智囊 / 應卒・楊榮・金幼孜・楊寓
榆木川之變,楊榮、金幼孜入御幄密議,以六師在外,離京尚遠,乃秘不發喪,亟命工部官括行在及軍中錫器,召匠人銷制為椑,斂而錮之,殺匠以滅口。命光祿官進膳如常儀,號令加肅,比入境,寂無覺者。梓宮至開平,皇太子即遣皇太孫往迎,瀕行,啟曰:「有封章白事,非印識無以防偽。」時行急,不及制。侍從楊士奇請以大行皇帝初授東宮圖書權付皇太孫,歸即納上。皇太子從之,復謂士奇曰:「汝言雖出權宜,亦事幾之會。昔大行臨御,儲位久虛,浮議喧騰。吾今就以付之,浮議何由興也。」
新字:榆木川之変,楊栄、金幼孜入御幄密議,以六師在外,離京尚遠,乃秘不発喪,亟命工部官括行在及軍中錫器,召匠人銷制為椑,斂而錮之,殺匠以滅口。命光禄官進膳如常儀,号令加粛,比入境,寂無覚者。梓宮至開平,皇太子即遣皇太孫往迎,瀕行,啓曰:「有封章白事,非印識無以防偽。」時行急,不及制。侍従楊士奇請以大行皇帝初授東宮図書権付皇太孫,帰即納上。皇太子従之,復謂士奇曰:「汝言雖出権宜,亦事幾之会。昔大行臨御,儲位久虚,浮議喧騰。吾今就以付之,浮議何由興也。」
書き下し
榆木川の変、楊栄・金幼孜、御幄に入りて密議す。六師外に在り、京を離るること尚お遠きを以て、乃ち秘して喪を発せず、亟かに工部の官に命じて行在及び軍中の錫器を括らしめ、匠人を召して銷して椑と為し、斂めてこれを錮し、匠を殺して以て口を滅す。光禄の官に命じて膳を進むること常儀の如くし、号令加えて粛たり。境に入るに比びて、寂として覚る者無し。梓宮開平に至り、皇太子即ち皇太孫を遣わして往き迎えしむ。行くに瀕み、啓して曰く、「封章白事有り、印識に非ざれば以て偽りを防ぐ無し」と。時に行くこと急にして、制するに及ばず。侍従の楊士奇、大行皇帝の初めて東宮に授けたる図書を権に皇太孫に付し、帰らば即ち納め上げんことを請う。皇太子これに従い、また士奇に謂いて曰く、「汝の言は権宜に出づといえども、また事幾の会なり。昔、大行臨御し、儲位久しく虚しく、浮議喧騰す。吾、今就いてこれを付す、浮議何に由りて興らんや」と。
現代語訳
榆木川の変事が起きたとき、楊栄と金幼孜は天幕に入って密かに協議した。六軍は外にいて、都からはまだ遠いので、そこで喪を伏せて公表せず、急ぎ工部の官に命じて陣中の錫の器を集めさせ、職人を呼んで溶かして棺を作らせ、遺体を納めて封じ、秘密を守るため職人を殺した。光禄寺の官には、食事を従来どおり差し出させ、号令はいっそう厳粛にした。国境に入るころになっても、ひっそりして気づく者はいなかった。棺が開平に着くと、皇太子はすぐ皇太孫を迎えに行かせた。出発に際し、皇太孫が申し上げた。「上奏文を封じて報告することがありますが、印がなければ偽りを防げません。」そのとき出立を急いでいて、新たに作る暇がなかった。侍従の楊士奇は、亡き皇帝がはじめ東宮に授けた印章を、とりあえず皇太孫に預け、帰ったらすぐに返上するようにと願い出た。皇太子はこれに従い、さらに士奇に言った。「そなたの言葉は一時の方便から出たものだが、時機にも適っている。昔、亡き皇帝が在位していたころ、皇太子の位が長く空いていて、浮ついた議論が騒がしかった。いま私がその印を預けた以上、浮ついた議論がどうして起ころうか。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』荘公四年・五年 余が心蕩く四年春、王の三月、楚の武王荊屍し、師に孑を授け、以て隨を伐たんとす。將に齊せんとし、入りて夫人鄧曼に告げて曰く、「余が心蕩(うご)く」と。鄧曼歎じて曰く、「王の祿盡きたり。盈ちて蕩くは、天の道なり。先君其れ之を知れり。故に武事に臨み、將に大命を發せんとして、王の心を蕩かす。若し師徒虧くること無くして、王行に薨ぜば、國の福なり」と。王遂に行き、樠木の下に卒す。令尹鬥祁・莫敖屈重道を除き、溠に梁し、軍を營みて隨に臨む。隨人懼れて、成を行ふ。莫敖王命を以て入りて隨侯と盟ひ、且つ會を漢汭に爲さんことを請ひて、還る。漢を濟りて後に喪を發す。紀侯齊に下る能はず。以て紀季に與ふ。夏、紀侯大いに其の國を去る。齊の難を違くるなり。五年秋、郳の犁來來朝す。名いふは、未だ王命あらざればなり。冬、衛を伐つ。惠公を納るるなり。
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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史記 刺客列伝千金の資幣物を持ちて、厚く秦王の寵臣中庶子蒙嘉に遺る。嘉為に先づ秦王に言ひて曰く、「燕王誠に大王の威を振怖し、敢て兵を挙げて以て軍吏に逆らはず、願はくは国を挙げて内臣と為り、諸侯の列に比し、貢職を給すること郡県の如くにして、先王の宗廟を奉守するを得んと。恐懼して敢て自ら陳べず、謹んで樊於期の頭を斬り、及び燕の督亢の地図を献じ、函封し、燕王庭に拝送し、使をして以て大王に聞せしむ。唯だ大王之に命ぜよ」と。秦王之を聞き、大いに喜び、乃ち朝服し、九賓を設け、燕の使者に咸陽宮に見ゆ。荊軻、樊於期の頭の函を奉じ、而して秦舞陽地図の柙を奉じ、次を以て進む。陛に至り、秦舞陽色変じ振恐す。群臣之を怪しむ。荊軻顧みて舞陽を笑ひ、前みて謝して曰く、「北蕃蛮夷の鄙人、未だ嘗て天子に見えず。故に振慴す。願はくは大王少しく之を仮借し、使を前に畢ふるを得しめよ」と。秦王軻に謂ひて曰く、「舞陽の持つ所の地図を取れ」と。軻既に図を取りて之を奏す。秦王図を発く。図窮まりて匕首見る。因りて左手に秦王の袖を把り、而して右手に匕首を持ちて之を揕す。未だ身に至らず。秦王驚き、自ら引きて起つ。袖絶ゆ。剣を抜かんとするも、剣長く、其の室を操る。時に惶急し、剣堅く、故に立ちどころに抜くべからず。荊軻秦王を逐ふ。秦王柱を環りて走る。群臣皆愕き、卒かに意はざるに起こり、尽く其の度を失ふ。而して秦の法、群臣の殿上に侍する者は尺寸の兵を持つを得ず。諸郎中の兵を執るもの皆殿下に陳なり、詔召有るに非ずんば上るを得ず。急なる時に方り、下の兵を召すに及ばず。故を以て荊軻乃ち秦王を逐ふ。而して卒かに惶急し、以て軻を撃つ無く、而して手を以て共に之を搏つ。是の時侍医夏無且、其の奉ずる所の薬嚢を以て荊軻に提つ。秦王方に柱を環りて走り、卒かに惶急して、為す所を知らず。左右乃ち曰く、「王剣を負へ」と。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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『春秋左氏伝』襄公十八年 太子、剣を抜きて鞅を断つ十二月戊戌、秦周に及びて雍門の萩を伐つ。范鞅雍門に門す。其の御追喜、戈を以って犬を門中に殺す。孟莊子其の橁を斬りて、以って公の琴と為す。己亥、雍門及び西郭・南郭を焚く。劉難・士弱、諸侯の師を率ゐて、申池の竹木を焚く。壬寅、東郭・北郭を焚く。范鞅揚門に門す。州綽東閭に門す。左驂迫りて、東門の中に還り、枚を以って闔を數ふ。齊侯駕して、將に郵棠に走らんとす。大子と郭榮と馬を扣へて曰く、「師速やかにして疾し、略するなり。將に退かんとす。君何ぞ懼れん。且つ社稷の主は、以って輕んずべからず。輕んずれば則ち眾を失ふ。君必ず之を待て」と。將に之を犯さんとす。大子劍を抽きて鞅を斷つ。乃ち止む。甲辰、東のかた侵して濰に及び、南のかた沂に及ぶ。
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