晏子春秋 / 外篇上・景公台成盆成適願合葬其母晏子諫而許
公曰,「吾聞之,五子不滿隅,一子可滿朝,非乃子耶?」盆成適於是臨事不敢哭,奉事以禮,畢,出門,然後舉聲焉。
新字:公曰,「吾聞之,五子不満隅,一子可満朝,非乃子耶?」盆成適於是臨事不敢哭,奉事以礼,畢,出門,然後舉声焉。
書き下し
公曰く、「吾之を聞く、五子は隅に満たず、一子は朝に満つべしと。乃の子に非ずや」と。盆成適是に於て事に臨みて敢えて哭せず、事を奉ずるに礼を以てし、畢りて、門を出で、然る後声を挙ぐ。
現代語訳
景公は言いました。「私はこう聞いている。五人の子でも片隅を満たせないが、一人の子で朝廷を満たせる者もいると。それはお前のことではないか。」盆成適はそこで、葬儀の場では声をあげて泣くことをせず、礼にかなって務めを奉じ、終わってから門を出て、そのとき初めて声をあげて泣きました。
解説
盆成適が母の合葬を願った話の結びにあたる段です。景公は「五人の子でも隅を満たせないが、一人の子で朝廷を満たす者もいる」と述べて盆成適を評しました。これを受けた盆成適は、葬儀の最中は声を抑えて礼どおりに務めを果たし、終わって門を出てから初めて声をあげています。題によれば、晏子が諫めて合葬が許された経緯の続きです。悲しみがないのではなく、場の務めを先に果たす順序を守った振る舞いとして描かれています。現代の職場でも、私的な痛みを抱えながら役割を全うする部下には、言葉にして敬意を示すことが信頼を深めます。
この章句が説くこと
礼葬儀評価信頼盆成適晏子春秋
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