智囊 / 權奇・秦王禎・馬燧・丁謂
魏秦王禎為南豫州刺史。大胡山蠻時出抄掠,禎計召新蔡、襄城蠻首,使觀射。先選左右能射者二十餘人,而以一囚易服參其間。禎先自射,皆中,因命左右以次射,及囚,不中,即斬,蠻相視股栗,又預令左右取死囚十人,皆著蠻衣以候,禎臨坐,會微有風動,輒舉目瞻天,顧望蠻曰:「風氣少暴,似有抄賊入境,不過十許人,當在西角五十里,即命馳騎掩捕十人至,禎告諸蠻曰:「非爾鄉里耶?作賊合死不?」即斬之,蠻懾服,不知其為死囚也。自是境無暴掠。回紇還國。恃功恣睢。所過皆剽傷,州縣供餼不稱,輒殺人。李抱玉將餽勞,賓介無敢往,馬燧自請典辦具,乃先賂其酋,與約:得其旌章為信,犯令者得殺之。燧又取死囚給役左右,小違令,輒戮死。虜大駭,至出境,無敢暴者。真宗幸澶淵,丁謂知鄆州,兼齊、濮等州安撫使。時契丹深入,民大驚,爭趨楊劉渡。舟人邀利,不急濟,謂取死罪囚,詐作駕舟人,立命斬之。舟遂集,民乃得渡,遂立部分,使沿河執旗幟,擊刁鬥自衛,契丹乃引去。〔評議〕死罪也,而亦不令徒死,禎借之以威蠻,燧借之以威虜,謂借之以威兵。其大者為檇李之克敵,而最下供御囚,亦假之以代無辜之命。正如聖藥王,塵垢土木,皆入藥料。
新字:魏秦王禎為南予州刺史。大胡山蠻時出抄掠,禎計召新蔡、襄城蠻首,使観射。先選左右能射者二十余人,而以一囚易服参其間。禎先自射,皆中,因命左右以次射,及囚,不中,即斬,蠻相視股栗,又預令左右取死囚十人,皆著蠻衣以候,禎臨坐,会微有風動,輒舉目瞻天,顧望蠻曰:「風気少暴,似有抄賊入境,不過十許人,当在西角五十里,即命馳騎掩捕十人至,禎告諸蠻曰:「非爾郷里耶?作賊合死不?」即斬之,蠻懾服,不知其為死囚也。自是境無暴掠。回紇還国。恃功恣睢。所過皆剽傷,州県供餼不称,輒殺人。李抱玉将餽労,賓介無敢往,馬燧自請典辦具,乃先賂其酋,与約:得其旌章為信,犯令者得殺之。燧又取死囚給役左右,小違令,輒戮死。虜大駭,至出境,無敢暴者。真宗幸澶淵,丁謂知鄆州,兼斉、濮等州安撫使。時契丹深入,民大驚,争趨楊劉渡。舟人邀利,不急済,謂取死罪囚,詐作駕舟人,立命斬之。舟遂集,民乃得渡,遂立部分,使沿河執旗幟,撃刁鬥自衛,契丹乃引去。〔評議〕死罪也,而亦不令徒死,禎借之以威蠻,燧借之以威虜,謂借之以威兵。其大者為檇李之克敵,而最下供御囚,亦仮之以代無辜之命。正如聖薬王,塵垢土木,皆入薬料。
書き下し
魏の秦王禎、南豫州刺史と為る。大胡山の蛮、時に出でて抄掠す。禎、計りて新蔡、襄城の蛮首を召し、射を観せしむ。先ず左右の能く射る者二十余人を選び、一囚をして服を易えて其の間に参ぜしむ。禎、先ず自ら射て、皆な中たる。因りて左右に命じて次を以て射しむ。囚に及び、中たらざれば、即ち斬る。蛮、相い視て股栗す。又た預め左右をして死囚十人を取り、皆な蛮衣を著て以て候たしむ。禎、坐に臨みて、会たま微風の動く有り、輒ち目を挙げて天を瞻、蛮を顧望して曰く、「風気少しく暴し、抄賊の境に入る有るに似たり。十許人に過ぎず、当に西角五十里に在るべし」と。即ち馳騎に命じて掩捕せしめ、十人至る。禎、諸蛮に告げて曰く、「爾の郷里に非ずや。賊を作して合に死すべきや不や」と。即ち之を斬る。蛮、懾服し、其の死囚なるを知らず。是より境に暴掠無し。回紇、国に還る。功を恃みて恣睢にして、過ぐる所に皆な剽傷し、州県の供餼称わざれば、輒ち人を殺す。李抱玉、将に餽労せんとす。賓介、敢えて往く者無し。馬燧、自ら請いて典辦し具え、乃ち先ず其の酋に賂し、与に約す、「其の旌章を得て信と為さん、令を犯す者は之を殺すを得ん」と。燧、又た死囚を取りて左右に役せしめ、小しく令に違えば、輒ち戮死す。虜、大いに駭き、境を出づるに至るまで、敢えて暴する者無し。真宗、澶淵に幸す。丁謂、鄆州に知たり、斉、濮等の州の安撫使を兼ぬ。時に契丹、深く入り、民大いに驚き、争いて楊劉の渡に趨く。舟人、利を邀えて急に済さず、謂、死罪の囚を取り、詐りて駕舟の人と作し、立ちどころに命じて之を斬る。舟、遂に集まり、民乃ち渡るを得たり。遂に立ちどころに部分し、河に沿いて旗幟を執らしめ、刁斗を撃ちて自衛せしむ。契丹、乃ち引き去る。〔評議〕死罪なるも、亦た徒らに死せしめず。禎は之を借りて蛮を威し、燧は之を借りて虜を威し、謂は之を借りて兵を威す。其の大なるものは檇李の克敵と為し、而して最下は供御の囚、亦た之を仮りて無辜の命に代う。正に聖薬王、塵垢土木、皆な薬料に入るが如し。
現代語訳
北魏の秦王禎が南豫州刺史となった。大胡山の蛮族がときどき出てきて略奪した。禎は計略を立て、新蔡・襄城の蛮族の頭領を招いて、弓の試射を見せた。まず側近の中から弓の巧みな者二十余人を選び、一人の囚人を着替えさせてその中に混ぜた。禎はまず自分で射て、すべて的中させた。そして側近に順に射させた。囚人の番になり、的中しなければ、その場で斬った。蛮族は互いに見合って、足が震えた。また、あらかじめ側近に死刑囚十人を連れ出させ、みな蛮族の服を着せて待たせた。禎は席につくと、ちょうど微風が動いたので、目を上げて空を仰ぎ、蛮族の者に向かって、「風の気配が少し荒い。略奪者が国境に入ったようだ。十人ほどで、西の角、五十里あたりにいるだろう」と言った。すぐに騎兵に命じて急襲させ、十人が捕らえられて来た。禎は蛮族たちに告げた、「お前たちの郷里の者ではないか。賊をはたらいたら死罪に当たるか」と。そのまま斬った。蛮族はすっかり恐れ服したが、彼らが死刑囚であったことを知らなかった。以後、国境に略奪はなくなった。ウイグルが帰国するとき、功を頼んで横暴にふるまい、通る所でみな略奪して傷つけ、州県の食糧の供給が意に満たないと、すぐに人を殺した。李抱玉がねぎらいに行こうとしたが、側近の賓客はだれも行こうとしなかった。馬燧が自ら請うて取り仕切り、まず彼らの頭領に賄賂を贈って、「その旗印を得て証とし、命令に違反する者は殺してよい」と約束した。燧はまた死刑囚を取って側近に使役させ、少しでも命令に違えば、すぐに斬った。ウイグルは大いに驚き、国境を出るまで、乱暴する者はいなかった。真宗が澶淵に行幸した。丁謂は鄆州の知事で、斉・濮などの州の安撫使を兼ねた。このとき契丹が深く侵入し、民は大いに驚いて、争って楊劉の渡し場に急いだ。船頭は利益をねらって急いで渡そうとしなかった。丁謂は死刑囚を取り出し、船頭のふりをさせて、すぐ斬らせた。船はたちまち集まり、民はようやく渡れた。続いて直ちに部署を割り振り、河に沿って旗を持たせ、銅鑼を打って自衛させた。契丹はそこで引き揚げた。〔評議〕死罪の者でも、むだに死なせることはしない。禎はこれを借りて蛮族を威圧し、燧はこれを借りて異民族を威圧し、謂はこれを借りて兵を威圧した。大きな例は檇李の戦いでの敵の打ち破りになり、最も小さな例は皇帝の食事に供する囚人でも、無辜の命の代わりとなる。まさに聖薬王のように、塵や土木までも、すべて薬の材料になるようなものである。
解説
この章句が説くこと
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