ幾ばくならずして礼部火あり、また未だ幾ばくならずして乾清宮毀たる。
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