智囊 / 靈變・羅巡撫
羅某初出使川中,泊舟河邊,川中有一處,男女俱浴於河,即嬉笑舟邊。羅遣人禁之,男女鼓噪大罵,人多,卒不可治。反拋石舟中而去,乃訴之縣,稍鞭數人,既而羅公巡撫蜀中,縣民大駭。羅公心計之,是日又泊舟舊處,大言之曰:「此處民前被我懲創一番,今乃大變矣。」嗟歎良久,川民前猜遂解。〔評〕不但釋其猜,且可誘之於善,妙哉!
新字:羅某初出使川中,泊舟河辺,川中有一処,男女倶浴於河,即嬉笑舟辺。羅遣人禁之,男女鼓噪大罵,人多,卒不可治。反抛石舟中而去,乃訴之県,稍鞭数人,既而羅公巡撫蜀中,県民大駭。羅公心計之,是日又泊舟旧処,大言之曰:「此処民前被我懲創一番,今乃大変矣。」嗟嘆良久,川民前猜遂解。〔評〕不但釈其猜,且可誘之於善,妙哉!
書き下し
羅某は初め川中に出使す。舟を河辺に泊む。川中の一処に、男女倶に河に浴する有り、即ち舟辺に嬉笑す。羅は人を遣わしてこれを禁ぜしむ。男女は鼓噪して大いに罵り、人多くして、卒に治む可からず、反って石を舟中に抛ちて去る。乃ちこれを県に訴え、稍や数人を鞭つ。既にして羅公は蜀中を巡撫するに、県民は大いに駭く。羅公は心にこれを計り、是の日、又た舟を旧処に泊め、大言してこれに曰く、「此の処の民は前に我に懲創せられたる一番ありしが、今は乃ち大いに変ぜり」と。嗟歎すること良や久し。川民の前の猜いは遂に解けたり。〔評〕その猜いを釈くのみならず、且つ之を誘いて善に於いてすべし。妙なるかな。
現代語訳
羅某は、はじめ四川に使者として赴いた。舟を川辺に泊めた。四川のある場所では、男女がそろって川で水浴びをしており、舟のそばで笑いたわむれた。羅は人を遣わしてやめさせた。男女は騒いで大声で罵り、人数が多くて、結局抑えられず、かえって石を舟の中に投げ込んで去った。そこで県に訴え出て、数人が軽く鞭打たれた。のちに羅公は四川の巡撫となって赴任し、県の民は大いに恐れた。羅公は心の中で考え、その日、また舟を以前の場所に泊め、大きな声で言った。「この土地の民は、以前私にこらしめられたことがあったが、今ではすっかり変わった」。そう言って長い間感嘆した。四川の民の前々からの疑いと恐れは、これで解けた。〔評〕疑いを解いただけでなく、さらに彼らを善に導くことまでできた。見事である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」
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尉繚子・兵教上民をして国門の限を背にし、死生の分を決せしめ、之に死して疑はざるを教ふる者は、以有るなり。守る者をして必ず固く、戦ふ者をして必ず闘ひ、奸謀作らず、姦民語らず、令行はれて変無く、兵行はれて猜無く、軽き者は霆の若く、敵に奮ふこと驚くが若くせしむ。功を挙げ徳を別つこと、明らかなること白黒の如く、
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『甲陽軍鑑』品第四十爰におひて高坂弾正いはく、人をほむるも、そしるも我位ほどさたする時は被官といへども、よき者へは悪大将心ざし及ばさる故、めもさながらとゞかぬなり、惣別よき大将は三万·四万の人数をつれても五千の敵に気遣給ふ事、主の小人数にて大軍を引請、どこぞのつがひに切てとらんと思ふたる大身のむかしより、いかほど大きく成給ひて後までも気遣なさるゝ事、我意地にあてがひてかくの分なり、
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『大和俗訓』巻之五・言語一人をほめ毀ること、つつしんで過不及なかるべし。人の小悪を大悪に言ひなし、小過を大過に言ひなし、虚なることを実に言ひなすは、讒言なり。又左程なきことを、甚しく人をほめ過すも、正直の道にあらず。へつらひて其人に私するなり。誉めそしること、かるがるしくすべからず。たとへば権量を以て、物の軽重をはかるが如くなるべし。一毫もかろくし重くして、過不及あるべからず。誉むべからざる人をほめ、毀るべからざる人をそしり、或はほめ過し、そしり過すは、ともに不智なり。論語に子貢曰、君子は一言以て智とし、一言以て不智とす。言慎まずんばあるべからずといへり。よき人は、許可をつつしむとて、人をみだりにゆるしほめず。されども、小善をもすてず、一芸をも用ふるは、君子のする所なり。
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『幽夢影』巻下・君子の鄙しむ所と爲る毋れ寧ろ小人の罵る所と爲るも、君子の鄙しむ所と爲る毋れ。寧ろ盲主司の擯棄する所と爲るも、諸名宿の知らざる所と爲る毋れ。
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史記 趙世家四卿恐れ、遂に共に出公を攻む。出公斉に奔り、道に死す。知伯乃ち昭公の曾孫驕を立つ、是を晋の懿公と為す。知伯益々驕る。地を韓・魏に請ふ。韓・魏之に与ふ。地を趙に請ふ。趙与へず。其の鄭を囲みしときの辱めを以てなり。知伯怒り、遂に韓・魏を率ゐて趙を攻む。趙襄子懼れ、乃ち奔りて晋陽を保つ。原過従ふ。後れて、王沢に至り、三人を見る。帯より以上は見るべく、帯より以下は見るべからず。原過に竹二節を与ふ。通ずる莫し。曰く、「我が為に是を以て趙毋卹に遺れ」と。原過既に至り、以て襄子に告ぐ。襄子斉すること三日、親ら自ら竹を剖く。朱書有りて曰く、「趙毋卹、余は霍泰山山陽侯の天使なり。三月丙戌、余将に女をして反りて知氏を滅ぼさしめんとす。女も亦我が百邑を立てよ。余将に女に林胡の地を賜はんとす。後世に至りて、且に伉王有らんとす。赤黒く、龍面にして鳥噣、鬢麋髭髯、大膺大胸、修下にして馮、左袵界乗、奄ひて河宗を有ち、休溷の諸貉に至り、南のかた晋の別を伐ち、北のかた黒姑を滅ぼさん」と。襄子再拝し、三神の令を受く。三国晋陽を攻むること歳余、汾水を引きて其の城に灌ぐ。城の浸らざる者三版。城中釜を懸けて炊ぎ、子を易へて食らふ。群臣皆外心有り、礼益々慢る。唯だ高共のみ敢へて礼を失はず。襄子懼れ、乃ち夜に相の張孟同をして私かに韓・魏に於てせしむ。韓・魏与に合謀し、三月丙戌を以て、三国反りて知氏を滅ぼし、共に其の地を分つ。是に於て襄子賞を行ふ。高共を上と為す。張孟同曰く、「晋陽の難に、唯だ共のみ功無し」と。襄子曰く、「晋陽の急なるに方りて、群臣皆懈る。惟だ共のみ敢へて人臣の礼を失はず。是を以て之を先にす」と。是に於て趙は北に代を有ち、南に知氏を并せ、韓・魏より彊し。遂に三神を百邑に祠り、原過をして霍泰山の祠祀を主らしむ。其の後空同氏を娶り、五子を生む。
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