智囊 / 靈變・王羲之
王右軍幼時,大將軍甚愛之,恒置帳中眠。大將軍嘗先起,須臾,錢鳳入,屏人論逆節事,都忘右軍在帳中,右軍覺,既聞所論,知無活理,乃剔吐污頭面被褥,詐熟眠,敦論事半,方悟右軍未起,相與大驚曰:「不得不除之。」及開帳,乃見吐唾縱橫,信其實熟眠,由是得全。
新字:王右軍幼時,大将軍甚愛之,恒置帳中眠。大将軍嘗先起,須臾,銭鳳入,屏人論逆節事,都忘右軍在帳中,右軍覚,既聞所論,知無活理,乃剔吐汚頭面被褥,詐熟眠,敦論事半,方悟右軍未起,相与大驚曰:「不得不除之。」及開帳,乃見吐唾縦横,信其実熟眠,由是得全。
書き下し
王右軍、幼き時、大将軍甚だ之を愛し、恒に帳中に置きて眠らしむ。大将軍嘗て先に起く。須臾にして、銭鳳入り、人を屏けて逆節の事を論じ、都て右軍の帳中に在るを忘る。右軍覚め、既に論ずる所を聞き、活くる理無きを知り、乃ち吐を剔いて頭面被褥を汚し、詐りて熟眠す。敦、事を論ずること半ばにして、方に右軍の未だ起きざるを悟り、相与に大いに驚きて曰く、「除かざるを得ず」と。帳を開くに及び、乃ち吐唾の縦横なるを見、其の実に熟眠せるを信じ、是に由り全きを得たり。
現代語訳
王右軍(王羲之)は幼いころ、大将軍の王敦にたいへん可愛がられ、いつも帳の中に寝かせてもらっていた。あるとき王敦が先に起き出した。しばらくして、銭鳳が入ってきて、人払いをして謀反の相談をし、王羲之が帳の中にいることをすっかり忘れていた。王羲之は目を覚まし、話を聞いてしまって、これは生きる道がないと悟り、そこで自分の口をほじくって吐き、頭や顔や布団を汚し、眠っているふりをした。王敦は相談の半ばになって、やっと王羲之がまだ起きていないことに気づき、二人はひどく驚いて言った。「殺さないわけにはいかない」。帳を開けてみると、唾や吐き物があたり一面に散らかっているのを見て、本当に熟睡していると信じ、こうして王羲之は無事でいられた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・用間篇微なるかな、微なるかな。間を用いざる所無し。間事未だ発せずして先ず聞こゆれば、間と告げられし所の者と皆死す。
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易経・繋辞上「戸庭を出でず、咎无し。」子曰く、「乱の生ずる所は、則ち言語以て階(きざはし)と為る。君密ならざれば則ち臣を失い、臣密ならざれば則ち身を失い、幾事(きじ)密ならざれば則ち害成る。是を以て君子は慎密にして出ださざるなり」と。子曰く、「易を作る者は其れ盗を知れるか。易に曰く、負い且つ乗る、寇(あだ)の至るを致す、と。負うとは、小人の事なり。乗るとは、君子の器なり。小人にして君子の器に乗る、盗は之を奪わんと思う。上慢り下暴(あら)ければ、盗は之を伐たんと思う。蔵(おさ)むるに慢れば盗を誨(おし)え、容を冶(つく)れば淫を誨う。易に曰く、負い且つ乗る、寇の至るを致すとは、盗を招くなり」と。
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孫子・九地篇是の故に政挙がるの日、関を夷らげ符を折り、其の使を通ずること無く、廊廟の上に厲しくして、以て其の事を誅む。敵人開闔せば、必ず亟やかに之に入り、其の愛する所を先にし、微かに之と期し、墨を践みて敵に随い、以て戦事を決す。是の故に始めは処女の如くにして、敵人戸を開き、後には脱兎の如くにして、敵拒ぐに及ばず。
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