智囊 / 權奇・張循王老兵
王壯之,即予五十萬,恣其所為,其人乃造巨艦,極其華麗,市美女能歌舞者、樂者百餘人,廣收綾錦奇玩、珍羞佳果及黃白之器,募紫衣吏軒昂閒雅、若書司客將者十數輩,卒徒百人,樂飲逾月,忽飄然浮海去,逾歲而歸,珠犀香藥之外,且得駿馬,獲利幾十倍。時諸將皆缺馬,唯循王得此馬,軍容獨壯,大喜,問其:「何以致此?」曰:「到海外諸國,稱大宋回易使,謁戎王,餽以綾錦奇玩,為招其貴近,珍羞畢陳,女樂迭奏。其君臣大悅,以名馬易美女,且為治舟載馬;以犀珠香藥易綾錦等物,餽遺甚厚,是以獲利如此。」王咨嗟,褒賞賜予優隆,問:「能再往乎?」對曰:「此戲也,再往則敗矣。願退老園中如故。」〔羅景綸云〕一弊衣老卒,循王慨然捐五十萬畀之,不問其出入。此其度量恢弘,足使人從容展布,以盡其能矣。勾踐以四封內外分授種、蠡,高帝捐黃金四十萬斤於陳平,由此其推也。蓋不知其人而輕任之,與知其人而不能專任,皆不足以成功。老卒一往之後,辭不復再,又幾於知進退存亡者。異哉!
新字:王壮之,即予五十万,恣其所為,其人乃造巨艦,極其華麗,市美女能歌舞者、楽者百余人,広収綾錦奇玩、珍羞佳果及黄白之器,募紫衣吏軒昂閒雅、若書司客将者十数輩,卒徒百人,楽飲逾月,忽飄然浮海去,逾歳而帰,珠犀香薬之外,且得駿馬,獲利幾十倍。時諸将皆欠馬,唯循王得此馬,軍容独壮,大喜,問其:「何以致此?」曰:「到海外諸国,称大宋回易使,謁戎王,餽以綾錦奇玩,為招其貴近,珍羞畢陳,女楽迭奏。其君臣大悦,以名馬易美女,且為治舟載馬;以犀珠香薬易綾錦等物,餽遺甚厚,是以獲利如此。」王咨嗟,褒賞賜予優隆,問:「能再往乎?」対曰:「此戯也,再往則敗矣。願退老園中如故。」〔羅景綸云〕一弊衣老卒,循王慨然捐五十万畀之,不問其出入。此其度量恢弘,足使人従容展布,以尽其能矣。勾践以四封内外分授種、蠡,高帝捐黄金四十万斤於陳平,由此其推也。蓋不知其人而軽任之,与知其人而不能専任,皆不足以成功。老卒一往之後,辞不復再,又幾於知進退存亡者。異哉!
書き下し
王これを壮とし、即ち五十万を予え、其の為す所を恣にせしむ。其の人乃ち巨艦を造り、其の華麗を極め、美女の歌舞を能くする者、楽する者百余人を市い、広く綾錦、奇玩、珍羞、佳果及び黄白の器を収め、紫衣の吏の軒昂閑雅にして書司客将の若き者十数輩、卒徒百人を募り、楽飲すること月を逾え、忽ち飄然として海に浮かんで去る。歳を逾えて帰り、珠犀香薬の外、且つ駿馬を得、利を獲ること十倍に幾し。時に諸将皆馬を欠き、唯だ循王のみ此の馬を得て、軍容独り壮んなり。大いに喜び、其に問う、「何を以て此に致せしか」と。曰く、「海外諸国に到り、大宋回易使と称し、戎王に謁し、餽るに綾錦奇玩を以てし、為に其の貴近を招き、珍羞畢く陳べ、女楽迭に奏す。其の君臣大いに悦び、名馬を以て美女に易え、且つ為に舟を治めて馬を載す。犀珠香薬を以て綾錦等の物に易え、餽遺甚だ厚し。是を以て利を獲ること此の如し」と。王咨嗟し、褒賞賜予優隆にして、問う、「能く再び往くか」と。対えて曰く、「此れ戯なり。再び往かば則ち敗れん。願わくは園中に退老すること故の如くせん」と。〔羅景綸云〕一弊衣の老卒に、循王は慨然として五十万を捐てて之に畀え、其の出入を問わず。此れ其の度量恢弘にして、人をして従容として展布し、以て其の能を尽くさしむるに足る。勾践は四封の内外を以て種、蠡に分授し、高帝は黄金四十万斤を陳平に捐つ。此れより其れ推すなり。蓋し其の人を知らずして軽く之に任ずると、其の人を知りて専ら任ずる能わざるとは、皆以て功を成すに足らず。老卒は一往の後、辞して再びせず。又知進退存亡者に幾し。異なるかな。
現代語訳
王は老兵を見どころがあるとして、すぐに五十万を与え、思うままにやらせた。老兵は巨大な船を造り、その華やかさを極め、歌舞のできる美女や楽人を百人余り買い入れ、広く綾や錦、珍しい玩具、珍味、果物、金銀の器を集め、紫の衣を着た、堂々と上品で、書記官や接待役のような役人を十数人、兵卒の従者百人を募り、一か月余り宴を楽しんだのち、突然すいと海に出て行った。一年余りで帰ってきたとき、珠、犀の角、香料、薬のほかに、さらに駿馬を得て、利益は十倍近くであった。そのころ諸将は皆馬が不足していたが、循王だけがこの馬を得て、軍の威容は特に盛んであった。王は大いに喜び、老兵に「どうやってこうなったのか」と尋ねた。老兵は答えた。「海外の諸国に着き、大宋の回易使と名乗り、その国の王に謁見して、綾や錦、珍品を贈り、その側近を招いて、珍味を並べ、女楽を代わる代わる奏させました。その君臣は大いに喜び、名馬を美女と交換し、さらに私のために船を整えて馬を載せてくれました。犀や珠、香料や薬を綾錦などの物と交換し、贈り物も大変手厚くしてくれました。それでこれほどの利益を得たのです」。王は感嘆し、褒美と下賜を手厚く与え、「また行けるか」と尋ねた。老兵は答えた。「これは遊びでございます。再び行けば失敗するでしょう。どうか庭に引退して、前のようにさせてください」。〔羅景綸の言〕ぼろ着の老兵に、循王は大らかに五十万を投じて与え、その出入りを問わなかった。これはその度量が大きく、人にゆったりと力を発揮させ、能力を尽くさせるのに十分である。勾践は国の内外を文種と范蠡に分けて任せ、漢の高祖は黄金四十万斤を陳平に投じた。これらから推して知るべきである。人物を知らずに軽々しく任せるのと、人物を知りながら専ら任せられないのとは、どちらも成功には足りない。老兵は一度行ったあと、辞退して二度と行かなかった。これは進退存亡をわきまえた者に近い。不思議な人物である。
解説
この章句が説くこと
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