智囊 / 權奇・司馬相如
卓文君既奔相如,相如與馳歸成都,家居徒四壁立。卓王孫大怒,不分一錢,相如與文君謀,乃復如臨邛,盡賣其車騎,置一酒舍沽酒,而令文君當罏,身自穿犢鼻褌,與庸保雜作,滌器市中,王孫聞而恥之,不得已,分予文君僮百人、錢百萬,乃復還成都為富人。〔評〕卓王孫始非能客相如也,但看臨邛令面耳;終非能婿相如也,但恐辱富家門面耳。文君為之女,真可謂犁牛騂角矣!王吉始則重客相如,及其持節喻蜀,又為之負弩前驅,而當罏滌器時,不聞下車慰勞,如信陵之於毛公、薛公也,其眼珠亦在文君下哉。
新字:卓文君既奔相如,相如与馳帰成都,家居徒四壁立。卓王孫大怒,不分一銭,相如与文君謀,乃復如臨邛,尽売其車騎,置一酒舎沽酒,而令文君当罏,身自穿犢鼻褌,与庸保雑作,滌器市中,王孫聞而恥之,不得已,分予文君僮百人、銭百万,乃復還成都為富人。〔評〕卓王孫始非能客相如也,但看臨邛令面耳;終非能婿相如也,但恐辱富家門面耳。文君為之女,真可謂犁牛騂角矣!王吉始則重客相如,及其持節喩蜀,又為之負弩前駆,而当罏滌器時,不聞下車慰労,如信陵之於毛公、薛公也,其眼珠亦在文君下哉。
書き下し
卓文君既に相如に奔り、相如と馳せ帰りて成都に至る。家居は徒だ四壁立つのみ。卓王孫大いに怒り、一銭も分かたず。相如、文君と謀り、乃ち復た臨邛に如き、尽く其の車騎を売り、一酒舎を置きて酒を沽り、文君をして罏に当たらしめ、身は自ら犢鼻褌を穿ち、庸保と雑作し、器を市中に滌ぐ。王孫聞きてこれを恥じ、已むを得ず、文君に僮百人、銭百万を分かち予う。乃ち復た成都に還りて富人と為る。〔評〕卓王孫は始めより相如を客にする能うに非ず。但だ臨邛令の面を看るのみ。終に相如を婿にする能うに非ず。但だ富家の門面を辱むるを恐るるのみ。文君これが女たり、真に犁牛の騂角と謂うべし。王吉は始めは則ち相如を重んじて客とし、其の節を持して蜀を喩するに及び、又之が為に負弩して前駆す。而るに罏に当たり器を滌ぐ時、車を下りて慰労するを聞かず。信陵の毛公、薛公に於けるが如くならず。其の眼珠も亦た文君の下なるかな。
現代語訳
卓文君が司馬相如のもとへ駆け落ちすると、相如は文君と馬を走らせて成都に帰った。家はただ四方の壁が立っているだけの貧しさだった。卓王孫は激怒し、一銭も分けてくれなかった。相如は文君と相談し、また臨邛に行き、馬車や馬をすべて売って、酒屋を一軒開いて酒を売り、文君に酒がめの前に座らせ、自分は犢鼻褌(ふんどし)をつけて下働きの者に混じって働き、市中で器を洗った。卓王孫はこれを聞いて恥じ、やむを得ず、文君に召使い百人と銭百万を分け与えた。そこで二人は成都に帰り、富裕な人となった。〔評〕卓王孫は最初から相如を客人として遇せるほどの人物ではなく、ただ臨邛の県令の面目を考えたにすぎない。結局、相如を婿として認められたわけでもなく、ただ富家の体面が傷つくのを恐れたにすぎない。文君は彼の娘でありながら、まさに「まだらの牛から赤い角の子が生まれた」ようなものである。王吉は最初は相如を重んじて客とし、使者として蜀に諭しに行く際には、弩を背負って先導まで務めた。それなのに、酒がめの前に座り、器を洗っている時には、車を降りて慰労したとは聞かない。信陵君が毛公・薛公に接したのとは違う。王吉の目利きもまた、文君より下であった。
解説
この章句が説くこと
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史記 司馬相如列伝既に罷みて、相如乃ち人をして重く文君の侍者に賜ひて殷勤を通ぜしむ。文君夜亡げて相如に奔る、相如乃ち与に馳せて成都に帰る。家居徒だ四壁立つのみ。卓王孫大いに怒りて曰く、「女至って不材なり、我殺すに忍びざるも、一銭をも分かたざるなり」と。人或いは王孫に謂ふも、王孫終に聴かず。文君之を久しくして楽しまず、曰く、「長卿第だ倶に臨邛に如き、昆弟より仮貸すれば猶ほ以て生を為すに足る、何ぞ自ら苦しむこと此くの如きに至らん」と。相如与に倶に臨邛に之き、尽く其の車騎を売り、一酒舎を買ひて酒を酤り、而して文君をして鑪に当たらしむ。相如身自ら犢鼻褌を著け、保庸と雑作し、器を市中に滌ふ。卓王孫聞きて之を恥ぢ、為に門を杜ぢて出でず。昆弟諸公更々王孫に謂ひて曰く、「一男両女有り、足らざる所の者は財に非ざるなり。今文君已に身を司馬長卿に失ふ、長卿故より遊に倦む、貧しと雖も、其の人材依るに足る、且つ又令の客なり、独り奈何ぞ相辱むること此くの如き」と。卓王孫已むを得ず、文君に僮百人、銭百万、及び其の嫁する時の衣被財物を分かち予ふ。文君乃ち相如と成都に帰り、田宅を買ひ、富人と為る。居ること之を久しくして、蜀人楊得意狗監と為り、上に侍す。上子虚の賦を読みて之を善しとし、曰く、「朕独り此の人と時を同じくするを得ざるかな」と。得意曰く、「臣の邑人司馬相如自ら此の賦を為ると言ふ」と。上驚き、乃ち召して相如に問ふ。相如曰く、「是れ有り。然れども此れ乃ち諸侯の事なり、未だ観るに足らざるなり。請ふ天子の游猟の賦を為らん、賦成らば之を奏せん」と。上許し、尚書をして筆札を給せしむ。相如「子虚」は、虚言なりとして、楚の称と為し、「烏有先生」は、烏くんぞ此の事有らんやとして、斉の難と為し、「無是公」は、是の人無きなりとして、天子の義を明らかにす。故に空しく此の三人を藉りて辞を為し、以て天子諸侯の苑囿を推す。其の卒章は之を節倹に帰し、因りて以て風諫す。
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史記 司馬相如列伝司馬相如は、蜀郡成都の人なり、字は長卿。少き時読書を好み、撃剣を学ぶ、故に其の親之に名づけて犬子と曰ふ。相如既に学び、藺相如の人と為りを慕ひ、名を相如と更む。貲を以て郎と為り、孝景帝に事へ、武騎常侍と為る、其の好みに非ざるなり。会々景帝辞賦を好まず、是の時梁の孝王来朝し、遊説の士斉人鄒陽・淮陰の枚乗・呉の荘忌夫子の徒を従ふ、相如見て之を説び、因りて病みて免じ、客として梁に游ぶ。梁の孝王諸生と舎を同じくせしむ、相如諸生游士と居ること数歳なるを得て、乃ち子虚の賦を著す。会々梁の孝王卒し、相如帰る、而して家貧しく、以て自ら業とする無し。素より臨邛の令王吉と相善し、吉曰く、「長卿久しく宦遊して遂げず、而して来たりて我を過れ」と。是に於て相如往き、都亭に舎る。臨邛の令繆りて恭敬を為し、日に往きて相如に朝す。相如初めは尚ほ之に見ゆ、後には病と称し、従者をして吉に謝せしむ、吉愈々益々謹粛なり。臨邛中富人多し、而して卓王孫の家僮八百人、程鄭も亦数百人、二人乃ち相謂ひて曰く、「令に貴客有り、為に具して之を召さん」と。並びに令を召す。令既に至り、卓氏の客百を以て数ふ。日中に至り、司馬長卿に謁す、長卿病と謝して往く能はず、臨邛の令敢て食を嘗めず、自ら往きて相如を迎ふ。相如已むを得ず、彊ひて往く、一坐尽く傾く。酒酣にして、臨邛の令前みて琴を奏して曰く、「窃かに聞く長卿之を好むと、願はくは以て自ら娯しめ」と。相如辞謝し、為に一再行を鼓す。是の時卓王孫に女文君有り新たに寡たり、音を好む、故に相如繆りて令と相重んじ、而して琴心を以て之に挑む。相如の臨邛に之くや、車騎を従へ、雍容間雅にして甚だ都なり。卓氏に飲むに及び、琴を弄す、文君窃かに戸より之を窺ひ、心に悦びて之を好み、当たるを得ざらんことを恐る。
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史記 司馬相如列伝之を天子に奏す、天子大いに説ぶ。其の辞に曰く。賦奏せられ、天子以て郎と為す。無是公天子の上林の広大、山谷水泉万物を言ひ、及び子虚楚の雲夢の有する所甚だ衆きを言ふ、侈靡其の実に過ぎ、且つ義理の尚ぶ所に非ず、故に其の要を刪り取り、正道に帰して之を論ず。相如郎為ること数歳、会々唐蒙使ひして夜郎・西僰中を略通し、巴蜀の吏卒千人を発し、郡又多く為に転漕万余人を発し、興法を用ひて其の渠帥を誅す、巴蜀の民大いに驚恐す。上之を聞き、乃ち相如をして唐蒙を責めしめ、因りて巴蜀の民に喩告するに上の意に非ざるを以てす。檄に曰く。相如還りて報ず。唐蒙已に夜郎を略通し、因りて西南夷の道を通ぜんとし、巴・蜀・広漢の卒を発し、作る者数万人。道を治むること二歳、道成らず、士卒多く物故し、費は巨万を以て計ふ。蜀の民及び漢の事を用ふる者多く其の便ならざるを言ふ。是の時邛筰の君長南夷の漢と通じ、賞賜を得ること多きを聞き、多く内臣妾と為り、吏を請ひ、南夷に比せんことを願はんと欲す。天子相如に問ふ、相如曰く、「邛・筰・厓・駹は蜀に近く、道も亦通じ易し、秦の時嘗て通じて郡県と為し、漢興るに至りて罷む。今誠に複た通じ、為に郡県を置かば、南夷に愈らん」と。天子以て然りと為し、乃ち相如を拝して中郎将と為し、節を建てて往きて使ひせしむ。副使王然于・壺充国・呂越人四乗の伝を馳せ、巴蜀の吏の幣物に因りて以て西夷に賂ふ。蜀に至る、蜀の太守以下郊迎し、県令弩矢を負ひて先駆す、蜀人以て寵と為す。是に於て卓王孫・臨邛の諸公皆門下に因りて牛酒を献じて以て驩を交ふ。卓王孫喟然として歎じ、自ら以へらく女をして司馬長卿に尚せしむるを得ること晩しと、而して厚く其の女に財を分与し、男と等同にす。司馬長卿便ち西夷を略定し、邛・筰・厓・駹・斯楡の君皆内臣と為らんことを請ふ。
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史記 貨殖列伝通邑大都、酤ること一歳に千醸、醯醤千瓨、漿千甔、屠る牛羊彘千皮、販ぐ穀の糶千鍾、薪槁千車、船長千丈、木千章、竹竿万、其の軺車百乗、牛車千両、木器の髤する者千枚、銅器千鈞、素木・鉄器若しくは炧茜千石、馬の蹄躈千、牛千足、羊彘千双、僮の手指千、筋角丹沙千斤、其の帛絮細布千鈞、文采千匹、榻布皮革千石、漆千斗、糱麹塩豉千荅、鮐鮆千斤、鯫千石、鮑千鈞、棗栗千石なる者は之を三にす。狐鼦の裘千皮、羔羊の裘千石、旃席千具、佗の果菜千鍾、子貸金銭千貫。節駔会し、貪賈は之を三にし、廉賈は之を五にす。此れ亦千乗の家に比す。其の大率なり。佗の雑業は什の二に中らずんば、則ち吾が財に非ざるなり。請ふ略々当世千里の中、賢人の富む所以の者を道ひ、後世をして観択するを得しめん。蜀の卓氏の先は趙人なり。鉄冶を用て富む。秦趙を破り、卓氏を遷す。卓氏虜略せられ、独り夫妻輦を推し、行きて遷す処に詣る。諸々の遷虜少しく余財有る者は、争ひて吏に与へ、近き処を求め、葭萌に処る。唯だ卓氏曰く、「此の地は狭薄なり。吾聞く、汶山の下は沃野にして、下に蹲鴟有り、死に至るまで饑ゑず。民は市に工みにして、賈し易し」と。乃ち遠く遷さんことを求む。之を臨邛に致す。大いに喜び、即ち鉄山に鼓鋳し、籌策を運らし、滇蜀の民を傾け、富は僮千人に至る。田池射猟の楽しみ、人君に擬す。程鄭は山東の遷虜なり。亦冶鋳し、椎髻の民に賈し、富は卓氏に埒しく、俱に臨邛に居る。宛の孔氏の先は梁人なり。鉄冶を用て業と為す。秦魏を伐ち、孔氏を南陽に遷す。
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史記 司馬相如列伝辺関を除き、関益々斥き、西は沬・若水に至り、南は牂柯に至りて徼と為し、零関の道を通じ、孫水に橋して以て邛都に通ず。還りて天子に報ず、天子大いに説ぶ。相如の使ひせし時、蜀の長老多く西南夷を通ずるは用を為さずと言ふ、唯だ大臣も亦以て然りと為す。相如諫めんと欲するも、業已に之を建つ、敢てせず、乃ち書を著し、籍りて蜀の父老を以て辞と為し、而して己之を詰難し、以て天子を風し、且つ因りて其の使ひの指を宣べ、百姓をして天子の意を知らしむ。其の辞に曰く。其の後人上書して相如の使ひせし時金を受くと言ふ有り、官を失ふ。居ること歳余、複た召されて郎と為る。相如口吃にして善く書を著す。常に消渇の疾有り。卓氏と婚し、財に饒かなり。其の進みて仕宦するや、未だ嘗て公卿国家の事に与るを肯ぜず、病と称して間居し、官爵を慕はず。常て上に従ひて長楊に至りて猟す、是の時天子方に自ら熊彘を撃ち、野獣を馳逐するを好む、相如上疏して之を諫む。其の辞に曰く。上之を善しとす。還りて宜春宮を過ぐ、相如賦を奏して以て二世の行ひの失を哀しむ。其の辞に曰く、陂阤の長阪に登り、曾宮の嵳峩たるに坌入す。曲江の隑州に臨み、南山の参差たるを望む。巌巌たる深山の谾谾たる、通谷は谽たり。汩淢噏習して以て永く逝き、平皐の広衍に注ぐ。衆樹の塕薆たるを観、竹林の榛榛たるを覧る。東のかた土山に馳せ、北のかた石瀬を掲ぐ。節を弥めて容与し、二世を歴吊す。身を持すること謹まず、国を亡ぼし埶を失ふ。讒を信じて寤めず、宗廟滅絶す。嗚呼哀しいかな。操行の得ざる、墳墓蕪穢して脩められず、魂帰する無くして食まず。夐邈絶して斉しからず、弥々久遠にして愈々鬐し。精罔閬として飛揚し、九天に拾りて永く逝く。嗚呼哀しいかな。相如拝して孝文園令と為る。
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史記 滑稽列伝之に安くにか計策を受けたるを問ふ。対へて曰く、「之を待詔の者東郭先生に受く」と。詔して東郭先生を召し、拝して以て郡都尉と為す。東郭先生、久しく公車に待詔し、貧困饑寒にして、衣敝れ、履完からず。雪中を行くに、履上有りて下無く、足尽く地を践む。道中の人之を笑ふ。東郭先生之に応へて曰く、「誰か能く履きて雪中を行き、人をして之を視しむるに、其の上は履なるも、其の履の下の処は乃ち人の足に似たる者あらんや」と。其の拝せられて二千石と為るに及び、青緺を佩びて宮門を出で、行きて主人に謝す。故に以て官を同じくして待詔せし所の者、等比して都門の外に祖道す。道路に栄華あり、名を当世に立つ。此れ所謂褐を衣て宝を懐く者なり。其の貧困の時に当たりては、人省視する莫し。其の貴きに至るや、乃ち争ひて之に附く。諺に曰く、「馬を相するに之を痩に失ひ、士を相するに之を貧に失ふ」と。其れ此の謂ひか。王夫人病甚だし。人主至りて自ら往きて之に問ひて曰く、「子当に王と為るべし。安くにか之を置かんと欲する」と。対へて曰く、「願はくは洛陽に居らしめん」と。人主曰く、「不可なり。洛陽には武庫・敖倉有り、関口に当たり、天下の咽喉なり。先帝より以来、伝へて為に王を置かず。然れども関東の国は斉より大なるは莫し。以て斉王と為す可し」と。王夫人手を以て頭を撃ち、幸甚と呼ぶ。王夫人死す。号して斉王の太后薨ずと曰ふ。昔者、斉王、淳于髡をして鵠を楚に献ぜしむ。邑門を出で、道にて其の鵠を飛ばし、徒だ空籠を掲げ、詐を造り辞を成し、往きて楚王に見えて曰く、「斉王、臣をして来たりて鵠を献ぜしむ。水上を過ぎるに、鵠の渇くに忍びず、出だして之に飲ましむるに、我を去りて飛び亡ぐ。吾、腹を刺し頸を絞りて死なんと欲す。人の吾が王を議して、鳥獣の故を以て士をして自ら傷殺せしむと為さんことを恐る。鵠は毛物にして相類する者多し。吾買ひて之に代へんと欲すれども、是れ信ならずして吾が王を欺くなり。他国に赴きて奔亡せんと欲すれども、吾が両主の使ひの通ぜざるを痛む。故に来たりて過ちに服し、叩頭して罪を大王に受く」と。
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