智囊 / 靈變・張詠・徐達
張乖崖守成都,兵火之餘,人懷反側。一日大閱,始出,眾遂嵩呼者三。乖崖亦下馬,東北望而三呼,復攬轡而行。眾不敢嘩,上嘗召徐中山王飲,迨夜,強之醉。,醉甚,命內侍送舊內宿焉。舊內,上為吳王時所居也。中夜,王酒醒,問宿何地,內侍曰:「舊內也。」即起,趨丹陛下,北面再拜,三叩頭乃出。上聞之,大說。〔評〕乖崖三呼,而軍嘩頓息;中山三叩頭,而主信益堅。倉卒間乃有許大主張,非特恪謹而已!
新字:張乖崖守成都,兵火之余,人懐反側。一日大閲,始出,衆遂嵩呼者三。乖崖亦下馬,東北望而三呼,復攬轡而行。衆不敢嘩,上嘗召徐中山王飲,迨夜,強之酔。,酔甚,命内侍送旧内宿焉。旧内,上為呉王時所居也。中夜,王酒醒,問宿何地,内侍曰:「旧内也。」即起,趨丹陛下,北面再拝,三叩頭乃出。上聞之,大説。〔評〕乖崖三呼,而軍嘩頓息;中山三叩頭,而主信益堅。倉卒間乃有許大主張,非特恪謹而已!
書き下し
張乖崖は成都を守る。兵火の余り、人は反側を懐く。一日、大閲し、始めて出づれば、衆は遂に嵩呼すること三たびす。乖崖も亦た馬を下り、東北を望みて三たび呼び、復た轡を攬りて行く。衆は敢えて嘩せず。上は嘗て徐中山王を召して飲ましめ、夜に迨び、強いて之を醉わしむ。醉うこと甚だしく、内侍に命じて旧内に送りて宿せしむ。旧内とは、上の呉王たりし時の居る所なり。中夜、王の酒醒め、何れの地に宿すかを問う。内侍曰く、「旧内なり」と。即ち起ちて丹陛の下に趨り、北面して再拝し、三たび叩頭して乃ち出づ。上は之を聞き、大いに説ぶ。〔評〕乖崖の三呼にして、軍の嘩ぎ頓かに息み、中山の三叩頭にして、主の信は益々堅し。倉卒の間に乃ち許大の主張有り、特に恪謹するのみに非ず。
現代語訳
張乖崖は成都を治めていた。戦火のあとで、人々は不穏な心を抱いていた。ある日、大閲兵を行い、乖崖が出てくると、兵たちはいっせいに万歳を三たび唱えた。乖崖も馬を下り、東北の都のほうを向いて三たび万歳を唱え、再び手綱を取って進んだ。兵たちはもう騒ぐことをしなかった。皇帝があるとき徐中山王(徐達)を召して酒を飲ませ、夜になると、無理に酔わせた。徐達がひどく酔ったので、宦官に命じて旧内に送って泊まらせた。旧内とは、皇帝が呉王であったころに住んでいた所である。夜中に徐達は酒が醒め、どこに泊まっているのかを尋ねた。宦官が「旧内です」と答えた。すぐに起きて階段の下に走り、北に向かって二度拝し、三たび叩頭してから出た。皇帝はこれを聞いて、大いに喜んだ。〔評〕乖崖は三たび万歳を唱えて、軍のざわめきがたちまち止み、中山王は三たび叩頭して、君主の信頼はますます堅くなった。あわただしい中で、これほどのはたらきができたのは、ただ慎み深いというだけではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・泰伯篇子曰く、恭にして礼無ければ則ち労す。慎にして礼無ければ則ち葸る。勇にして礼無ければ則ち乱る。直にして礼無ければ則ち絞す。君子親に篤ければ、則ち民仁に興る。故旧遺れざれば、則ち民偸からず。
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『春秋左氏伝』昭公六年 加籩を辞す夏、季孫宿晉に如く。莒の田を拜するなり。晉侯之を享して加籩有り。武子退き、行人をして告げしめて曰く、「小國の大國に事ふるや、苟も討たるるを免るれば、敢へて貺(たまもの)を求めず。貺を得るも三獻に過ぎず。今豆に加有り、下臣堪へず。乃ち戾(つみ)無からんや」と。韓宣子曰く、「寡君以て驩と為すなり」と。對へて曰く、「寡君すら猶ほ未だ敢へてせず、況んや下臣をや。君の隸なり、敢へて加貺を聞かんや」と。固く加を徹せんことを請ひて、而る後に事を卒ふ。晉人以て禮を知ると為し、其の好貨を重くす。宋の寺人柳寵有り。大子佐之を惡む。華合比曰く、「我之を殺さん」と。柳之を聞き、乃ち坎して牲を用ゐ書を埋めて、公に告げて曰く、「合比將に亡人の族を納れんとし、既に北郭に盟へり」と。公之を視しむるに、有り。遂に華合比を逐ふ。合比衛に奔る。是に於いて華亥右師に代はらんと欲し、乃ち寺人柳と比(した)しむ。從ひて之が徵を為して曰く、「之を聞くこと久し」と。公之に代はらしむ。左師に見ゆ。左師曰く、「女夫(なんぢ)や必ず亡びん。女而(なんぢ)の宗室を喪ふ、人に於いて何か有らん。人も亦た女に於いて何か有らん。詩に曰く、『宗子は維れ城、城をして壞らしむること毋かれ、獨りにして斯れ畏るること毋かれ』と。女其れ畏れよや」と。
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『春秋左氏伝』哀公二十四年 妾を以て夫人と為す二十四年夏四月、晉侯、將に齊を伐たんとし、來りて師を乞はしめて曰く、「昔、臧文仲、楚師を以て齊を伐ちて穀を取り、宣叔、晉師を以て齊を伐ちて汶陽を取る。寡君、福を周公に徼めんと欲し、靈を臧氏に乞はんと願ふ」と。臧石、師を帥ゐて之に會し、廩丘を取る。軍吏、繕はしめて將に進まんとす。萊章曰く、「君卑しく政暴なり。往歲、敵に克ち、今又都に勝つ。天の奉ずること多し。又焉んぞ能く進まん。是れ躗言なり。役將に班らんとす」と。晉師乃ち還る。臧石に牛を餼る。大史、之を謝して曰く、「寡君の行に在るを以て、牢禮度あらず。敢へて之を展謝す」と。邾子又無道なり。越人、之を執へて以て歸り、公子何を立つ。何も亦た無道なり。公子荊の母嬖せらる。將に以て夫人と為さんとし、宗人釁夏をして其の禮を獻ぜしむ。對へて曰く、「之無し」と。公怒りて曰く、「女は宗司為り。夫人を立つるは、國の大禮なり。何の故に之無き」と。對へて曰く、「周公及び武公は薛に娶り、孝・惠は商に娶り、桓より以下は齊に娶る。此の禮は則ち有り。若し妾を以て夫人と為すは、則ち固より其の禮無きなり」と。公卒に之を立てて、荊を以て大子と為す。國人始めて之を惡む。閏月、公、越に如く。大子適郢と得て、將に公に妻し、而して多く之に地を與へんとす。公孫有山、季孫に告げしむ。季孫懼れ、大宰嚭に因りて賂を納れしむ。乃ち止む。
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尉繚子・戰威奪ふとは、心の機なり。令とは、衆心を一にするなり。衆審らかならざれば、則ち数々変ず。数々変ずれば、則ち令出づと雖も、衆信ぜず。故に之に令するの法は、小過は更むる無く、小疑は中(あ)つる無し。故に上に疑令無ければ、則ち衆は二聴せず。動くに疑事無ければ、則ち衆は二志せず。未だ其の心を信ぜずして、能く其の力を得る者有らざるなり。未だ其の力を得ずして、能く其の死戦を致す者有らざるなり。故に国に必ず礼・信・親・愛の義有れば、則ち饑を以て飽に易(か)ふべし。国に必ず孝・慈・廉・恥の俗有れば、則ち死を以て生に易ふべし。古の民を率ゐるは、必ず礼信を先にして爵禄を後にし、廉恥を先にして刑罰を後にし、親愛を先にして其の身を律す。故に戦ふ者は、心は身を率ゐて以て衆士を励ますに本づき、心の四肢を使ふが如し。志励まざれば、則ち士は節に死せず。士節に死せざれば、則ち衆戦はず。士を励ますの道は、民の生、厚くせざるべからざるなり。爵列の等、死喪の親、民の営む所、顕らかにせざるべからざるなり。必ずや民の生ずる所に因りて之を制し、民の営む所に因りて之を顕らかにし、田禄の実、飲食の親、郷里相勧め、死喪相救ひ、兵役相従ふ、此れ民の励む所なり。什伍をして親戚の如く、卒伯をして朋友の如くならしめ、止まれば堵牆の如く、動けば風雨の如く、車は轍を結ばず、士は踵を旋らさず、此れ本戦の道なり。地は民を養ふ所以なり、城は地を守る所以なり、戦ひは城を守る所以なり。故に耕に務むる者は、民饑ゑず。守りに務むる者は、地危ふからず。戦ひに務むる者は、城囲まれず。三者は、先王の本務なり。本務なる者は、兵最も急なり。故に先王は兵に専らにすること、五つ有り。委積多からざれば、則ち士行かず。賞禄厚からざれば、則ち民勧まず。武士選ばざれば、則ち衆強からず。器用備はらざれば、則ち力壮ならず。刑罰中らざれば、則ち衆畏れず。此の五者に務むれば、静かなれば能く其の固むる所を守り、動けば能く其の欲する所を成す。夫れ居を以て出づるを攻むるには、則ち居は重きを欲し、陳は堅きを欲し、発するは畢(ことごと)くなるを欲し、闘ふは斉しきを欲す。王国は民を富まし、覇国は士を富まし、僅かに存するの国は大夫を富まし、亡国は倉府を富ます。所謂上満ちて下漏れ、患ひ救ふ所無し。故に曰く、
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論語・八佾篇定公問う、「君臣を使い、臣君に事うるは、之を如何。」孔子対えて曰く、「君は臣を使うに礼を以てし、臣は君に事うるに忠を以てす。」
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孟子・滕文公章句下穴隙を鑽るの類と与にするなり。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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