孟子 / 離婁章句下
孟子曰、無罪而殺士、則大夫可以去。無罪而戮民、則士可以徙。
書き下し
孟子曰く、「罪無くして士を殺さば、則ち大夫以て去る可し。罪無くして民を戮せば、則ち士以て徙る可し。」
現代語訳
孟子は言った。 「君主が罪もない士を殺したら、そのような災いは大夫にも及ぶであろうから、大夫は国を去ってもよい。君主が罪もない民を殺すようなら、それはやがて士にも及ぶであろうから、士も国を立ち去ってよい。」
解説
組織や社会において、理不尽な行いや不正が身近で起きている場合、それが今は自分に直接被害が及んでいなくても、いずれ自分の身に降りかかってくる危険信号です。理不尽が横行する環境に無理に留まることは、自分自身を大切にしないことにつながります。現代の職場などでも、不当な扱いや悪質な環境を見極め、状況が改善されないのであれば、自分の尊厳と身を守るためにその場を離れるという決断を下すことも重要な選択です。
この章句が説くこと
危機管理環境の見極め理不尽尊厳を守る
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