智囊 / 權奇・喬白岩
武宗南巡,江提督所領邊兵,皆西北勁兵,偉岸多力。喬白岩命於南方教師中,取其最矮小而精悍者百人,每日與江相期,至教場中比試。南人輕捷,跳躍如飛,北人粗坌,方欲交手,或撞其脅,或觸其腰,皆倒地僵臥。江氣大沮喪,而所蓄異謀,亦已潛折一二矣。〔述評〕時應天府丞寇天敘署尹事,每日帶不帽,穿一撒衣坐堂,自供應朝廷外,毫不妄用。江彬有所需索,每使至,佯為不見,直至堂上,方起立,呼為欽差,語之曰:「南京百姓窮,倉庫竭,錢糧無可措辦,府丞所以只穿小衣坐衙,專待拿問耳。」每次如此,彬無可奈何而止。此亦白岩一時好幫手也。又是時,邊軍於市橫行,強買貨物,寇公亦選矬矮精悍之人,每日早晚祗候行宮,必以自隨,若遇此輩,即與相持,邊軍大為所挫,遂斂跡。想亦與白岩共議而為之者。
新字:武宗南巡,江提督所領辺兵,皆西北勁兵,偉岸多力。喬白岩命於南方教師中,取其最矮小而精悍者百人,毎日与江相期,至教場中比試。南人軽捷,跳躍如飛,北人粗坌,方欲交手,或撞其脅,或触其腰,皆倒地僵臥。江気大沮喪,而所蓄異謀,亦已潜折一二矣。〔述評〕時応天府丞寇天敘署尹事,毎日帯不帽,穿一撒衣坐堂,自供応朝廷外,毫不妄用。江彬有所需索,毎使至,佯為不見,直至堂上,方起立,呼為欽差,語之曰:「南京百姓窮,倉庫竭,銭糧無可措辦,府丞所以只穿小衣坐衙,専待拿問耳。」毎次如此,彬無可奈何而止。此亦白岩一時好幫手也。又是時,辺軍於市横行,強買貨物,寇公亦選矬矮精悍之人,毎日早晩祗候行宮,必以自随,若遇此輩,即与相持,辺軍大為所挫,遂斂跡。想亦与白岩共議而為之者。
書き下し
武宗南巡し、江提督の領する所の辺兵、皆西北の勁兵にして、偉岸にして力多し。喬白岩、南方の教師の中より、その最も矮小にして精悍なる者百人を取り、毎日江と相期し、教場の中に至りて比試せしむ。南人は軽捷にして、跳躍すること飛ぶが如し。北人は粗坌にして、方に手を交えんと欲すれば、或いはその脇に撞たり、或いはその腰に触れ、皆倒れて僵臥す。江の気、大いに沮喪し、蓄うる所の異謀も、亦た已に潜かに一二を折る。〔述評〕時に応天府丞の寇天叙、尹事を署す。毎日不帽を帯び、一撒衣を穿ちて堂に坐し、朝廷に供応する外、毫も妄りに用いず。江彬、需索する所有れば、使至る毎に、佯りて見ざるを為し、直ちに堂上に至りて方に起立し、呼びて欽差と為し、これに語りて曰く、「南京の百姓は窮し、倉庫は竭き、銭糧は措辦すべき無し。府丞は只だ小衣を穿ちて衙に坐し、専ら拿問を待つ所以なり」と。次ごとに此の如くし、彬は奈何ともする無くして止む。此れ亦た白岩の一時の好き幫手なり。又是の時、辺軍、市に横行し、強いて貨物を買う。寇公も亦た矬矮にして精悍なる人を選び、毎日早晩行宮に祗候し、必ず以て自ら随わしむ。若し此の輩に遇えば、即ちこれと相持し、辺軍は大いに挫かれ、遂に跡を斂む。想うに亦た白岩と共に議して為すものならん。
現代語訳
武宗が南方を巡幸したとき、提督の江彬が率いる辺境の兵は、みな西北の精鋭で、体が大きく力が強かった。喬白岩は、南方の武術の師範たちの中から、とくに背が低くて精悍な者を百人選び、毎日江彬と約束して、練兵場で手合わせをさせた。南の人は身軽で、飛ぶように跳ねた。北の人は動きが粗く、組み合おうとするたびに、脇に当たられたり腰に触れられたりして、みな倒れて動けなくなった。江彬の気勢はおおいに衰え、胸に蓄えていた謀反の企みも、ひそかにいくらか挫かれた。〔述評〕そのころ、応天府丞の寇天叙が長官の職務を代行していた。毎日、帽子もかぶらず、簡素な上衣を着て役所に座り、朝廷への供給のほかは、まったく無駄な支出をしなかった。江彬が何か要求するたびに、使者が来ても、わざと見ないふりをし、堂上にまで来てやっと立ち上がって、「欽差の方」と呼び、こう言った。「南京の民は貧しく、倉庫も尽き、金も食糧も工面できません。府丞が下着のような服で役所に座っているのは、ひたすら取り調べを受けるのを待っているからです」。毎回こうして、江彬はどうしようもなく引き下がった。これもまた喬白岩の頼もしい助力者である。またこのころ、辺境の兵が市で横行し、無理に品物を買い取っていた。寇公も背が低く精悍な者を選び、毎日朝晩、行宮に控えさせ、必ず自分の供とした。もしこの手合いに遭えば、彼らと組み合わせ、辺境の兵は大いに挫かれて、ついにおとなしくなった。おそらく喬白岩と相談して行ったのであろう。
解説
この章句が説くこと
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