智囊 / 權奇・王導・程嬰
請活之,獨殺杵臼可也!」諸將不許,遂殺杵臼與孤兒。諸將以為趙氏孤兒良已死,皆喜。然趙氏真孤乃反在,程嬰卒與俱匿山中。居十五年,晉景公疾,卜之:「大業之後不遂者為祟。」景公問韓厥,厥知趙孤在,乃以趙氏對,景公問:「趙尚有後子孫乎?」厥具以實告。於是景公乃與韓厥謀立趙孤兒,召而匿之宮中。諸將入問疾,景公因韓厥之眾以脅諸將而見趙孤,趙孤名曰武。諸將不得已,皆委罪於屠岸賈,於是武、嬰遍拜諸將,相與攻岸賈,滅其族。復與趙武田邑如故。及武既冠成人,嬰曰:「吾將下報公孫杵臼。」遂自殺。〔評述〕趙氏知人,能得死士力,所以蹷而復起,卒有晉國。後世縉紳門下,不以利投,則以諛合,一旦有事,孰為嬰、杵?
新字:請活之,独殺杵臼可也!」諸将不許,遂殺杵臼与孤児。諸将以為趙氏孤児良已死,皆喜。然趙氏真孤乃反在,程嬰卒与倶匿山中。居十五年,晋景公疾,卜之:「大業之後不遂者為祟。」景公問韓厥,厥知趙孤在,乃以趙氏対,景公問:「趙尚有後子孫乎?」厥具以実告。於是景公乃与韓厥謀立趙孤児,召而匿之宮中。諸将入問疾,景公因韓厥之衆以脅諸将而見趙孤,趙孤名曰武。諸将不得已,皆委罪於屠岸賈,於是武、嬰遍拝諸将,相与攻岸賈,滅其族。復与趙武田邑如故。及武既冠成人,嬰曰:「吾将下報公孫杵臼。」遂自殺。〔評述〕趙氏知人,能得死士力,所以蹷而復起,卒有晋国。後世縉紳門下,不以利投,則以諛合,一旦有事,孰為嬰、杵?
書き下し
請う、これを活かせ。独り杵臼を殺すは可なり」と。諸将許さず、遂に杵臼と孤児を殺す。諸将、趙氏の孤児は良に已に死せりと以為い、皆喜ぶ。然れども趙氏の真の孤は乃ち反って在り。程嬰、卒に与に倶に山中に匿る。居ること十五年、晋の景公疾あり、これを卜うに、「大業の後の遂げざる者、祟りを為す」と。景公、韓厥に問う。厥、趙の孤の在るを知り、乃ち趙氏を以て対う。景公問う、「趙に尚お後の子孫有るか」と。厥、具に実を以て告ぐ。是に於て景公、乃ち韓厥と謀りて趙の孤児を立て、召してこれを宮中に匿す。諸将入りて疾を問う。景公、韓厥の衆に因りて以て諸将を脅し、趙の孤を見す。趙の孤、名を武と曰う。諸将已むを得ず、皆罪を屠岸賈に委ぬ。是に於て武、嬰、遍く諸将に拝し、相与に岸賈を攻めてその族を滅ぼす。復た趙武に田邑を与うること故の如し。武既に冠して成人するに及び、嬰曰く、「吾将に下りて公孫杵臼に報ぜん」と。遂に自殺す。〔評述〕趙氏は人を知り、能く死士の力を得たり。蹷きて復た起ち、卒に晋国を有つ所以なり。後世の縉紳の門下は、利を以て投ぜざれば、則ち諛を以て合す。一旦事有らば、孰か嬰、杵と為らん。
現代語訳
どうか赤子の命は助けてください。杵臼ひとりを殺せば済むことです」。諸将は許さず、杵臼と赤子を殺した。諸将は趙氏の遺児は確かに死んだと思い、みな喜んだ。しかし趙氏の本当の遺児はなお生きており、程嬰はその子とともに山中にかくれた。十五年がたち、晋の景公が病んだ。占うと「大業の末裔で家を継げずにいる者が祟りをなしている」と出た。景公が韓厥に尋ねると、韓厥は趙の遺児が生きているのを知っていたので、趙氏のことを答えた。景公が「趙にはまだ子孫がいるのか」と問うと、韓厥はありのままを告げた。そこで景公は韓厥と謀って趙の遺児を立てることにし、呼び寄せて宮中にかくした。諸将が見舞いに来ると、景公は韓厥の手勢を頼みに諸将を威圧し、趙の遺児に引き合わせた。遺児の名は武といった。諸将はやむなく、みな罪を屠岸賈になすりつけた。そこで武と程嬰は諸将を一人ひとり回って礼をし、ともに屠岸賈を攻めてその一族を滅ぼした。趙武には以前どおり領地と邑が返された。武が元服して成人になると、程嬰は言った。「私は黄泉に下って公孫杵臼に報告しよう」。そう言って自害した。〔評述〕趙氏は人を見る目があり、命をかける士の力を得ることができた。そのため一度つまずきながら再び起ち、ついに晋の国を保った。後世の高官の門下には、利で集まるか、へつらって合わせる者ばかりである。いざというとき、程嬰や杵臼のような者がいるだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
-
『政談』官位爵祿の次第並に勳階頭助允目の事且又役人を年久しく役換をさせねは、述懐することなく、其の役に器量相応にて、能く役儀のことを取り捌く人を外の役に替ふることは惜きことなり、是によりて一役に久しく仕置きて役換を申付ぬ時、加增か官位この外仕方なし、是上より下へ賜はりて下たるものに、勇まする道具少き故人を使ふに行支なるなり、町奉行、盗賊奉行なとをする人、役儀を能く勤めて外の役に換へ措しけれと、加增も度々はやられす、是非なく大目付などに役換をさせて、外の人を後役に申付たるとき、幾人申付けても初め大目付に役換をさせたる人の如き人なからんとき、又其人を元役に返すこと後へ歩むことなれは申付け難し、是は譬なり、外の役儀にも箇様なることあるへし、此差支皆な一役一席に立てたるより起りたるなり、
-
尉繚子・武議兵を起こして直ちに甲冑をして蟣蝨(きしつ)を生ぜしむる者は、必ず吾が効用を為す所なり。鷙鳥の雀を逐ふに、人の懐を襲ひ、人の室に入る者有るは、生を出だすに非ざるなり、後ろに憚る有ればなり。太公望、年七十にして、牛を朝歌に屠り、食を盟津に売り、七十余を過ぐるも主聴かず、人人之を狂夫と謂ふなり。文王に遇ふに及びては、則ち三万の衆を提げ、一戦して天下定まる、武議に非ずんば安くんぞ能く此に合はんや。故に曰く、
-
『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
-
『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
-
『甲陽軍鑑』品第十一一年前代駿河にて今川義元公の時、山本勘介三河国牛くほより今川殿へ奉公の望に参るといへども、彼山本勘介散々夫男にて、其上一眼指も不叶、足はちんばなり、然れども大剛の者なれば義元公へめしおかるゝ様にと広原勘介が宿成る故、おとなの朝比奈兵衛の尉をもつて申上げるは、彼の山本勘介大剛の者なり、殊更城とり陣取り一切の軍法を能く鍛練いたす、京流の兵法も上手なり、軍配をも存知仕つりたる者なりと申せとも、義元公かこへましまさず、駿河にてモヽ味の人の取りがといの山形は第一片輪者数取り服なり其法は其最を人数もとたずして何とて左様の義存ぜん、今川殿へ奉公に出て度きとて虚言を云ふなりと各申すにより、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る