智囊 / 靈變・陳平
陳平間行,仗劍亡,渡河。船人見其美丈夫獨行,疑其亡將,腰中當有金寶,數目之。平恐,乃解衣,裸而佐刺船。船人知其無有,乃止。〔述評〕平事漢,凡六出奇計:請捐金行反間,一也;以惡草具進楚使,離間亞父,二也;夜出女子二千人,解滎陽圍,三也;躡足請封齊王信,四也;請偽游雲夢縛信,五也;使畫工圖美女,間遣人遺閼氏說之,解白登之圍,六也。六計中,唯躡足封信最妙。若偽游雲夢,大錯!夫雲夢可游,何必曰偽?且謂信必迎謁,因而擒之。既度其必迎謁矣,而猶謂之反乎?察之可,遽擒之則不可。擒一信而三大功臣相繼疑懼,駢首滅族,平之貽禍烈甚矣!有人舟行,出石杯飲酒,舟人疑為真金,頻矚之。此人乃就水洗杯,故墮之水中。舟人駭惜,因曉之曰:「此石杯,非真金,不足惜也。」
新字:陳平間行,仗剣亡,渡河。船人見其美丈夫独行,疑其亡将,腰中当有金宝,数目之。平恐,乃解衣,裸而佐刺船。船人知其無有,乃止。〔述評〕平事漢,凡六出奇計:請捐金行反間,一也;以悪草具進楚使,離間亜父,二也;夜出女子二千人,解滎陽囲,三也;躡足請封斉王信,四也;請偽游雲夢縛信,五也;使画工図美女,間遣人遺閼氏説之,解白登之囲,六也。六計中,唯躡足封信最妙。若偽游雲夢,大錯!夫雲夢可游,何必曰偽?且謂信必迎謁,因而擒之。既度其必迎謁矣,而猶謂之反乎?察之可,遽擒之則不可。擒一信而三大功臣相継疑懼,駢首滅族,平之貽禍烈甚矣!有人舟行,出石杯飲酒,舟人疑為真金,頻矚之。此人乃就水洗杯,故堕之水中。舟人駭惜,因暁之曰:「此石杯,非真金,不足惜也。」
書き下し
陳平は間行し、剣を仗りて亡げ、河を渡る。船人は其の美丈夫の独り行くを見て、亡将かと疑い、腰中に当に金宝有るべしとして、数々これに目す。平は恐れ、乃ち衣を解き、裸にして刺船を佐く。船人は其の有る無きを知り、乃ち止む。〔述評〕平は漢に事えて、凡そ六たび奇計を出す。金を捐てて反間を行わんことを請う、一なり。悪草具を以て楚の使いに進め、亜父を離間す、二なり。夜に女子二千人を出して、滎陽の囲みを解く、三なり。足を躡みて斉王に信を封ぜんことを請う、四なり。偽りて雲夢に遊び信を縛らんことを請う、五なり。画工をして美女を図せしめ、間に人を遣わして閼氏に遺りてこれを説かしめ、白登の囲みを解く、六なり。六計の中、ただ足を躡みて信を封ずるを最も妙とす。偽りて雲夢に遊ぶが若きは、大いに錯れり。夫れ雲夢は遊ぶべし、何ぞ必ずしも偽ると曰わん。且つ信は必ず迎え謁すと謂いて、因りて擒えんとす。既に其の必ず迎え謁するを度りて、猶お之を反すと謂うか。察するは可なり、遽かに之を擒えるは則ち不可なり。一信を擒えて三大功臣相い継いで疑い懼れ、首を駢べて族滅せり。平の禍を貽すこと、烈しきこと甚だし。人有りて舟行し、石の杯を出して酒を飲む。舟人は真の金かと疑い、頻りにこれを矚る。此の人は乃ち水に就きて杯を洗い、故に之を水中に墮とす。舟人は駭き惜しむ。因りてこれに暁して曰く、「これは石の杯なり、真の金に非ず。惜しむに足らず」と。
現代語訳
陳平は人目を避けて道を行き、剣を杖にして逃げ、黄河を渡ろうとした。船頭は、見事な体格の男がひとりで来るのを見て、逃亡中の将軍かと疑い、腰のあたりに金や宝を持っているにちがいないと思い、何度もじろじろと見た。平は恐れ、そこで衣を脱いで裸になり、船をこぐ手伝いをした。船頭は何も持っていないと知り、考えを改めた。〔述評〕平は漢に仕えて六度の奇計を出した。金を惜しまず敵の間を割く工作を献策したのが一つ。粗末な料理を楚の使者に出して亜父范増との仲を裂いたのが二つ。夜に二千人の女を城から出して滎陽の囲みを解いたのが三つ。足を踏んで斉王の位を韓信に与えるよう促したのが四つ。雲夢に遊ぶふりをして韓信を捕らえるよう勧めたのが五つ。絵師に美女の絵を描かせ、こっそり人を遣わして匈奴の閼氏に贈って説かせ、白登の包囲を解いたのが六つである。六つのうち、足を踏んで信を斉王に封じさせた計が最も妙である。雲夢に遊ぶふりをした計は大きな誤りだ。雲夢は遊べる所なのに、どうして偽る必要があったのか。しかも信が必ず出迎えに来ると見越して捕らえようとした。すでに必ず出迎えると見抜いていながら、なお謀反と言うのか。見極めるのはよいが、いきなり捕らえるのは良くない。一人の信を捕らえたことで、ほかの三人の大功臣が次々に疑い恐れ、首を並べて一族を滅ぼされた。平が残した禍は、きわめて大きい。ある人が舟に乗り、石の杯を取り出して酒を飲んだ。船頭は本物の金かと疑い、しきりに見た。この人はそこで水で杯を洗い、わざと水中に落とした。船頭は驚き惜しんだ。そこで教えて言った。「これは石の杯で、金ではない。惜しむことはない」と。
解説
この章句が説くこと
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