智囊 / 權奇・楊璡
楊璡授丹徒知縣。會中使如浙,所至縛守令置舟中,得賂始釋。將至丹徒,璡選善泅水者二人,令著耆老衣冠,先馳以迎,中使怒曰:「令安在,汝敢來謁我耶?」令左右執之,二人即躍入江中,潛遁去。璡徐至,紿曰:「聞公驅二人溺死江中,方今聖明之世,法令森嚴,如人命何?」中使懼,禮謝而去。雖歷他所,亦不復放恣云。
新字:楊璡授丹徒知県。会中使如浙,所至縛守令置舟中,得賂始釈。将至丹徒,璡選善泅水者二人,令著耆老衣冠,先馳以迎,中使怒曰:「令安在,汝敢来謁我耶?」令左右執之,二人即躍入江中,潜遁去。璡徐至,紿曰:「聞公駆二人溺死江中,方今聖明之世,法令森厳,如人命何?」中使懼,礼謝而去。雖歴他所,亦不復放恣云。
書き下し
楊璡、丹徒の知県を授かる。会たま中使、浙に如き、至る所、守令を縛して舟中に置き、賂を得て始めて釈く。将に丹徒に至らんとす。璡、善く泅ぐ者二人を選び、耆老の衣冠を著せしめ、先に馳せて以て迎えしむ。中使、怒りて曰く、「令は安くにか在る。汝、敢えて来たりて我に謁するか」と。左右に令して之を執らしむ。二人、即ち江中に躍り入り、潜遁して去る。璡、徐に至り、紿きて曰く、「聞くならく、公、二人を江中に駆りて溺死せしむと。方今、聖明の世、法令は森厳なり。人命を如何せん」と。中使、懼れ、礼謝して去る。他所を歴ると雖も、亦た復た放恣せずと云う。
現代語訳
楊璡は丹徒県の知事を授けられた。ちょうど宦官の勅使が浙江に赴き、通る所で地方官を縛って船の中に置き、賄賂を得て初めて釈放していた。丹徒に着こうとしたとき、璡は泳ぎの得意な二人を選び、長老の衣冠を着せて、先に走らせて出迎えさせた。勅使は怒って、「知事はどこにいる。お前ごときが私に謁見に来たのか」と言い、側近に命じて二人を捕らえさせた。二人はすぐ川の中に躍り込み、潜って逃げ去った。璡はゆっくり到着し、偽って言った、「聞くところによると、公は二人を川に追い込んで溺死させたとか。今は聖明の世で、法令は厳しいのです。人命をどうなさいますか」と。勅使は恐れ、礼をして謝し、立ち去った。他の場所を通っても、もう勝手気ままなことはしなかったという。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公二十七年 范献子、賄を取る秋、扈に會す。周を戍(まも)らしめ、且つ公を納るるを謀るなり。宋・衛皆公を納るるを利とし、固く之を請ふ。范獻子、貨を季孫に取り、司城子梁と北宮貞子とに謂ひて曰く、「季孫未だ其の罪を知らずして、君之を伐つ。囚へられんことを請ひ、亡げんことを請ふも、是に於いてか獲ず。君又克たずして、自ら出づ。夫れ豈に備へ無くして能く君を出ださんや。季氏の復するは、天之を救ふなり。公徒の怒りを休め、叔孫氏の心を啟く。然らずんば、豈に其れ人を伐ちて甲を說(と)き冰を執りて以って游ばんや。叔孫氏、禍の濫(ひろ)がらんことを懼れて、自ら季氏に同じくす。天の道なり。魯君、齊に守ること三年にして成る無し。季氏甚だ其の民を得、淮夷之に與す。十年の備へ有り、齊・楚の援有り、天の贊有り、民の助け有り、堅守の心有り、列國の權有り。而も敢へて宣べず。
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例あるいは取り扱い上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、ごく軽微な何らかのことはあるかも知れないけれども、さきに発現した海軍収賄事件のような大仕掛けの罪悪は、いやしくも双方悪い考えが一致しなければ出来ぬ筈である。よし一方から賄賂を贈って来ても、一方がこれを受けぬと言えば仕方がない。また役人に不心得な者があって、婉曲にあるいは露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思う者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である。やむを得ずばその取引を断っても、そんな罪悪は成立せぬようにすることが出来る筈である。私どもはしかあるべきものと固く信じている。
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『不動智神妙録』諫言 其四 身を正す取ると捨つるとは義を以てすると云へり、唯今寵臣たるにより、諸大名より賄を厚くし、欲に義を忘れ候事、努々不可有候、貴殿乱舞を好み、自身の能に奢り、諸大名衆へ押て参られ、能を勧められ候事、偏に病と存じ候なり、上の唱は猿楽の様に申し候由、また挨拶のよき大名衆をば、御前に於てもつよく御取成しなさるゝ由、重ねて能く能く御思案可然歟、歌に「心こそ心迷はす心なれ心に心心ゆるすな」
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『秘本玉くしげ』下 手抜きと賄それゆゑに下なる者もそこを計りて、為べき事をば多く手ぬきをして、賄をつかひて其事のすむやうにし、又法度にそむきたる事をする者も、賄をつかへば見ぬふりをして是を咎めざる故に、賄を行ふて悪事をなす者も世に多し。猶此外も此すぢに付ては、種々さまざまの正しからざる事多くして、ことごとくは挙るにいとまあらず。余はおしはかりて知るべき也。
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『春秋左氏伝』襄公二十五年 荘公の薄葬と和議崔氏莊公を北郭に側す。丁亥、諸を士孫の里に葬る。四翣、蹕せず、下車七乘、兵甲を以ってせず。晉侯泮より濟り、夷儀に會し、齊を伐ちて以って朝歌の役に報ゆ。齊人莊公を以って說き、隰鉏をして成を請はしむ。慶封師に如く。男女班を以ってし、晉侯に賂ふに宗器・樂器を以ってす。六正・五吏・三十師・三軍の大夫・百官の正長・師旅、及び處守する者より、皆賂有り。晉侯之を許す。叔向をして諸侯に告げしむ。公、子服惠伯をして對へしめて曰く、「君有罪を舍して、以って小國を靖んず、君の惠なり。寡君命を聞けり」と。晉侯魏舒・宛沒をして衛侯を逆へしめ、將に衛をして之に夷儀を與へしめんとす。崔子其の帑を止めて、以って五鹿を求む。
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