智囊 / 迎刃・蔣瑤
蔣恭靖瑤,正德時守維揚。大駕南巡,六師俱發,所須夫役,計寶應、高郵站程凡六,每站萬人。議者欲悉集於揚,人情洶洶。公唯站設二千,更番迭遣以迎,計初議減五分之四,其他類皆遞減。卒之上供不缺,民亦不擾。時江彬與太監等挾勢要索,公不為動。會上出觀魚,得巨魚一,戲言直五百金。彬從旁言:「請以畀守。」促值甚急,公即脫夫人簪珥及綈絹服以進,曰:「臣府庫絕無緡錢,不能多具。」上目為酸儒,弗較也。一日中貴出揭帖,索胡椒、蘇木、奇香異品若干,因以所無,冀獲厚賂。時撫臣邀公他求以應,公曰:「古任土作貢;出於殊方,而故取於揚,守臣不知也!」撫臣厲聲令公自覆,公即具揭帖,詳注其下曰:「某物產某處。揚州係中土偏方,無以應命。」上亦不責。又中貴說上選宮女數百,以備行在,撫臣欲選之民間。公曰:「必欲稱旨,止臣一女以進。」上知其不可奪,即詔罷之。
新字:蒋恭靖瑤,正徳時守維揚。大駕南巡,六師倶発,所須夫役,計宝応、高郵站程凡六,毎站万人。議者欲悉集於揚,人情洶洶。公唯站設二千,更番迭遣以迎,計初議減五分之四,其他類皆逓減。卒之上供不欠,民亦不擾。時江彬与太監等挟勢要索,公不為動。会上出観魚,得巨魚一,戯言直五百金。彬従旁言:「請以畀守。」促値甚急,公即脱夫人簪珥及綈絹服以進,曰:「臣府庫絶無緡銭,不能多具。」上目為酸儒,弗較也。一日中貴出掲帖,索胡椒、蘇木、奇香異品若干,因以所無,冀獲厚賂。時撫臣邀公他求以応,公曰:「古任土作貢;出於殊方,而故取於揚,守臣不知也!」撫臣厲声令公自覆,公即具掲帖,詳注其下曰:「某物産某処。揚州係中土偏方,無以応命。」上亦不責。又中貴説上選宮女数百,以備行在,撫臣欲選之民間。公曰:「必欲称旨,止臣一女以進。」上知其不可奪,即詔罷之。
書き下し
蔣恭靖瑶は、正徳の時に維揚を守った。大駕が南巡し、六師が倶に発し、必要とする夫役は、寳応・高郵の站程を計るに凡そ六、各站に万人であった。議する者は悉く揚州に集めようとし、人情は洶洶としていた。公は唯だ站ごとに二千を設け、更番に迭遣して迎えさせ、計るに初議より五分の四を減らし、その他も類して皆遞減した。ついに上供は欠けず、民もまた擾されなかった。時に江彬と太監らは勢いを挟んで要索したが、公は動かされなかった。たまたま上が出て魚を観ると、巨魚一尾を得て、戯れに価は五百金と言った。彬は傍らから、「請う、以て守に畀えよ」と言った。値を促すこと甚だ急であったが、公は即ち夫人の簪珥および綈絹の服を脱いで進め、曰く、「臣の府庫には絶えて緡銭が無く、多くは具えられません」と。上は目して酸儒とし、較めなかった。一日、中貴が揭帖を出し、胡椒・蘇木・奇香異品若干を索めた。無い所を以てし、厚い賂を獲ようと冀ったのである。時に撫臣は公を邀えて他に求め以て応じようとしたが、公は曰く、「古は土に任せて貢せしめた。殊方に出ながら、故に揚に取るのは、守臣の知らぬところです」と。撫臣は厲声で公に自ら覆えと令し、公は即ち揭帖を具し、その下に詳しく注して曰く、「某物は某処に産す。揚州は中土の偏方にして、命に応ずる無し」と。上もまた責めなかった。また中貴が上に説いて宮女数百を選び、以て行在に備えようとし、撫臣は民間から選ぼうとした。公は曰く、「必ず旨に称おうとなさるなら、ただ臣の一女を以て進めましょう」と。上はその奪うべからざるを知り、即ち詔して罷めた。
現代語訳
蔣瑶(諡は恭靖)は、正徳年間に揚州を治めていた。皇帝の南巡で軍勢が一斉に出発し、必要な人夫は、寳応・高郵の宿駅の行程を数えると全部で六つ、各駅一万人とされた。議論する者は皆を揚州に集めようとし、人々は動揺した。蔣瑶はただ駅ごとに二千人を置き、交代で順番に出して迎えさせ、当初の案より五分の四を減らし、他の部分も同様に減らした。結局、皇帝への供給は滞らず、民もわずらわされなかった。そのころ江彬や宦官たちは権勢をたのんで金品を要求したが、蔣瑶は動じなかった。皇帝が出かけて魚を見ていたとき、大きな魚を一匹得て、戯れに五百金の値だと言った。江彬は傍らから「太守にお与えになりましょう」と言い、代金をひどく急かした。蔣瑶はすぐに夫人の簪や耳飾り、絹の服を脱いで差し出し、「私の蔵には銭がまったくなく、多くはそろえられません」と言った。皇帝は融通のきかない儒者だと見て、とがめなかった。ある日、宦官が通達書を出し、胡椒・蘇木・珍しい香料などを要求した。揚州にないものを求め、高額の賄賂を得ようとしたのである。そのとき巡撫は蔣瑶を誘って他所から調達して応じようとしたが、蔣瑶は言った。「昔は土地の産物に応じて貢物を出させました。他国の産物なのに、わざわざ揚州から取ろうとするのは、太守の存じ上げぬところです」。巡撫は声を荒らげて自分で返答せよと言った。蔣瑶はすぐに通達書の下に詳しく注記した。「某物は某所の産です。揚州は中原の片隅で、お求めに応じられません」。皇帝もとがめなかった。また宦官が皇帝に勧めて宮女数百人を選び行在所に備えようとし、巡撫は民間から選ぼうとした。蔣瑶は言った。「ぜひ御意に叶えようとなさるなら、私の娘一人だけを差し上げましょう」。皇帝は彼の決意が変わらないと知り、詔を出して取りやめさせた。
解説
この章句が説くこと
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