智囊 / 靈變・爾朱敞・韋孝寬
齊神武韓陵之捷,盡誅爾朱氏。榮族子敞小隨母養於宮中,及年十二,自竇而走,至大街,見群兒戲,敞解所著綺羅金翠之服,易衣而遁。追騎尋至,便執綺衣兒,比究問,非是。會日暮,遂得免。尉遲迥先為相州總管。詔韋孝寬代之,又以小司徒叱列長文為相州刺史,先令赴鄴,孝寬續進。至朝歌,迥遣其大都督賀蘭貴齎書候孝寬。孝寬留貴與語以察之,疑其有變,遂稱疾徐行。又使人至相州求醫藥,密以伺之。既到湯陰,逢長文奔還。孝寬密知其狀,乃馳還,所經橋道,皆令毀撤,驛馬悉擁以自隨。又勒驛將曰:「蜀公將至,可多備肴酒及芻粟以待之。」迥果遣儀同梁子康將數百騎追孝寬,驛司供設豐厚,所經之處皆輒停留,由是不及。
新字:斉神武韓陵之捷,尽誅爾朱氏。栄族子敞小随母養於宮中,及年十二,自竇而走,至大街,見群児戯,敞解所著綺羅金翠之服,易衣而遁。追騎尋至,便執綺衣児,比究問,非是。会日暮,遂得免。尉遅迥先為相州総管。詔韋孝寛代之,又以小司徒叱列長文為相州刺史,先令赴鄴,孝寛続進。至朝歌,迥遣其大都督賀蘭貴齎書候孝寛。孝寛留貴与語以察之,疑其有変,遂称疾徐行。又使人至相州求医薬,密以伺之。既到湯陰,逢長文奔還。孝寛密知其状,乃馳還,所経橋道,皆令毀撤,駅馬悉擁以自随。又勒駅将曰:「蜀公将至,可多備肴酒及芻粟以待之。」迥果遣儀同梁子康将数百騎追孝寛,駅司供設豊厚,所経之処皆輒停留,由是不及。
書き下し
斉の神武、韓陵に捷ちて、尽く爾朱氏を誅す。栄の族子敞、小さくして母に随い宮中に養わる。年十二に及び、竇より走りて、大街に至り、群児の戯るるを見、敞は著る所の綺羅金翠の服を解き、衣を易えて遁る。追騎尋いで至り、便ち綺衣の児を執う。究問するに及び、是に非ず。会たま日暮れ、遂に免るるを得たり。尉遅迥は先に相州の総管たり。詔して韋孝寛をして之に代わらしめ、又小司徒の叱列長文を以て相州刺史と為し、先ず鄴に赴かしむ。孝寛続いて進む。朝歌に至り、迥は其の大都督賀蘭貴をして書を齎して孝寛を候わしむ。孝寛、貴を留めて与に語り以て之を察し、其の変有るを疑い、遂に疾と称して徐ろに行く。又人をして相州に至らしめて医薬を求め、密かに以て之を伺う。既に湯陰に到り、長文の奔り還るに逢う。孝寛、密かに其の状を知り、乃ち馳せ還る。経る所の橋道は、皆毀撤せしめ、駅馬は悉く擁して以て自ら随わしむ。又駅将に勅して曰く、「蜀公将に至らんとす。多く肴酒及び芻粟を備えて以て之を待て」と。迥果たして儀同梁子康をして数百騎を将いて孝寛を追わしむ。駅司の供設豊厚にして、経る所の処皆輒ち停留し、是に由り及ばず。
現代語訳
斉の神武(高歓)は韓陵の戦いに勝って、爾朱氏をことごとく誅殺した。爾朱栄の一族の子の爾朱敞は、幼くして母に従い宮中で養われていた。十二歳のとき、穴から抜け出して逃げ、大通りに出ると、子どもたちが遊んでいるのを見つけた。敞は着ていた綾絹や金翠の飾りのついた服を脱いで、その子と服を取り替えて逃げた。追っ手の騎兵がまもなく来て、きらびやかな服の子どもを捕らえた。尋問して調べると、人違いだった。ちょうど日が暮れ、爾朱敞は逃げ切ることができた。尉遅迥はそれまで相州の総管であった。詔で韋孝寛が彼に代わることになり、さらに小司徒の叱列長文が相州刺史に任じられ、先に鄴に赴いた。孝寛はあとから進んだ。朝歌に着くと、尉遅迥は部下の大都督賀蘭貴に書状を持たせ、孝寛を出迎えさせた。孝寛は賀蘭貴を引き留めて話をし、それで様子を探り、異変があるかもしれないと疑い、病気と称してゆっくり進んだ。また人を相州に遣わして医薬を求めさせ、ひそかに様子を窺わせた。湯陰に着くと、叱列長文が逃げ帰ってくるのに出会った。孝寛はひそかに状況を知り、すぐに引き返した。通過した橋や道はすべて破壊させ、駅の馬もすべて連れて行った。また駅の役人に命じた。「蜀公(尉遅迥)がもうすぐ来る。酒肴や飼料をたくさん用意して待て」。尉遅迥は案の定、儀同の梁子康に数百騎を連れさせて孝寛を追わせた。駅の役人は豪華なもてなしをし、通る所ごとに留まり、そのため追いつけなかった。
解説
この章句が説くこと
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